第10話 準備


 診療所はすでに本日の営業を終えて、明かりが消えていた。


「入りなさい」


 診療所の扉を開けながら、マリスが入室を促す。


 薄暗い診療所を奥へと進み、治療室の中へと入っていく。


 パチンッとマリスが指を弾いた。


 とたんに薄暗かった治療室が、まるで昼間のように明るくなる。


 医療に明かりは不可欠なのだろうが、それにしても便利な魔術だ。


「既に話したとおり、医療魔術は万能ではない」


 マリスは治療室に置かれた椅子に座り、足を組んだ。


「方法があるとは言ったけど、それは机上の空論。変に期待させるより、どちらか一人でも確実に生き残ったほうがいいのではないかと考えていた。はっきり言って、成功率はほぼ零パーセントよ」

「異論はない」


 俺は閉じていた眼をゆっくり開き、マリスへ真っ直ぐ視線を向けた。


「わかったわ。前回の診察であなた方の血液も調べておいた。前提条件はひとまず揃っている。クランベル、準備して……」


 そう言うとマリスは立ち上がり、着ていたマントを勢いよく脱ぎ捨てた。


「やるからには、私も全力を尽くす。あとはあなたたちの体力と精神力次第。生き残ってみせなさい」


 マリスの真剣な眼差しに、俺の気も引き締まる。


 俺とストラツは互いに顔を向き合い、小さくうなずいた。


 決闘をしていたときとは違った緊張感が、ストラツの顔から伝わってくる。今必要なのは死への覚悟ではない。生きる覚悟だ。


 マリスの指示に従い、俺とストラツの二人で治療室のベッドをすべて端へと寄せる。これから自分の身に降りかかるであろう苦しみによって、のたうちまわるスペースを確保するためだ。


 マリスとクランベルは、俺たちの無謀な治療にあたるための準備を進めた。


 毒の玉が体内で溶けだすまで、残りあと十分足らず。


 情けないことだが、かなり緊張していた。


 邪魔なベッドや椅子をすべて端へ寄せて広くなった診察室の床に、俺とストラツは腰を下ろした。


 治療の準備を終えて、マリスが再び足を組んで椅子に腰かける。


 マリスの指先から薄い光が放出され、その光が空中で円を描く。円を形成していた光の線が、時計回りにゆっくりと消えていく。


 この光の円は、マリスが出した光時計だ。


 光の円がすべて消えたとき!


 それは毒の玉が体内で解ける時刻であり、俺たちの命をかけた戦いが始まる時刻なのだ。


 じりじりと消えていく光の円をにらみながら、何度も深呼吸で心を落ち着かせる。


 いつも冷静なストラツの額から、汗が噴き出している。


 光の線の消える速さからいくと、あと三分ほどだろうか。


 マリスはペンを握り、机の上でサラサラと何かを書きながら、隣にいるクランベルに何らかの説明をしていた。


 クランベルは、緊張と恐怖の入り混じった表情を浮かべていた。


 あんなにも幼い子が、人の命に関わる重大な仕事に携わるのか。もしかすると彼女の心的な重圧は、俺たちなんかより遥かに上なのではないかと思った。


 マリスが左手の指先を宙に向けて、もう一つの光の円を浮かばせた。この円は、もうすぐ消えそうな光時計とは別の時間を計るためのものだ。


 最初にマリスが出した光時計は、もはや一つの点に近いくらいにまで短くなっていた。


 マリスがペンを置き、俺たちに向き直る。


 クランベルがマリスの傍から少しずつ離れていった。


 室内を緊張が包み込む。



 三




 二




 一



 光が空気中に解けるかのように、ボワッと一瞬だけ明るくなって消えた。


「時間よ!」


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