N幻目「弾語幻(パワーコード)」

F-1

 ***


「この棚はこっちですか?」

「そう。あと、花瓶に水入れといてね」

「はーい」


 今日はようやく俺達の部活が、仮ではあるが認められ、部室が用意された日である。今は引っ越しの準備と言うか、これから使用するのだから掃除でもしておこうと思って大きな家具を動かしたので、元に戻している最中である。しかし、どうせなら俺達の好みの配置に変えてしまおうと画策しているのだけれども、実際は先輩の指示通りに並べ直しているだけ。普段ここまで重量級の物を動かすために持ち上げたりしないため、もう腕がプルプルである。きっと一人だったら腕の骨が数本逝ってしまっていただろうが、第一探偵部が助っ人として力仕事に従事してくれたことでそれは免れた。非常に感謝している。


 しかし、いくら模造品でしかない似たり寄ったりの部活が出来たからといって、わざわざ本家の方が出向き、さらには塩を送るでもなく陣の整備に手を貸す必要はない。無論、その辺のごく普通の高校の当たり障りのない部活であればこのような疑心暗鬼的思考は必要ないのだが、少し前にあの部長さんから宣戦布告とも取れる被害を被っているのだ。それは危うく俺達の部が始まる前に終わらせ、二人が暫く自宅軟禁になる若しくは退学になる可能性を容易に想像しうることのできる陰謀であったからなおさらである。


 だが、彼女は部員の男手を今後の友好関係を示すかのように送ってきた。……本人達は気だるそうな表情を全く隠さずに来たんだけどな。


 今日で、あれから五日も経ったことになる。かの事件の始まり、つまり榊原が第二探偵部を訪れたときから数えると一週間と一日が経過していることになり、この年で時間の早さを嘆くような日々を過ごしていたことになる。


 彼女、――宮下部長が去ったあとすぐに俺は走り出したのだが、その足はいきなり停止させられることとなった。俺のポケットがもう大丈夫だよ、と震えたのだ。




 ――「先輩は今どこに……榊原はどこに行かされたんだ……」


 捨て台詞によって焦躁に駆られた俺は走り出し、すぐに足を止めて耳にデバイスを当てる。


「先輩!今どこに――」


「大丈夫。もう終わったから、こっちは大丈夫だよ。榊原くんは一応警察にお願いしたけど、多分すぐに釈放されるんじゃないかな。サキさんにも怪我はないし、自分でダイスケくんに電話してたから後は本人に任せようと思う」


 どうやら、これで危惧された最悪のシナリオは避けられたようだった。


 俺達第二探偵部は依頼人をやや暴走させはしたが、怪我人を一人も出すことなく、無事に事件を解決した。……記事に書かれるのであればこんな感じだろうか。だが今回の事件で怪我がなかったのは俺達第二探偵部の方であり、事件の関係者である榊原、サキ、ダイスケ、彼らのバンドであるエースエッジ、それと大友町。彼女彼らは誰一人して救われず、ただ嘘で創られた欺瞞的幻に隠れていた現実を突きつけられただけ。ほんと、救いがない。


「そうですか、分かりました。先輩も無事でよかったです」


「あれ?私がどうやってやっつけたのか知りたくないの?」


 やっつけたって。そりゃあ、どうやって制圧したのかは気になりますよ。榊原は何らかの武器を所持していたんだろうし。


「いや、そこは心配していなかったですよ。先輩が無謀な真似をするとは思えませんでしたし、何か策あっての行動かと。ただ、場所の見当をどうやってつけたんだろうと思いまして。場所によっては、逆に先輩が危険になるんじゃないかと――」


「ふふっ」


「――え? 何がおかしいんです?」


 先輩はもう一度同じように笑いをこぼしてから言った。


「マンション」


「マンション?」


「そう。マンションだよ。ほら、あの写真の部屋。うっすらとだけど、窓から狸小路の掛け看板が見えるんだよ。看板が見えるってことはある程度高い場所であること。居住区であることからマンションである可能性が高い。だからあの部屋はマンションの二階以上の部屋で、狸小路が見下ろせる場所にある。ここまで条件が絞ることができれば、場所の見当はその写真からある程度推測がついたってわけ」


 なるほど。さすがだな。その一方で俺は散らかっている物の方ばかり見ていた。一番目立つギターとか、かみくずに書いてある文字を読み取ろうとしたり、立て掛けてある写真を注視したり、消灯しているテレビの画面には何か写っていないかとか、何かピンク色の布地があるけどあるはパンティだろうかとか。とかとか。


 きっと窓にも目は向けたはずなのだが、見落としていた。俺もまだまだであり、所詮は助手止まりってわけだ。


「先輩」

「ん?」


 俺は口元の神経をゆったりと緩ませて言葉を選ぶ。


「気をつけて帰ってきてください。学校で待ってます」


「うん」


 ――以上が後日談である。別にこれと言った出来事があったわけではないが、何もなかったわけでもない。


「うん。これでだいたいオッケーかな。みんなありがとうございました。助かったよ。あっ、もちろん恒は残ってね」


「では、僕たちはこれで」

「失礼します」

「じゃーなー、シューズー」


 手伝いに来てくれた第一探偵部のメンバーは肩を回したり、うなだれたり、思いき切り手を振ったりして帰って行った。あと、最後の中学時代の俺のあだ名を叫んでいたことについては聞かなかったことにした。無視することを決め込んだ。いや、だって、俺あいつのこと知らないもん。彼は一方的に俺のこと知ってるみたいだけど、俺知らんもん。




