第7話沼の主
道なき道を走り、沼地に出た時は、溜息すら出た。
「これが終着点?」
「まさか。あんた、何にも知らなすぎ」
バルダーナが示す先を見ながら、クラインは言う。
「いきなり色彩のあるところに出たら、まずは疑うもんだ」
ひと悶着あった。
「この沼は森の泉から水が来て、最終的に運河へつながってるんだ」
説明するバルダーナにクラインが、きょとんとした目をして言った。
「へえ、詳しいね」
「……」
ややあって、バルダーナは問う。
「あんた、本当に何も知らないでここへ来たのか?」
「残念ながらね」
「……」
リザとバルダーナが顔を見合わせ、気の毒そうにクラインを見る。
「あんたにとって地獄は、始まったばかりなんだな」
「……慰めは必要か?」
かわるがわる、二人が声をかけた。
「そんな、なんでもかんでも悲観的にとるなよ。こんなにバラエティーに富んでるなら、退屈はしないだろうさ」
クラインが暗さを吹き飛ばすように軽口をたたくと、リザが黙って彼を見る。バルダーナは蜜色の瞳を伏せながら大きく溜息。
「のんきなものだ」
と……。
月光の丘に光が満ちるころ。
風吹く森を抜けた霧の中、クラインとバルダーナ、リザは緑の沼地にたどりついた。
濁った沼には魚がいるようだ。そこかしこに姿を躍らせる巨大な影を見た。
バルダーナがうさんくさそうに、
「主かな……」
リザはもの思わしげに、散策を続ける。
「だとしたら……相当の釣り針が必要だが、よもや獣神を喰らって永らえてるわけではないよな」
クラインがのんびり言っていると、バルダーナが用心するように問うた。
「へえ、あんた、半神半獣?」
「見てわからないか?」
「人は見かけによらないから」
分別臭くバルダーナは言って、離れたところで水脈を確かめているリザに声をかけた。
「ここから、運河へはでられそうか?」
リザは首を横にふる。
「どうやら、地下水脈が運河へ通じているらしいのはわかるのだが、だめだ」
バルダーナは溜息。
「もぐっていこうにも、不気味だ。あの影はなんなんだ」
「あまり、深く考えないほうがいい。見たところ魚も棲んでいるようだし」
リザは沼地の岩の影を示す。
と、見ている間に、巨大な魚が浮かび上がってくるではないか。そのうえ、大きく静寂を破るしぶきを上げて、猛々しく跳ねる。
「こりゃあ、活きがいい」
「活造りにでもするか」
バルダーナが舌なめずり。
「どうやって捕まえる気だ」
クラインが言うと、
「もちろんあんたが潜っていって、得意の剣で刺してくればいい。あとはオレとリザが引き上げるから」
「そんなことできるか!」
言っている間に、その巨大魚が別のさらに大物の影に出くわし、警戒するように岩陰へもぐりこむ様子。
ぴちょん、と木々が沼地に影を落としている。
「なんだあれ、さらにでかいぞ」
バルダーナたちが立ち尽くしていると、影はすばやく沼地を疾駆する。
「伏せろ、剣士」
腕を伸ばしかけたリザを、バルダーナが引き戻す。
クラインの見ている前で、巨大魚は水面に背びれを走らせ、必死に沼地を逃げ惑っていたが、ついに観念したか、陸地に打ち上げられてしまった。
「大丈夫か、剣士」
「ああ、見ろ。活造りができるぞ」
「あんた、動じないなあ」
バルダーナが言うと、クラインは、
「オレがいたのは生き地獄だったからな。今更だ」
そこへ巨大魚を追い回していた大物が、大しぶきをあげて、頭を突き出してきた。
目は小さく、エラが幾重にもあり、ごぶごぶと水を吐く。ぬめめいた肌にはうろこがない。
「なんだ? 文句があるのか?」
バルダーナが黙って長剣を構え、リザが炎の色をした灯りを、手にともす。
「餌に困っているなら、少しばかりおすそ分けしてやってもいいよな? バルダーナ。それとも、沼の主から切り身にするか?」
怪物のようなそれは、いかにもところ狭しと、背びれを動かし、水をはねさせる。
「うん? 頭が三つ。脚が六本もあるぞ。おまえなんなんだ?」
悠々としているクラインを見ていたバルダーナが、気味悪そうに言う。
「よくそんな怪物みたいなのに、話しかけられるな」
クラインは軽く応えた。
「半分獣だからな、オレは」
首を傾げながら、バルダーナはリザを後ろに、恐る恐るクラインの方へ近づく。
ごぶぅ!
