第30話永の都へ……光のリテラシー

 天の雨が降り止まぬ午後、地獄の最深部と思われた地下神殿の一角。

 魔法陣の真ん中に、光り輝く人と、メリ、リザ、バルダーナが話し中だった。

 クラインだけはうろうろと、なにかから逃げ回ろうと、うろついている。

 ケルベロスの傍らに座って、呟く。

「なんで、オレが三歳の人間ごときを剣にかけなくちゃならないんだ? ルナだって、そんなことはさせなかったというのに……」

 ケルベロスは、おとなしく巨大な身をかがめて、彼の手をなめるではないか。

 悩むクライン、ファータ姫の前まで進み出る。

「子供なんて……斬ったことがない」

「今までに一度も? まあ、あなたはなんて幸運な剣士」

「皮肉はよしてくれ。そんなことをいうなら、あんたが殺せ。オレは墓を掘る」

「一体だれのお墓なのかしらね」

「そんな嫌味は聞いたことがない」

「そうね、クライン。あなたは……彼女の危険性を理解していない」

 そう言うと、ファータ姫は瞬きをして、クラインを覗き込むように背伸びをする。

「彼女は、いままでこの神殿のシステムを、裏から牛耳っていた張本人よ?」

「一体なんのためなんだ? 悪霊のボスはずっと在り続けるためだと言っていたが」

「今も昔も同じ……ただ永くあってなんになりましょう?」

「そうだ! 頭が良くなったって、することがなんにもないんじゃ、つまらないじゃないか。それと同じで、永く生きたって、望みがなければそんな生、虚しいだけだ」

 すると、ファータ姫はきょとんとして、嬉しそうに胸の前で両腕を組み合わせる。

「まあ! まあ、クライン。あなたってひとは!」

「今まで人でなし扱いだったくせに……」

「いいえ、クライン。そうなのです。ただ生きたって面白くもなんともない。だから、彼らはひとつの望みのために、この神殿をつくりあげたんですわ」

 そしてファータ姫は、慈しむように彼を見た。金色に光る瞳で。

「そう……そう! リングィスティック、フォルクローレ、ゲジヒテ。記録を」

 そして彼女は両腕を天にむかってさしのべた。

「なんの呪文だ? ゲジ……?」

「わたくしの部下たちです。今特大の天文望遠鏡で、こちらを見張っているはず。そして、あなたのその発見は、とても正しく、歴史に残すべきです」

「なんのことだ?」

「そうね、ゆく道をほんの少し、ゆっくり歩きましょうか……」

 天上からのびる大きく雄大な光の中に、その姿を溶けこませるように、瞬くと、ファータ姫はそれっきり、見えなくなった。


  


 時が止まっている。

 なのに光の道は、暖かな雨模様。

 まるでそれは永遠。

(雨なのに、暖かい。ぬくもりが満ち溢れて……どうしたことだ、これは)

 クラインの心にたくさんの思い出たちが、浮かんでは通り過ぎていく。

 するとそれが、まるで手に触れて、目に見えるようにふわふわとした生き物になって、光の中を舞い飛ぶ。

(幻影? もしやこれは罠か?)

 心配するクラインに、そうではないと雨が教える。

『もしもあなたが、たとえようもない事実に、現実にうちのめされるとき、わたくしの名を、呼びなさい……クライン』

「名を……呼べ? いったい誰の?」

(おかしなことだ。今ルナの姿が浮かぶ……)

『そう、その名を。愛しいものの名を』

(そうか……)

 クラインの喉はゴクリとなる。

(最大級の祈りと望みかけて、我が人生の誇りをかけて、愛すると誓った彼女に――今)

「……――!」

 空間がぱんっ! と弾けて、

(別世界に来た、感触が――)

 そこはもと来た道とは違う、色彩に溢れた世界だった。

「む」

 ちょろり、と足元にこねずみも這い回る、森の小道。

 まるで音もさせずに、野うさぎが背景に混じり、背をのばしてこちらを見ている。

 真っ白な鹿が、横切る。

「これは、地獄に迷い込む前の――」

『そう、でも何もかもが違って見えるでしょう? それは、あなたが見つけた真理のおかげなのです』

「真理……? いや、こんなことはしていられない。ルナはあのとき、一人で月の神殿へと赴いた。戻ってこなかった!」

『そう、だからここにいますよ……?』

 巨大なアーチを描いた門の神殿が、銀色に輝くのが否応なしに目に入った。

 その頭上に巨大な黄金の満月が、鋭くきらめいている。

 湖がさざめいて、それらを囲むように水をたたえているのだ。

 クラインは駆け出し、湖へと構わず飛び込んで、その像に近づく。

「これは、罰なのか? オレが、悪いのか? あの時止めなかったから! 命を分け与えてしまったから! もう心臓まで止まってしまったのか、ルナ!」

 湖の渚に立つ像。祈りを捧げる巫女の正装をしている。

「ルナ、そんな。オレは、やっとここへこられたのに、なんにもできないのか? なんにも!」

 クラインは身を震わせ、湖の中に佇む。

 

 ぽたり。


 石像から、血の涙が滴った、ほかならぬクラインのために。

「ルナ、こたえてくれ。ルナ――!」

 そのとき不意に声を聞いた気がした。

『愛とは、どのようなものなのでしょうか――』

 よせてはかえす渚に、ルナの見ているものが映る。

『あの時、あなたを置き去りにするべきではなかった――これは後悔』

「ルナ、生きて……生きているんだな! ルナッ」

『心にこだまするこの声を、懐かしむ気持ちは――思慕』

 はらはらと涙こぼして、ルナの像を見上げるクライン。

『地獄に落ちてもいいと思う――この無茶な考えは、何?』

 クラインは頭上のルナに向けて両腕をさしだす。

『命にかえても、護りたい――この気持ちは……』

 そのとき風がさざなみを起こし、クラインが纏ったマントの裾をさらった。

「なくしたものが還ってくる――」

(歌?)

 ライラの奏でと共に、美しい者が現れ、ルナの傍らにひざまずく。

 風になびく長い髪はプラチナブロンド、伏せた瞼は頬に影を落として。その者は青銀のローヴを着ている。

「今でない、ここでない場所で、出会った二人だから……」

 クラインの見上げる先で、見るみるうちに石化がほどけていくルナ。

(あの歌は……癒しの。琴の音。いったいだれが――)

 ルナが静かに立ち上がる。そしてその人物も従うように立ち上がる。その視線は遥か彼方をみはるかす。

(紅い……瞳をしている。まさか!)

「そうだ、剣士。受け止めろ!」

 その瞬間、ルナが、地を蹴る――。

 クラインは背中の翼で、水面を弾いて羽ばたいた――。

 まるで彼めがけて落ちてきたあの日のように、ルナはまっさかさまにクラインの胸に飛びこんできた。クラインは彼女を受け止め抱きしめる。あえかな嗚咽と共にルナはぎゅっと彼の背に腕をまわし、抱きあう二人は天に昇って互いの瞳をのぞきこみ合った。

「帰りましょうか、クライン……?」

「ああ、ルナ……」

 もう、二人にはほほえみしかいらない……。

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