第9話 可能性


 俺の大剣は、ストラツから一寸ほどずれた地面に亀裂をつけた。


 無意識にストラツを避けたわけじゃない。意識的に太刀を外した。


「できねえ……」


 うつむく俺の顔を、ストラツが見上げる。


「何をふざけている……。さっさと止めを……」

「できねえよ……。おまえを殺すなんて……」


 俺は大剣を振り下ろす瞬間、思い出を振り返ってしまった。


 子供のころからともに剣を学び、数多の戦場を駆け抜けてきた。剣士として、振り返ってはならない過去の記憶。命をかけて戦い、死を覚悟した者に対する最大の侮辱。


 分かっているが、それでもできない。


「どの道死んじまうんだぞ!」


 ストラツが叫んだ。


 俺の指から力が抜けていき、大剣が地面に落ちて音を立てた。


 ストラツがゆっくりと立ち上がり、俺の首筋に剣をあてがう。


 再び鋭い殺気が、ストラツから放たれる。


「おまえが殺らぬなら、俺がおまえを殺す……」


 俺は剣士失格かもしれない。強い者が生きるという定めならば、ストラツこそ生き残るにふさわしい。


「そうしてくれ……。頼む……」


 全身から力が抜けていく。


 どれほどの時間が経過したのか。


 実際は戦い始めてから換算しても、ほんの数分しか経っていないのかもしれない。しかし、とても長い沈黙が続いたような気がした。


 突然ストラツの気が緩み、ため息が聞こえてきた。


「そんなヘコんだやつを殺れるか」


 そう言ってストラツは、剣を収めた。


「なんだと?」


 俺はストラツの行動に怒りのようなものが湧いてしまい、感情が口から飛び出してしまった。


「ふざけるな! きさまはいつからそんな腑抜けになった!」

「何を言っている。もともとは、お前が俺に止めを刺さないからだろう。というか、お前には言われたくないぞ」

「俺はいい! だがお前はそんなんじゃ駄目なんだよ! 躊躇せず人を殺せるのが、お前の強さだろうが!」

「人を快楽殺人鬼みたいに言うな」


 怒鳴りつける俺の言葉に、ストラツがため息をつく。


 さっきまでの緊張に満ちた命の奪い合いから一変、いつもの俺たちの空気に戻ってしまった。そうなってくると、お腹はすくし喉も乾くし、まるで肉体までもが戦いの終わりを告げているようだった。


「どうすんだよ。これじゃあもう、俺たち二人揃って死ぬしかねえぞ」

「そうだな。お前は俺を殺せない。俺にも、もはや無理だ」


 そう言ってストラツが肩を竦める。


「仕方ねえ。こうなったら残り時間、酒でも飲んで笑いながら逝くってのはどうだ」


 あまり手持ちはなかったが、数時間飲み続けるくらいの金は残っていたはずだ。どうせなら、後はもう大酒くらって酔いつぶれて、気づいたらあの世。これがベストだろう。


「まあ、それも悪くない」


 ストラツが俺の提案に賛同する。


 何せ人生最後の酒盛りだ。これまで倒してきた兵ども。先程の戦いの反省会。もし生きていたら続いていたであろう、さらに険しき剣の道。酒の肴はいくらでもある。


「それが、あなたたちの選択?」


 突然声がして、振り返る。


 そこには、冷めたような目で俺たちを見つめるマリスの姿があった。傍にはクランベルもいる。どうやらクランベルが俺たちのことをマリスに相談し、連れてきたようだ。


「どうせ死を覚悟するなら、やってみる? 二人とも助かる方法」


 マリスの言葉に耳を疑う。


 しばらく俯きながら彼女の言葉の意味を整理し、そして勢いよく顔を上げた。


「なんて言った? あるのか! そんな方法が」


 ちょっと待て。方法があるなら答えは一つしかないだろう。


 不意に体の内側からスカッとした笑いがこみ上げてくる。


「はっはっは! ばっかやろう! おまえもホントに人が悪いよな! それなら最初から言えっての」

「言っておくけど、笑い事じゃない状況に変わりはないのよ。二人揃って命を落とす可能性のほうが、遥かに高いのだから」


 そう言うとマリスは、俺たちに背を向けて歩き出した。こちらは生きるか死ぬかの瀬戸際だというのに、相変わらずの冷たい態度。


 だが、医療術師は人の生死に関わり続ける職業だ。そう考えると、冷酷とも思えるマリスの態度にも納得できる。


「マリスが今まで方法があることを黙っていたことからしても、相当低い確率なのだろうな」


 マリスの背中を見つめながら、ストラツが呟く。


「上等だ」


 俺は気合を入れてから、ストラツとともにマリスの後をついていった。

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