 いつの間にか時間は五時を半分近く消費しており、夕陽が眩しく思える時間帯になっていた。思っていたよりも掃除に時間が掛かってしまったことを実感した。


 旭風藻盤高校・第二探偵部の新しい部室は校長のお下がりである。そのため、いよいよ新環境だ!とわくわくすると言うよりかは、どうにも緊張してしまうのである。これは生徒としての性か。職員室に気軽に入れず、先生方の目線を気にしてしまうのは俺の性だからか。


 いやまあ、どちらにしてもここには俺と色内先輩の二人しかいない。それでも俺は高そうなソファーに座るのは何故か気が引けてしまったので、借りてきたパイプ椅子に座ることにした。


「恒、そういえばメール来た?」

「ええ。はい、きました。サキさん結局二人とも振ったそうですね」

「ほんとね。でも、榊原君とはバンドを組んでるみたいよ」

「え? そうなんですか。……じゃあ、エースエッジは本当に解散したのか」

「これからに期待しよう」


 本当に。今回救われなかったからと言って、今後一切救いがないというわけではないだろう。それでは彼らがあまりにも悲しすぎるから。せめて努力が報われる日が来ることを祈るばかりである。


 先輩はふう、と一息ついて手元のペットボトルを一口飲んだ。それから思い出したかのように俺に尋ねた。


「そういえば、なんで宮下が黒幕だって、恒は分かったの?」

「ああ、それはですね――」


 それはとても単純なことである。何も捻ったようなことではない。写真と四文字の平仮名からなる暗号ほど難解ではないし、証言者が嘘をついているようで本当のことを言っていたがそのすべてが作られた嘘だった、みたいなややこしい話でもない。簡単に話せば彼女は俺に対して事前に接触してきていたのだ。それは俺たち二人が不思議な出来事に遭遇し、この状況打破すべく体制を整えようと探偵部を創部しようとした時であった。まだだれにも話した覚えはなかったのだが、俺は当時探偵部部長であった宮下先輩に声を掛けられたのだ。


『私たちの方が先だからさ、もしそのまま進めるつもりなら頭に〝第二〟とかつけてね』


 廊下ですれ違った時に突然言われたので、その時の俺は自分に掛けられた言葉なのかどうかさえ判別に悩んだのだ。確かに、この言葉がきっかけで校内の部活を調査し、すでに探偵部があることを知ったのは事実。助言通り第二と頭につけることもそのまま愚直に実行した。


 俺はこのことを思い出したのだ。なぜ、このようなことをしたのかを考えていた時に浮かんでいたのが俺たちの部活をどうにか意のままに操りたいのでは、支配したいのではないだろうか、と浅はかではあるが一度考えた。そして、これと第一探偵部の部長の行動が一致しているように思えたのだ。だから、半分ぐらいはったり勝負だったので、彼女が本当に眼鏡を外してくれた時にはこぶしを握るほどの喜びがあった。


「だから、電話をかけてって言われた時は結構戸惑っていたんですよ。結局榊原と宮下先輩に電話して正解でしたけど」


「そっか。恒には話していたんだ」


 俺は先輩がちょっと悲しそうな顔をしていたので、今度は俺が思い出したような仕草を見せた。ギシギシとパイプ椅子の音を立てて立ち上がり、隅に立て掛けておいた一本のケースのチャックを開き、中の物を抱えて戻ってきた。


「ん? どうしたの、それ」


 先輩が言っていたのは俺が抱えているギターのことだ。先ほど物を運んでいる途中で会った先生がそう言えば自慢げに話していたことを思い出したので、創部を祝いたいとかなんとか言って借りてきたのだ。


「これは、この間のレスポールとは違ってアコースティックギターですけどね。さっき先生から借りてきたんです」

「恒、弾けるの?」

「簡単な曲でしたら。ああ、コードを抑える程度ですよ」

「いいよ。弾いてみて」


 ギターの弦をピックが六弦から順に五弦、四弦、三弦、二弦、一弦と弾いた。俺は少し調律してからもう一度掻き鳴らし、左手でコードを抑えながら和音を奏で始めた。


 曲はスピッツのチェリーという曲。初心者の壁と言われるFのコードが出てくるが、そのほかは非常に簡単なのだ。基本的なローコードとFコードで弾けるため、初心者向けの曲だと言えよう。十六ビートの練習にもなる。とは言っても、俺はこの曲以外弾けないんだけどね。

 

 Fの時だけ妙に音が上ずる弾き語りがこっそりと響いていた。重厚な扉と壁に遮られて、たった一人の、目の前の女性のためだけに俺はただ歌った。だが、俺はこうしていると、こうしているこれは現実ではないのではないかという錯覚をおぼえてしまうことが、たまにあるのだった。いつからお前が見ているものが現実だと思っている? 生まれた時からか? 一番古い記憶がある時からか? 今見ているこれが現実ではなく、どこか遠くの異世界で、本物の現実は、実はどこかにあるのだということを否定することはできない。つまり、そういうことだろ? ってね。どうにも下らない妄想なのだが、ライブハウスや部室のような閉鎖空間だと勘違いしてもおかしくない気がしていた。俺はギターを弾きながら覚えた不安に、少しだが彼らの気持ちを理解できたような気にさえなっていた。


 歌は終盤となり、俺のギターが走り始めてしまう。


「――ささやかな喜びを――」


 F・F・C・G


「抱きしめ、てー」


 最後に両手それぞれで弦をしっかりとミュートして綺麗に余韻を残せた。この部屋に残っている音は先輩が手のひらで叩く音だけ。


「どうでした」

「七十九点」

「あと一点は?」

「努力次第」

「……頑張ります」


 この際だから、もう少しギターやってみようかな






 幻隠しっ! 了


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幻隠しっ! 小鳥遊咲季真【タカナシ・サイマ】 @takanashi_saima

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