第5話 小肌

 小肌コハダという寿司ネタがある。出世魚でシンコ、小肌、ナカズミ、コノシロと大きさが変化する魚で寿司屋では絶対に置いてある光り物のネタだ。


 氷の入った塩水のボールに毎日三キロほど移し替えて、頭を落として水で洗い包丁で開いていた後、魚の状態を見極めて塩を振る量、時間を見極めてお酢で締める。店によって微妙に味の異なる看板商品になるネタであり職人の腕の見せ所でもある。大量にある小魚の仕込みなのでチームで行なっていた。


 店では毎日同じ人が塩加減とお酢で締める時間を決めるのでなかなか仕込みに手が出せなかった。三年生になり小肌の頭落としを手伝うようになるがまだ包丁で開かせてはくれない。だいたい同じようなメンツで仕込みは行われて終わってしまう。待ってても仕事は回ってこないので、チャンスがあれば仕込みに最初から参加し包丁で開く機会を伺っていた。


 ある日小肌の頭落としが終わり他の仕込みを手伝おうと周りをキャロキョロしている時に、先輩が三匹ほど小肌をまな板の上に静かに置いた。先輩は何も言わずに仕込みを続けている。周りの人間も何も言わない。


 私は全身の毛穴が広がる感覚に襲われた。「やっていいんだ」このために毎日包丁を研いでいつでも開けるように築地で自分でコハダを買って練習していた。


 感激で身体が震える。練習の時はあっさりできるのに本番になるとなぜか小骨に引っかかり包丁が滑っていかない。しかし二匹目からスムーズに仕込めるようになった。先輩が無言でさらにコハダをまな板の上に置いた。夢中になって仕込みを続けていく。包丁で開く仕込みが終わり一息ついた。


「明日からお前はこっちの仕込みを手伝え」


 今度は目を見てはっきり言われた。


「はい! 」


 顔がにやけてしょうがない。中途入社の方が他の店で小肌を扱ったことかあるので、手伝うと大抵微妙な店のやり方の違いに戸惑いミスをして先輩に怒られる場面を何度も見ていた。先輩は鋭く横目で他人の手元を観察し手順もスピードにも妥協は絶対にしない。


「なんだその仕事は! お前小肌に触るな! 」


 それから本当に触らないと永遠に触れないので、ほとぼりが冷めた頃に再チャレンジし合格を頂いた者にしか仕込みを手伝わせてもらえず、誰もが嫌煙していた。他にも仕事はあるので、あえて火中の栗は拾わずに先輩が休みの時はリラックスして小肌を仕込んでいる者が大半だった。


 いつでも仕事が回ってきてもいいように先輩の仕事を盗み用意する道具、手順を完璧に覚えておく。学校ではないので手取り足取り教えてはくれない。


 寿司屋のたいていの仕事はこうして受け継がれていく。そこで挫折するか乗り越えるかで職人としての将来は決まる。性格がおとなしいと萎縮してしまいミスも出る。そこで自分を奮い立たせて立ち向かっていくのが良い職人だ。だから元気で威勢の良い明るい人間が好まれる。仕込みに対しても、先輩に対しても、お客さんに対してもである。


 逃げてる者には一生チャンスは巡ってこない。こうして職人としての差が徐々に出てくる。どんな仕事でもそうなのかも知れないが。



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