第12話亡者の行き着く先(その二)



 朝霧が晴れ、夕闇の神殿が濃霧に沈む頃、三人はまるで雲海のような、霧の海の橋のたもとに立っていた。

「さあ、行くぞ」

 先頭へ立つクラインに、バルダーナが、

「えっらそうに。ここいらはオレらのが詳しいんだぜ」

 クラインと目を合わせると、にやっとして追い抜いてゆく。

「別に護衛を頼もうたあ、思ってねえよ!」

 と、どこか声にも華やぎもある。

(なんだよ、別人だな……)

「ああ、おまえにはイカズチの剣があるしな」

「そーゆーこった!」

「ああ……リザは、走れないんだったな」

 というと、彼女はただ首をふり、バルダーナの後を足音も立てずに追いかける。

「おいおい、元気じゃないか。亡者除けの光をともさなくていいからか?」

 クラインは仕方なく頭上を見上げた。

 ぎょろりと、目玉が彼を見る。

 どうやら、彼を視認した、というように……。

「お月さんが、そうにらむんじゃねーよ」

 照る月光にも似たそれに、悪態をつくと、橋にはもやが立ちこめ始めた。

「蒼い……。ああ、朝だ」

 遠方に見えていた夕闇の神殿が、いまや完全に霧の中に沈み、大橋は朝霧の神殿へと続く。

 街の灯がぽつぽつと見え始め、星のようにちかちかと瞬いている。

 街へ着くと、薄暗がりでも目立つ、黄色いハートを胸にあしらったミニエプロンの女が近づいてきた。

「はあーい! イエローキャップにようこそ」

 クラインがめんくらって、立ちすくんでいると、横からバルダーナが彼の脇腹をこづく。

「さあさあ、もうどうでもいいくらい腹が減っててさ。結局あの魚食ったの、あんただけだし。もー、一時もぐずぐずしてらんない!」

「あっらー、小憎らしい、もとい、たくましそうな子ね。私たちのお店、結構繁盛してるのよー?」

「へえ、じゃあ混みあいそうだから、他へいく!」

「なによ! いじましい餓鬼! 呪うわよ!」

 女が腰に手を当てると、真っ赤な唇を大きくゆがめる。

「君は、このあたりに詳しそうだな」

 クラインが言うと、

「もっちろんよお! あ、あたしメリ。そこの居酒屋でバイトしてるのよー? 彼氏、もうすぐモーニングの時間にシフトするから、待ってて……?」

「いや、そういうつもりはない」

「なによ! しけた客!!」

「だから、客ではないぞ。失礼だな君は」

 メリはつんとして指さした。

 クラインが視線で追うと、屋台でバルダーナとリザが肉の塊をかじっている。

「あれくらい、がっつりいきなさいよ。いらいらするう」

「悪いが故郷に婚約者がいる」

 とたん、メリの笑い声。

「ちょっと、あんた頭冷やしたほうが良いんじゃない? ここがどこだと思ってるの?」

「地獄の、一丁目か」

「ふん、よくわかっているじゃない。あたしもね、欲しいのはあんたのたてがみだったりするのよ。ふふっ」

「なんだって?」

「やーだ。ここいらじゃ常識よお! なにかと引きかえに、いい思いするのはね」

 クラインは少し考え込み、足元に目を落とす。

 なにか鈍く光る砂利が敷いてある。

 彼は思わず地に伏せって、それらを手に取った。

「銀じゃないか、これは!」

「ふふん、銀山があるからん」

「なにがなにかと引きかえだ。銀がこれだけあれば、暮らしに困らないだろう」

 メリはきょとんとして、

「あら、だって、それじゃご飯は食べられないわ」

「なぜだ! オレのいた都では、銀の通貨があればあらゆる道徳に反した労働も、服も食べ物も! みんなまかなえたんだぞ!」

 屋台から彼の怒鳴り声を聞いていた、バルダーナが声を小さくして舌打ちした。

「あいつ、中身が化石みたいだ」

 リザがちいさくうなずく。その気づかわしそうな瞳。

 バルダーナは意を決したように近づいてゆく。

「あんたなあ、ここいらじゃ、己の肉体、異境の物品以上に有能な貨幣はないぜ」

「バルダーナ……それはどこから、いやどうやって手に入れた?」

「なあに、持ち物の整理をちょっとね」

 バルダーナの、ターバンの下が、気になる。

 風樹が、例外的なものではなかった、そう悟った。

 クラインはバルダーナの鋭い視線から目を離せず、静かに嗚咽する。

「なんという、地獄だ……ここは」

 バルダーナが、意外そうにその姿を見やった。

 あんなに堂々として、地獄は今更だと言っていたクラインが、泣いている。

「なんだよお、なんだって泣くことがあるんだ?」

「そうよお。この界隈じゃ常識なんだってば」

 メリがてのひらを彼の頬に寄せて、ひそっとささやいた。

「あんた、だいじょぶ?」

「子供たちが……子供たちがかわいそうだ! あんまりだ!!」

「えええっ」

 メリの悲鳴のような声に、周囲のほうが驚きを隠せない。

「オレは文化的暮らしに憧れてきた。都を、彼女を守るためならと、戦場では死に物狂いで戦った。だが、こんなものを見たかったわけじゃない!」

 クラインは這いつくばって、銀の砂利をかき集め、その上に涙を落とした。

「こんなもののために、オレはなんという犠牲を積み重ねてきたのだ! 返してくれ! オレの仲間! オレの血肉!!」

 その頭上から、バルダーナの冷や水のような声が、かぶせられた。

「もう遅いよ。だから、あんたはここへ来たんだ」

「オレがなにをした! 命令に従い、都を守ってきたんだぞ?」

「ふーん。じゃ、本当は、その命令ってやつをあんたに下したのが、ここへくるべきだったんじゃないの?」

「そんな! そんなことはない! ルナは悪くないんだ」

 クラインの蒼ざめた瞳が、それだけは違うと訴える。

「どのみち、ここへ来ちゃったんだし、もうしょうがないね」

 朝霧の神殿が淡く輝き、死霊たちのうろつく界隈で、獣神クラインの遠吠えが響き渡る。

「お、おい。やめろってば! しっかたねえなあ」

 バルダーナが急いで、クラインの首根っこを掴んで引きずった。

 彼はまだ、泣いている。

 メリが黄色いエプロンを外すところが見えた。下には真っ青な制服を着ている。

「さっ、もうひと働きしよ!」

 彼女は、くるりとスカートをひるがえして、去ってゆく。

「ブルーハットの、モーニングはいかがですかあー?」

 はじけるような笑顔と、危なっかしいスタイル。それが、普段のメリだ。

 彼女は、朝霧の神殿をふり仰いだ。

 神殿の鐘が鳴り始める。

 もはや思い出せない、地上の光。死霊たちには、朝霧の神殿の天井にくくりつけられた、自分たちの肉体がなんなのか理解できない。

 ぼんやりと鐘の音に身を任せて、うつろなまなざしをするだけなのだ。

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