七不思議 動く人体模型

「そんなわけで、今から生徒会室の印刷機を使わせてもらいたいのだけれども、そちらの都合はどうだ?」


 放課後、資料をまとめ、そんな嫌味とともに乗り込んだ生徒会室だったが、生徒会長である殻田は予想通り不在だった。

 副会長と思しき一般生徒が戸惑いながらこちらを見ているだけだ。

 仮にも副会長という役職なのだからもう少しシャキッとしてもらいたいものだ。

 こういう肩書負けしているやつは俺の一番嫌いなタイプだ。

「な、何事だ? なんだ、あんたは?」

「俺か? 俺は第三新聞部で記者をしている七白空。そろそろ第三新聞の次号を発行したいと思ってね。一応生徒会長様に確認を取り、あわよくばここの印刷機をお借りしようここまでやってきたわけだ。なにしろこちらは部室をなくした身だからな。で、会長様はどこだい?」

 わざとらしく生徒会室を見回してみせるが、もちろんどこにも殻田の姿はない。

「会長は今、要件があって席を外している。こちらで送って確認してもらうので、その第三新聞とやらを渡してもらえるか?」

「そういうのは困るんだけどな、なにしろ新聞は情報が生命なんだ。あんまり部外者に見せたくはないんだよ。まあ、そうは言ってもしかたない、早めに頼む」

 そううそぶいて見せながら、俺は手に持っていた第三新聞の仮紙面をその副会長殿へと渡す。

 なにしろ内容が内容だ。

 こちらの推測が正しければ、殻田がこれを見ればすぐにでも飛びついてくることだろう。

「『七不思議の対立! 鏡の中に消えた少女はトイレの花子さんにさらわれていた?』 なんだこれは?」

「なんだといわれても、見ての通りだよ。第三新聞部はそういった電波記事専門の学校新聞だからな」

 その表題に副会長殿は困惑しているようであったが、その向こう側にいる殻田にはこの意味は容易に伝わることであろう。

 副会長は戸惑いながらもその記事を携帯電話で写真に撮り、メールを送信する。

 どうやら完全に感覚を共有しているわけではないらしい。

 奴の支配力もそこまで万能ではないということか。

 それとも、これも自分の能力を偽装するためのただのアリバイ作りかもしれない。

 そんなことを考えている間にもう返事がきたらしく、副会長殿がいかにも事務的な態度でこちらに話しかけてきた。

 この食いつきの良さからも、殻田の奴が新聞の内容を相当意識していることがわかる。

「内容について少し直接確認したいことがあるようなので、会長の元へ行ってもらえないか。我々も、会長に用事があるのでそこまで案内しよう」

 まるで機械人形になったかのように、彼は抑揚なくそう告げるとこちらの意思知ったことかと言わんがばかりに歩きはじめた。

 それこそがまさに、殻田からのメッセージそのものといえるだろう。

「さて、いよいよ本丸突入となるわけか」

 俺は俺で廊下の向こうで待機していた遠見と有真に合図を送る。

 まあつまり、今から決戦に向かうのである。


 目的地である理科室へとたどり着く頃には、俺の周囲にはいつの間にか6人ほどの殻田の取り巻きがまとわりついていた。

 一般生徒を巻き込むのは本意ではないが、まさにそれこそが殻田の狙いなのだろう。

 人間の盾、というやつだ。

 まったくもって卑劣な輩だ。やはり俺の一番嫌いなタイプだ。

 とはいえ、これでも遠見たちの動きによって集まった数はかなり抑えられているはずである。本来なら100人単位で集まってもおかしくあるまい。


 理科室に入ると、そこには殻田ともう一人、【トイレの花子さん】の怪、初瀬川葉菜子がいた。

「初瀬川? なんでお前がここに……?」

「七白くん、あなた、一人で来たの?」

 その意外な場所での再会にお互いに驚いていたが、一方でそれを見た殻田は余裕の笑みを浮かべて俺に対して言葉を向けてくる。

「まいったね、転校生。君とはあまり戦いたくないのだけど」

 そこに滲む態度は、完全にこちらを見下した、勝ち誇ったものだ。

