椅子とテーブル以外

 何もない道でプシュチナが躓く。


 壁に手を突き辛うじて転ばずには済んだが、しかし止まって、歩かない。ただ訴えるように振り返り、俺を見上げるだけだった。


 止まるな進め、命じようとした俺の口が粘つく。


 唾が出てない。それ以上に、足が重い。


 へばりつくような疲労、装備を投げ捨てたい衝動に集中力も落ちてると自覚できる。


 儀式とやらが始まってどれくらいか、戦闘、移動、警戒、それが続けば投獄のなまりがなくても疲労は溜まる。


 休息が必要だ。


 ふと見上げればこの建物は三回建、周囲は二階建てばかり、なら三階に籠もれば下から以外から襲われる恐れがない。それに、これまでを考えるなら、待ち伏せ以外に階を上がる意味がない。


 篭るならちょうどいいだろう。


「おい、中だ」


 顎で示すと、プシュチナは小さく頷くや、すくりと立ち直し、軽やかに歩き出す。


 この分だと手をついてたのは演技、メスガキとはいえ油断はできないな、そう確認しながら後に続いた。


 入った三階建はこれまでと同じような作りだった。


 安心のため、全部の部屋を見て回るもあるのは椅子とテーブル、敵はなく、死体もない。それでもドアを片っ端から封じて二階へ、部屋と椅子とテーブルだけなのですぐに三階へ、変化があった。


 階段から離れた一番奥の部屋、ドアの壁以外の三面全てに窓がある大きな部屋、椅子が四脚に、その内の一つの上に見慣れないものが二つ、大小の木の樽が載っていた。


 大きい方には見覚えがある。儀式前に入れられてた外壁の小部屋にあった、今は盾になったあの樽とほぼ同じに見えた。


 その上に乗せられてる小さな樽には金属を曲げた取っ手が付いており、カップとして使えるようになっていた。


 他には何もない。ガランとした部屋だった。


 休息には最適な部屋、それ以上に、期待のこもった好奇心に負ける。


 それでもやることはやる。まずはドアに椅子を噛ませて封じ、椅子別の椅子の上に斧を乗せ、それから改めて樽を見る。


 小さな方は空、どかした大きな樽は蓋があり、そこにも取っ手があった。


 開けて覗くと中は透明な液体に満ちていた。


 そこへ、横から小さな手は伸びてくる。


「おい」


 短く言うとプシュチナは出してた手を引っ込めた。


 それから一歩、二歩、離れるのを待って、観察を続ける。


 小さな樽ですくうと、水に見えた。


 匂いも水、流し戻しても泡立ちは無く、真水に見える。


 ゴクリ、と喉が鳴った。


 しかし、水に溶けてわからなくなる毒も、見えないけれども汚れた水もあると知っている。


 少し考え、一杯掬う。満たされた樽の中身を一瞬凝視してから、プシュチナへ差し出した。


 ……なのに、反応が鈍い。


「おい」


 言ってようやく、恐る恐るではあるが、小さな樽を受け取り、俺を上目遣いで何度も見上げながら、唇をつけ、飲み始める。


「ゆっくりだ」


 無駄にならないよう、言っておく。


「まず口に含んで、味わって、濯ぐみたいにして、それからゆっくりと飲め」


 これは軍隊での飲み方だ。


 僅かな水で喉の渇きを潤し、節約と共に飲み過ぎて体が重くなるのを防ぐ知恵だ。


 これなら、安全とわかったのに毒見に全部飲まれた、なんて間抜けを回避できる。


 ……プシュチナが飲み干すまでたっぷりの時間、小さな体で変化ないなら即効性の毒ではないだろう。


 樽を受け取り、掬って今度は自分が、飲む前に手のひらに垂らして垢を擦り落とすと同時に感覚を確かめる。


 痛みも痺れもない。


 それから少しを口に含む。


 ……味は水、平気そうではある。


 これまで、いくつかの家々を見てきたが、死体と死体が持ち込んだ物以外は椅子とテーブルだけだった。


 だがひょっとすると、もっとよく探せばコレみたいに役立つ物があったかもしれない。


 後悔を噛み締めつつ、未だに毒をお恐れて飲み干せず、下の上で転がし続ける。


「ぁ!」


 プシュチナの小さな悲鳴に吐き捨てる。


 そして見れば、顔があった。


 顔に巻いてた布を、ズボンを解いて、広げて鼻の高さに、その上に恭《うやうや》しく乗せられてるのは、潰れた眼球だった。


 一目で役に立たないとわかる萎んだ鼻水、それが飛び出て、だけどもまだ神経だか血管だかが、空いた眼窩の中に続いていた。


「ぁ、ぁ、ぁ、ぁ」


 言葉というよりも鳴き声のような声を上げ、俺へその眼球を差し出す。


 残る青い瞳が潤んでる。


 今にも泣き出しそうな、ガキの表情、それでは居場所がバレてしまう。


 殺す、のは簡単だが、暴れられ、樽が倒れるのは避けたい。


 ならばと思い、小さな樽を椅子の上に置き、左手に持ちっぱなしだったナイフを右手に持ち直す。


 灰色だった刀身を自分のシャツの袖で拭い、金属の反射を取り戻すと、左手で眼球を摘まみ上げる。


「ぁ!」


 余計な一言を発する前に右手のナイフを走らせ、繋がりを断ち切る。


 僅かな出血、余計なものは取り払われ、まだ治るかもという幻想は消え去った。


 これで無駄な未練も残るまい。


 思ったのに、プシュチナは一歩飛び退くや、顔を下げ、シャツのない両手で右の眼窩を押さえる。


 ……それかファガバリと上げた顔は顔色取り戻し真っ赤で、左の目からは涙が流れてた。それから口を開いて、大きく息を吸って、それから吐き出されるのが息だけでないとは俺でもわかった。


 文字通り口を封じるため、左手を、そこに残る眼球の絞りかすを、プシュチナの口へと押し込む。


 むぐぅ。


 どこから出してるからわからない音を出して、俺の手を掴み抵抗する。


 面倒だ。このまま首を折るか。


 過ぎった瞬間、ゴクリとプシュチナは飲み込んだ。


 ……それで、大人しくなった。



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