【動く人体模型】の怪の、願い
◇ ◇ ◇
放課後、初瀬川葉菜子は殻田舞人と二人で、人気のなくなった特別教室棟を歩いていた。
初瀬川が生徒会室で面会を求めると、殻田はしばらく話を聞いたのち、その場を副会長に任せて移動を促したのである。
それはどうみても罠であり、少なくとも、対等な立場で話をしようなどという気はまったくないのが明白だ。
ようするに、この突然の来訪者を試しているのだろう。
そして初瀬川もそれに乗ったわけだ。
そうして着いた先は二階奥に位置する理科準備室。
もちろん周囲には誰もいない。
まさにこの教室こそが、【動く人体模型】の本拠地である。
「ようこそ、【トイレの花子さん】。わざわざこうして会いに来てくれたということは、自分に協力してくれるということでいいのかな?」
このように圧倒的に己に有利な状況を作っておいて、殻田は余裕の表情でそう笑いかける。それが殻田のやり方であり、したたかさである。
一方の初瀬川はその『怪の名前』を出されたことで一瞬顔を歪めたが、すぐに笑顔を作り直して微笑み返す。
「はい。そう考えてもらって問題ありません。あなたは以前、あの【魔の十三階段】の怪とやりあったという話も聞きました。それで、協力できれば、と……」
「ああ、なるほど……、あの転校生に懐いていた君がなぜここに来たのかわからなかったけれど、遠見がしゃしゃり出てきたことに嫌気が差したというわけか」
「……そういうことです。今の七白くんの周りには、余計な怪が多すぎますから、ちょっと掃除をしてしまいたいんです」
その声はあくまで静かなものだったが、それだけに込められた感情がにじみ出ており、聞いていると肝が冷えてくるものだ。
「もちろん、あなたの目的と噛み合わなければこの交渉も決裂なんですが、殻田さん、あなたは、この戦いの後に何を望んでいるんですか?」
「僕の望み、ねえ……。でもまずは【トイレの花子さん】、そちらの望みから聞かせてもらってもいいかな?」
再び初瀬川の顔がわずかに歪む。
だがその反応は、質問に質問を返されたことに対してのものではないだろう。
もっとも、もう殻田の方もそのことは承知の上だろうが。
表情を再び無に戻し、初瀬川は己の望みを静かに告げた。
「私の願いは、自分を消すこと……でした」
「でした? ということは、今は違うのかい?」
こちらが疑問に思ったことを、殻田も同じく口にしてくれる。
「今は迷いがあります……。七白くんと別れることが、受け入れられるかどうか」
「それはそれは、あの変な転校生も随分と気に入られたものだね」
呆れたように肩をすくめる殻田。
彼は初瀬川の不安に対し、完全に嘲っているようであった。
「まあ、君の考えはわかったよ。あの転校生の処遇をどうするかは置いておくとして、どうやらそこまで目的がかち合っているわけではなさそうだね。なにせ、僕の目的は、人間の肉体を手に入れることだからね」
受肉。それは元々聞いていたとおりの願いである。
遠見の情報はやはり本当だったようだ。
「君もそうだろうけれども、僕たち【怪】はあまりにもこの学園に縛られすぎている。いつしか学園の七不思議として意思を持ち、ただ怪として恐れられるためだけに存在していた。僕は、それを終わらせたくてね」
「でもあなたは、今もこの学園を支配しているんじゃないの? あれだけの取り巻きを使い、生徒会長にまでなって」
「ハッ、この学園を支配して、それがなんになるというんだい? 生徒たちはいつしか去り、再び僕たちは事象に戻り、いずれまた意思となってこの一時を『生きて』消える。それを繰り返すことがどれほど無為かは、君も充分知っているだろう」
「それは……」
その指摘に、初瀬川葉菜子こそなにも言い返せない怪であろう。
この怪の本当の願いである『自分を消すこと』も、まさにそれを否定するためのものなのだ。
もっとも、怪なら誰もがそれに対する答えなど持ち合わせていない。
怪は自分を否定するのだ。