 随分と余裕があることで。

 ならば、俺も負けずに言葉を返すしかない。

「たい焼きの件といい、やはりアンタとは気が合うみたいだな。こっちも無駄な争いは嫌いだし、さっさと第三新聞部の部室を返してもらえないかね」

「なるほど……まあ、その件に関しではこちらもやぶさかではないよ。それより、君の方こそそんなくだらない新聞部など辞めて、僕に協力しないか。七不思議に興味があるのだろう? 僕と君はきっと上手くやれると思うのだけれども」

 相変わらずの笑顔で殻田はそんな提案をしてくる。

 そしてそれと同時に、俺の後ろで待機していた操り人形の生徒たちが無言のまま威圧的に姿勢を正す。 

 ああ、やはりこいつはなにもわかっていない。

 そんな態度で、いったい俺と何を話し合うというのか。

 おそらく、この先も答えは永遠の平行線だ。

 そこに考えが至ると、全てが面倒になった。

「ああ、そうだな……」

 そして俺はちらりと後ろの様子を確認し、そのまま勢いをつけて殻田の笑顔を殴りつけた。

「なっ……」

 吹き飛びそうになりながらもその場でこらえる殻田。

 たいしたものじゃないか。やはりなんだかんだで七不思議の怪ということか。

「これが俺の答えだ」

「き、君は自分がなにをしたか理解しているのか?」

 頬を抑えたまま後ずさり、間合いを取った殻田がこちらを睨みつけてくる。

 なかなかいい顔だ。その顔が見たかった。

 なので今度は俺のほうが殻田に笑いかけてやる。

「いけ好かない生徒会長様の顔を殴りつけた、と理解しているが。理由? アンタに従う気はさらさらないってのが、これ以上ないほどにわかりやすいだろう」

「せっかくの提案を……。君がそのつもりなら……こちらも対処法を考えさせてもらおう」

 先程までの浮ついた雰囲気と打って変わったような押し殺した声で、殻田はゆっくりと俺の指差し、そして告げた。


「【人形と人体の論理】の時間だ、七白空くん」


 だが、自信に満ち溢れた声と裏腹に、後に残ったのは奇妙な沈黙だけだった。

 6人の生徒たちが呆然と俺と殻田を見ている。

 もちろん、実際にはなにも起こらなかったわけではない。

 ただこいつらにはなにも見えなかっただけである。

 俺の眼はその時、幾つもの透明の腕が殻田から伸びてくるのを感じ取った。

 しかしそれが俺の身体に触れた瞬間に、その腕はそこにあった存在自体が消え失せたのだ。

「なるほど、それがアンタの【怪の力】というわけか……」 

「何故だ!? 何故君の心を捕まえられない!? どういうことだ……君は、君は七白空ではないのか?」

 慌てふためく殻田の言葉に対し、俺はただ苦笑いを返す。

「おいおい、アンタまで俺の唯一の記憶を否定してくるのか……、まったくどいつもこいつも。俺は七白空、それだけは間違いないはずだ」

「唯一の記憶? そうか……君はもしかして、記憶が無いのか?」

 俺を見る殻田の目が疑惑と困惑、そして小さな同情の篭ったものになる。

 なにが記憶が無いのか、だ。俺をそんな目で見るな。

「アンタにそれに答える義理はないな」

「そうか、記憶が無いのか……」

 そんな俺の返答など聞こえていないかのように、殻田はぶつぶつと考えを口に出し、独り言を続けていたが、やがて何かに気が付いたらしく、不意に言葉が止まる。

 そしてゆっくりと、その目が俺の方へと向けられた。

「……なるほどそういうことか。そこの【トイレの花子さん】が君に興味を向けるのもわかった気がするよ。転校生、いや七白空くん、君は実に興味深い」

 殻田はそういって再び笑った。

 俺の目に写ったその笑みは、恐ろしいほどに、親愛のそれに類似していた。

「あらためてもう一度聞こう。僕と一緒にこの学園の【怪】の力を分け合わないか。君が望むなら、僕にできることはなんだってしてあげようじゃないか。記憶でも七不思議の謎でも、なんだってだ」