と、怪物は水を吐く。そしてだんだん水上にせりあがってくると、かぎづめのついたひれで攻撃してきた。
「おい、オレたちが、餌を横取りしたんじゃないぞ!」
クラインが制するが、止まらない。
「おい!」
怪物はのそりと陸地に姿を現した。
全身ぬめぬめとして、
飛び
「逃げろ、リザ!」
言いながら、自分も走って後ろを見ない。
生きる本能そのものだ。
「ち。オレがメインディッシュに変更か」
クラインは拳を握って、怪物の腹に鉄拳をお見舞いした。そのまま、何度も打ち込むが、怪物はびくともしない。
「これが本当の主らしいな。オレらの会話で気を悪くしたかな」
ばしゅ!
と、ひれについた爪が、クラインの顔面すれすれをかすめるように繰り出される。
「おっと、あたってたら、いい男が台無しだ」
軽口を言いながら身をかわすクライン。しょせん沼地の生き物。陸地にいるうちは安全だろう、と、タカをくくっていたのがうかつ。怪物は脇腹から触手のようなものを出し、次々と周りの木々をなぎ倒す。
そのそばには身を隠していたバルダーナが、リザに覆いかぶさるようにして伏せっていた。
「もっと、遠くへ逃げてりゃよかったのに」
クラインが今度こそ剣を抜いて、彼らと怪物の間に立ちふさがる。
切りつけ、そして跳躍。怪物の死角にまわるが、表面がねばねばしたもので覆われていて、歯が立たない。
「確かに主はこいつだな。参ったぞ」
触手を切り裂こうと短剣を用いたが、これも無駄。
「逃げろ! もっと奥へ!」
クラインが叫ぶ。
一瞬、バルダーナは迷うように視線を泳がせる。だが。
「うああああー!」
腹の恐怖を焼き尽くすように、吠えて、バルダーナは長剣を突き上げる。
「神明のイカズチよ、この敵を撃て!」
悲痛な叫びとともに、バルダーナは青白い稲妻と一体になって、怪物の前ひれを貫いた。
キエエエー!
怪物は、嫌な響きの声を上げて、触手をばたばたとうごめかせ、怒りをあらわに標的を変え、バルダーナに向かってきた。
バルダーナは目に涙を浮かべ、神明照覧、と唱えた。
(神よ、御覧あれ!)
怪物は沼の水気を纏っている。これならば、バルダーナの電撃が通用するかもしれない。
バルダーナは長剣を肩に担ぐと、全身から稲妻をほとばしらせる。その頬は蒼白。目には決死の覚悟が宿っていた。
バルダーナは怪物の腹に長剣を突き立てていった。深く深く、剣はその分厚い腹をつき破っていく。
怪物は触手を激しくうごめかせてバルダーナを沼に引きずり込もうとする。
「バルダーナ!」
クラインとリザの声が重なった、クラインはバルダーナを支えようと、腕をとった。
ばちぃ!
電撃がクラインを拒んだ。
「無茶をするな! ばか」
クラインが叫ぶ。
バルダーナの瞳が金色に輝く。なにも聞こえていないのだ。
「うあああ――!」
その長剣は怪物の腹をえぐり、焦げ臭いにおいをさせて怪物は沈んだ。
「けっ、逃げやがったぜ」
バルダーナは弾む息を数瞬で整えた。剣を収めて、無理に笑う。今のバルダーナは最強だった。
リザが口を覆って、震えている。
クラインは黙ってその様子を見、たいしたものだ、と息をついた。
× × ×
「見たか! オレの技を!」
「あんな偶然は、滅多にないな」
「偶然じゃない。パッとひらめいたんだ!」
「概して、ひらめきは命の危機に必ず起こるもんじゃない」
「おう、じゃあ、ただ運が良かっただけだってうのかよ」
「運だな」
こくこくとリザも黙ったまま、うなずく。
ぶすっとして膝を抱えるバルダーナ。沼のほとり。巨大魚を肴にバルダーナをつつきまわす。
主役はバルダーナだ。
「決めた! オレ、剣士になる!」
「おいおい、たった一度の偶然で、いい気になられちゃ困るな」
「いいだろう? ここいらで身のふりかたを考えなくちゃ」
バルダーナは巨大魚の切り身をそっと沼地に落とすと、クラインをジッと見た。魚を食べたのはクラインだけ。リザも手をつける様子がない。
「おまえの魂が剣士だと言うなら、おまえはすでに剣士だ。誰に名乗る必要もない」
沼の魚をわしわしと口に放り込みながら、クラインが言う。
「……!」
バルダーナはがば、とクラインの膝にとりついて言う。
「本当か? ほんとの本当に、そう思うか?」
「ああ」
と、クラインは答える。
バルダーナはなぜか興奮して、
「そうかあ! オレ、もう剣士か! そうなんだな!」
しきりと手のひらを握りしめたり、ひらいたりして見つめている。
「……リザ。オレはもう負けない。どこにいても、誰といても、己を恥じない」
リザは、やはり静かにうなずく。
バルダーナは涙を浮かべて、強く何度も胸を叩いた。
「地上の奴ら、オレを
その様子を見て、クラインは青いうずきが胸に起こったのだった。
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