……あの七白空は、どうだろうか。
「だから僕は人間にして怪となり、永遠を手に入れたいのさ。別に多くは望まないよ。ただ、今のようにこの世界で生き続けたいというだけのこと。ようやく巡ってきた、七不思議を揃えてしまうほどの『願いの力』だからね」
願いの力。
怪なら誰でも知っているこの学園に生じるイレギュラー。
強い願望を秘めた生徒が学園に現れた時、怪はその願いの力で蓄積された事象への念から意思へと変化し、こうして具現化する。
初瀬川も、殻田も、遠見も、私だってそうだ。
そしてその願いの力の結晶である他の怪を倒すことでその力を喰らいつくし、怪という意思は願望を形にする事ができるのである。
「あの転校生にも色々と思うところはあるけれど、まあ今は置いておくとしよう。しかし、それだけでは君をまだ信用する事は難しいね。君と遠見の間に、なにかしらのつながりがあるかもしれない。違うかな?」
その目的を語ってなお、殻田の態度は掴みどころがなく、それでいて疑念が滲み出ていた。
「なるほどそうですね……。では、私の方から一つ情報を。あの【魔の十三階段】の怪には、もう一体、協力者の怪がいることは知っていますか?」
「協力者?」
初瀬川も当然、喰いついてきた殻田の態度を見逃さない。
小さく頷いてみせると、ゆっくりと隠し持っていた情報を語り出す。
「殻田さんは【鏡に映る少女】の怪を、ご存知ですか?」
その名前を上げた時、初瀬川の顔は、まるで唾棄すべき物を口にしてしまったかのように歪んだ。
その怪に対しての本心が思わず形となってしまったかのようですらある。
フム、困ったものだ。
一方の殻田の方は、なにが起こったのかわからないといった様子で思わず初瀬川の顔を凝視する。
「いや、その怪については知らないな……」
「そうですか。実は、私が本当に倒してほしいのはその女の方なんです」
依頼というには、あまりにドロドロとした感情が込められている。
そのためだけにここに来たとでもいうような、執念にも似た何かだ。
「あの女の現象は光を操ること、それで剣を作り、光線を放ち、姿を自由に消す。水を操る私の現象では、相性が悪くって……」
語るほどに、初瀬川の言葉には怨のようなものが蠢いている。
「それで、殻田さんはいったいどんなことが出来るんですか? あの女に対抗できますか?」
その質問には、さすがの殻田も困惑を隠せないようであった。
あまりにも直球だ。
なんら取り繕うこともない。
なりふりなどかまっていられないという強い意志。
さすがの殻田も、初瀬川の暗い水底のごとき眼で見られては黙っていることもできなかった。
「対抗できるかどうかはわからないが、僕の能力なら他の生徒を使って彼女の動きを封じることくらいなら可能だろうね。その隙を狙って君がその怪を倒せばいい。そうやってもし彼女を倒せたならば、その時には願いの力はこちらに預けてもらえればと思うが、どうかな?」
それが、殻田の提案してきた条件であった。
共同で倒すにも関わらず願いの力を引き渡せというのだから相当に足元を見た条件であったが、初瀬川はさして悩む素振りも見せることなくそれに頷いた。
そこにあったのは、ただ己の目的にのみに心の槍を向ける、あまりにも直情的な一人の少女の姿だ。
怪としての大きな願いは既になく、目の前の障害を排除することだけが感情を支配しているかのようである。
ある意味では、怪が、より人間に近付いた姿といえるかもしれない。
「私はあいつを消して、七白くんさえいれば、それでいい。でも七白くんに危害を加えるなら、私はあなたを許さない」
「まあ、そうならないように気をつけることにしよう。では、これで協力関係は成立ということでいいかな?」
ゆっくりと、殻田はその手を差し出し、初瀬川も用心しながらそれを握り返した。
◇ ◇ ◇
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