「なんだって、ね……。まあそもそもの問題として、俺はアンタを信用できないし、それ以上にいけ好かないんでね。答えは変わらず、お断りだ」

 こいつが記憶が無いことをどう捉えたのかは知らないが、少なくとも、俺にとって愉快なことなど一つもあるまい。

「そうか、それは残念だ。では今度はあらためて【トイレの花子さん】にも聞くとしよう。ここで僕は七白空くんを無力化し、僕の駒として手に入れようと思う。それはおそらく危害に当たらないと思うが、協力してもらえるかな?」

 俺に振られた殻田は、今度は自分の横に立つ初瀬川にそう問いかける。

 その顔は魔力が込められているかのように薄ら寒いほど爽やかで、一般人の女子なら、力など使わなくても落とせるかもしれない。

 しかし、相手は【学園の怪】であるということを差し引いても、頭のネジの飛んだ少女である。

 初瀬川は少し困った素振りを見せたものの、少し考えた後、まるで小馬鹿にするかのように肩をすくめてみせた。

「それはあなたの理屈ですし、なにより、七白くんをそんな風にモノ扱いするのは私の考えとは相慣れません。なので短い間でしたが、協力できるのはここまでですね。あなたはもう敵です。あと、【トイレの花子さん】呼ばわりされるのも、いい加減我慢の限界です」

「やはりそうか、残念だよ……。でもまあ、それも仕方のないことだろうね。もちろん、最初からこの状況も想定内だったけれども」

 強がりか、それとも本心か。

 殻田は表情を変えることなく、ひとつひとつゆっくりと言葉を口にして、その意志へとたどり着く。

「だが、なにしろここは僕の領域だ。欲しいものは、力づくで手に入れるまでだ」

 それはまさに決断の言葉であり、殻田のその顔つきが変わるとともに、部屋に充満した空気そのものが塗り替えられる。

 ここはもはや教室ではなく、【怪】が潜む人ならざるモノのための領域だ。

 そして【怪】は、堂々と目の前に立っている。

 その空気に飲まれたのか、背後にいた6人の生徒が完全に意識を失い、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちる。

 そしてゆっくりと、彼らの意思とは無関係に立ち上がってくる。

 その顔や身体は無数の例の透明の腕にガッチリと掴まれており、それらがまさに手足のごとく彼らの身体を動かしているのだ。

 なるほど、これこそが殻田の能力というわけか。

 あくまで他人を使おうという魂胆らしい。


 一方の初瀬川も自分の能力を誇示すべく小さな右手を小さくかざす。

 それを合図に理科室の机に据え付けられた蛇口が轟音を立てて水を吐き出しはじめ、溢れた水が宙へと昇って理科室の天井に一匹の龍の姿を形成する。

 俺は、その龍を知っている。

 俺を殺そうとした、恐るべき存在。

 水の龍はあの時と同じように暴れ狂い、そのまま殻田を喰らい尽くすべく向かっていく。

「えっ……」

 だがそれは殻田まで届くことすらなかった。

 次の瞬間、水の龍は空中で突如カサついた白い塊となり、そのまま崩れ去ってしまったのだ。

 殻田の透明の腕の群れが龍を取り囲み、それが触れた箇所を水ではない何かへと変質させたのである。

 流石にそれには初瀬川も一瞬顔をひきつらせる。

 目の前には、水溜りの代わりにできた白い小山。

 そしてそれを挟んだ、二人の【怪】の対称的な表情。

「さっきも言っただろう、ここは僕の領域だ。君に勝ち目はない。諦めたまえ」

 生徒会長の時とは違う、【怪】としての無機質な、それでいて自信に満ちた顔で、その【動く人体模型】の怪は静かに宣告した。

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