六幻目「絞扼幻(チョーキング)」

Eー1

 俺は先輩が横断歩道を渡っていくのを見届けながら電話の向こう側にいる相手に自分の名を名乗った。

 

 「沓形です。――先日は、はい、はい。――そうですか。わかりました。では、よろしくお願いします。駅前で待っています。失礼します」

 


  二本目。

 

  ……、……、……。

 

 「――でないな。くそっ」

 

 二人目の掛けるべき相手である榊原は出なかった。俺にこれ以上してやれることはなく、先輩が間にあうことを祈るばかりだった。

 

「一応メール打っとくか……」


 俺は先輩に裏は取れたとメールを一応打っておいた。しかし、学校の授業をサボタージュするという確信を持ったうえでの行動だったので、参考程度にしかならないだろうけど。


 榊原が伝えたかったこと。それは一度だけとはいえ内部のメンバーとなったエースエッジの他のメンバーの人間関係についてである。簡単にまとめるとサキと他二人の男子が交互に交際をし、サキが別にバンド外で作った彼氏をバンド内に引き込むことが多々あったということ。当時無名で名の上がらない大友町のバンドはサキの彼氏がバンドのメンバーであり、大友としては他に共に活動してくれる相手もなく、音楽を続けるためにはそれを受け入れざるを得なかった。最終的にはサキによって追い出されてしまったが。


 バンドマンというのはなぜもこうなのだろうと榊原は思ったのだろう。だがそう思ったのは榊原だけではない。俺も思った。目の前の快楽さえ享受できればそれでいいのか。中途半端に満足している連中ってのはどこでも同じなのかと、思わざるを得ないエピソード。作り上げられたエピソード。俺はこれからその脚本家と顔を合わせる。


 二本目の電話を切り上げた俺は気分と共に顔を落ち込ませた。自動車のタイヤがこすれる音が目の前を通過していき、遠くからは救急車のサイレンが聞こえてきた。きっと、五分にも満たない時間だったのだろうが、俺にとっては久々の何もない時間だった。ただ周りの音を聞く。ちらっと、周囲を見渡してどうでもいいことに関心を寄せたら、また何も考えない。寝ている時よりも情報が整理できる時間だと、俺は常々感じている。


 バイクのエンジン音が複数聞こえた気がしたあとに、風が吹いた。女の子のスカートでもめくってしまいそうな、いたずら好きな風。この風が過ぎた頃、俺はやがてその顔は上げることになる。


「おはようございます、沓形くん」


 朝の忙しなさを象徴する人々を挟んだ先の、すぐ目の前に彼女はいた。先ほど電話を掛けたばかりの相手が居た。時計の針が九時を大きく回ったこの時間であれば、彼女も本来なら学校に行くはずであったであろうに。真面目で無断欠席などしなさそうな優等生。第一印象はそんな感じであった。きっと、さっきまで学校へ向かおうとしていたのは事実で、その証拠に学校指定の制服に身を包んでいる。今日一日何もせずに結果だけを知るつもりは毛頭なかったらしい。


 自分の前にスクールバッグを手にし、縁のない眼鏡を掛けている。この眼鏡が顔の美貌と輪郭をはっきりさせている。きっと、眼鏡を外した時に、彼女は視界以外の他の部分でもぼんやりとしてしまうだろう。この雰囲気を作り出しているのはきっと長髪の綺麗な黒で、そこから風が静かに音を立てて現れているようだった。その端麗な立ち姿はどの角度から見ても、育ちの良いお嬢様とかそういう出で立ちだった。


 俺は彼女に浅く、それでいてしっかりと礼をした。


 ようやく会えた。彼女が今回のシナリオライターであり、脚本家を務めた第一探偵部部長さん。


 

 黒幕だ。



 ***



 色内は到着するなりマンションの玄関入口に自転車を止め、郵便受けから部屋番号を割り出し、三階であると判明するなりオートロックを解除して非常階段へ。鍵がかかっていたはずの部屋に駆け込んだときには、すでに榊原がサキさんに向けて日本刀を向けていた。色内は肩で息をしながら叫ぶ。


「榊原!」

「……! なっ。てめえ、どうやって……? おい、動くんじゃんねえ!! 殺すぞっ!」


 刃先が今度は自分の方に向けられたが、色内はそれよりも呼吸を整えることに神経を使った。


「――そう。やっぱり恒の言うとおりだった。榊原、もう私がこの状況を見たからもうこれ以上何も言う必要はないはずだけれども――」


 その向こう、俺は第一探偵部の部長と向かい合いながら言う。


「先輩。先輩に学校をさぼらせるようなことをさせてしまってすみません。それでもあなたはここに来てくれた。一度も面識のない俺に会いに来てくれた。まあ、入部希望をお渡しするつもりでも、友達になるためでもありませんがね」

「そうだね、初めましてだね。――沓形恒くん。噂はかねがね」

「はい。初めまして、第一探偵部部長の手宮先輩」


 俺は全力で微笑み、それから表情を一度閉じた目を開けた瞬間に元に戻した。


「なぜ俺に呼ばれたのか、ここに来ている時点で大方分かっているとは思いますが――」


「「一応」」


 と一人は拘束された少女を開放しながら、もう一人は作り直したしっかりと笑みだけを向けるべき相手の目を捉えながら前置きをした。二人はと前置きをしてから一方的にそれぞれに対して話を始めた。


