第22話永の都から……(その二)

 クラインは、自分の頬から暖かな何かが伝うのを感じ、驚愕した。

「涙……なぜ?」

 今はバルダーナがもがいている最中だ。余計なことに気を取られていては、確実に危ない。

「バルダーナ、伏せろ!」

 次の突進に備えて、バルダーナを抱え込むと、誰かの声が聞こえたような気がした。

 人を暖かく包み込むような、やさしい気遣いを感じたのだ。

 うれしくなって、クラインは一層全身に力をみなぎらせる。

「うおお!」

(なにい?)

 三頭神獣が悶えていた。

(私の、私の主はどこ?)

 彼が雄叫びをあげたとき、通路の扉の一つから、つかつかっとやってくる者が。

「何をしているの?」

 高飛車な物言いをしたのは、青い制服のメリ。

「ケルベロス、番もできないようじゃ、ほうっておけないわね」

(あっ、主)

 ケルベロスは大きな鼻面を抱えて逡巡した。三つの鼻を順番に抑えている。

(お会いできて、うれ、うれし……)

「甘えるんじゃないわよ、ばかね」

 相変わらずメリはサバサバしている。ケルベロスのしっぽは全部脚の間にしまわれている。

「一体、どこから……」

 クラインが言いさすと、メリは、

「あらん、いい男~」

 ポッと頬を染めて、擦り寄る。

「そのたてがみをひと房くれない? そしたら、天国見させてあげるわよん」

「???」

 クラインは戸惑いを隠せない。

 笑いこけていたバルダーナが目を開けると、眼前にころりとオーブが転がった。

「げ」

 さらに、バルダーナがうもれていたのはオーブの山。

 それが瞬時に消えてゆく。

「あんたがここにいるのは、オーブを守るためでしょ!」

 メリがケルベロスに言うと、拳で殴る真似をする。

(くーん)

「そうだったのか」

「あれ? 朝霧の神殿での話はどしたんだ?」

「どっちらけ……」

 クラインたちが言い合っていると、メリがくるりとこちらを向く。

「あんたたち、よくも余計なことを!」

「話がよく見えない。解説を頼む」

「だから~、今更この地獄で女神の祝福なんて、引き当てちゃう運のいいやつは、邪魔なのよ!」

 クラインたち一行は顔を見合わせ首をかしげた。

「女神もたいへんなことだ」

 冷静なリザ。

「こんな地獄にまで、祝福くれちゃうんだ……」

 とことん懐疑的に天井を見上げるバルダーナ。

「オレはおぼえがないではないが」

 クラインが言うので、リザとバルダーナが一斉に責めるように見る。

「剣士が~?」

「なるほど。今まで無事に生きてきたのが不思議だったが、そういうことか」

「なんだ! ずるいじゃないか! あんたばっかり!」

「おまえら……ちょっとひどいんじゃないか?」

 そう、クラインがぼやきを漏らすと、ケルベロスは不機嫌に吠える。

 全てのオーブが効力を失い、そこでは妙な参入者と番犬が、目つきを鋭くして三人を睨んでいた。

 対決の時が来ている。

 ケルベロスが退がると、前へ出たのはなんの武器も持たない女子。

 クラインは逡巡し、様子を見た。

 ところがメリは、こちらが首をかしげてしまうような、攻撃しかできない。

 視界を確保しようにも、命の炎は一斉に小さな灯火になってしまうし、砕けたオーブが石塊となって崩れ去るし。他にも、魔法を使おうにも、スペルがいちいち間違っているというていたらく。地獄の番犬を飼い慣らしているにしては、おそまつすぎる。

 手持ち無沙汰で両腕をブラブラさせていたクラインたちは、油断しすぎていた。

 ケルベロスが彼らの前に躍り出る。驚いたのはメリ。

(主よ、私にお命じください)

 メリは少し考えて、明るく言った。

「そう、じゃあ片付けを頼むわ。ああ、その男のたてがみをわすれないで」

 メリは態度こそ威張ってはいるものの、魔法力のオーブがなくなった今、呪文一つ完成させられないのだ。さっさと退散する。

「お師匠になんて言おう……」

 小さく呟いたが、それは神殿の天井まで響いた。

 メリにとって幸運といえるのは、クラインたち他が、巨大な番犬あいてに無我夢中なことだ。

『呼んだか、メリ』

「はっ、この声は……」

 メリは身震いする。

 その声は魔法使いが使う念話のようなもの。

(もうしわけございません、今まで収集してきたオーブがみな石塊いしくれになって……)

『もう一度だけ、長年辛抱したケルベロスに免じて、魔法補助のオーブをつかうがいい』

 メリははっとして、横目でケルベロスの勇姿を見た。

「余計なことをしてくれたわね、ケルベロス」

(今、それどころじゃないです)

「たった今あ、お師匠に助けを求めたのはおまえじゃないの?」

 ケルベロスは牙を剥き、前爪でクラインたちを攻撃している。

「まあ、いいわ。死霊の魂はすぐにここに流れ着いてくるんだからね。一からオーブの作り直しだわ」

 言うと、メリは瞬時に戦いの場から向きを変えた。

「ケルベロス、あんまり遊んでると、承知しないから」

 そういうと、彼女はさっさと通路の扉の一つへ身を滑らせた。

 

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