「皆、全員が勘違いしているようだから今回の騒動の全貌を一応話すことにします。大友さんはエースエッジの元メンバーでギターとヴォーカルを担当していた。だけど、バンド内の人気をさらっていたのは隣でリードギターを弾いていたサキの方。実力に劣る一方、それでもいなければバンド活動が続けられないため、サキさんは大友さんを仕方なく受け入れていた。大友さんの実力と人気のある容姿を持つサキさん有するエースエッジは徐々に人気を博していく。バンドの顔になり、エースエッジを私物化していたサキさんは、他のバンドのメンバーを気分次第で変えた。その時にヘルプという名目で一度だけ入ったのが」


「「榊原」」


 榊原はこの話を大人しく聞いていた。彼の身になって言えばこの話を聞くことしかできなかった、というのが正解。その手に自由はなく、握られている刃物も握られているだけで不憫な有様。目の前にしている天使のごとく翼を広げた少女の話を聞く以外、彼に選択肢はなかった。


 彼方、沓形は続ける。


「呼ばれた理由は単純さ。バンドそのものに人気が出てきて完全に自分のバンドにしたかったサキさんは、観客の常連であり、男子四人でバンド活動もしていた榊原に音楽スタジオで偶然を装って接触し、ヘルプを要望。榊原がエースエッジの常連となったのは大友さんが目当てだったからだと看破したサキさんが二人を引き合わせ、自分のことは棚にあげ、真面目な大友さんに言い掛かりをつけた。これを理由にして、要はこじつけて追い出したわけだ。大友さんが抜けたあとにサキさんがギターとヴォーカルを兼任。エースエッジ二代目ギターヴォーカルとして活動再スタートさせた」


 問題は榊原がリードギターのヘルプで入った日。大友町が退団するきっかけとなった日。そしてその後エースエッジが一度解散し、再結成する日だ。


「しかし、榊原が一方的に恋心を寄せたのは間違いなく、紛れもなくサキの方だった。だが彼女は学外の人で、成り行きで同じバンドで共演したとはいえ、一度会っただけで親しくなることが、榊原にとってはハードルが高いように思えた。そこで榊原は探偵部に相談に来た。俺達第二探偵部ではなく、先輩方の第一探偵部に」


 ここで歪んだ。全ての現実が歪んで見えるようになり、その姿が現実であるように思い込まされるようになった。


「あなたは思い込んでいたのよ。思い込まされていたの。あなたが本当に恋心を寄せたのはサキさんの方よ。――そう、今目の前にいるサキさん」


 純愛ほど美しそうにみえるものはない。本来向けられるはずではない、大友に向けられた榊原の勘違いは本当に勘違いであり、ただの独り善がりで、迷惑でしかなかったのだ。


 間違いだった。


 このように仕向けたのは初めに榊原から相談を持ち込まれた第一探偵部の部長。よって、彼女が黒幕ってことになる。


「全てはサキさんがエースエッジの全てを手にし、大友町が彼氏を作ったのはバンドに対して真剣ではない証拠だからと追い出し、サキさんに惚れたはずの榊原に好意を抱いているのは大友町の方だと思い込ませたのよ。ここまでは我が校の第一探偵部部長の思惑通りってこと」


「動機は第二探偵部が正式に発足する前に潰すため。元々一つしかなかった探偵部が二つになったことで自分たちが第一と呼ばれるようになり、存在意義が失われることを危惧したのだろう。だから相談者である榊原の置かれた状況を利用し、俺達に相談するように勧め、最後は榊原に叶わないならば永遠のものにしてしまえばいいのだ、と吹き込めば完成」


「あなたたちに取ってはちょっと身に覚えのないことだと思うけど、これが真実。榊原さん。ほら、あなたの想い人はこの人だよ。大友さんじゃなくて、サキさん」


「そ、それじゃあ……その大友っていうのは……」


 榊原がようやく発することができた言葉はこれだけだった。


「実際にはいないことになる。いや、彼女はずっと前に亡くなっています。少なくとも十五年以上前に」


 大友町は死んでいる。これもまた、事実。


「このことについては、俺がインターネットで初期情報を集めようとしたときにほとんど名前や情報が出てこなかったことが発端。最後までずっと残っていたのだけど、ついさっきようやく見当がついた。この疑問の中で最も顕著だったのがSNS。友人や親族の書き込みに名前ぐらいであれば僅かに出てくるが、でもそこからじゃ容姿さえ判明しない程度。ましてや自らの名義で書き込んでいる形跡などなく、ここから俺は大友が現代に馴染んでいないか。若しくは現代の人間ではないかと推測していた。初めは前者だと思っていたんだが、先輩が誰も間違ったことは言っていなかったって話で、俺はようやく腑に落ちた。後者が事実だとすれば、一番の疑問はダイスケがなぜ大友のことを知っていたのか。それはもちろん、教えてもらったんだ。ですよね、先輩」


 榊原に相談を受けた時、初動の情報収集で彼女はエースエッジとの関わりを知った。これを利用する目的で彼女は榊原の依頼を受諾したってわけ。


「事件を起こした榊原と第二探偵部と度々接触していたことがわかれば、正式な発足は幻になるのは目に見えている。あんたは、今日の実行を待つばかりだったってところだったんだろ?」


 榊原がたとえそれを心のなかで永遠とし、溺れる人生を選択したのだとしても、告白の意義が後悔をしないための自己満足だとしても、いずれにしても大友町からはただ気持ち悪がられるだけ。だったら、誰も救われることがないのなら、その手で全てを夢の中にしてしまおう。幻でしかなかった現実を現実の幻に。


「だけど、どうしても分からないことが一つある」


  榊原と大友は一度もあったことない赤の他人。一方のサキと出会ったのはたった一度だけ。写真もその時に撮ったもの。バンドのヘルプに来た時に出会っただけ。榊原は一方的に想いを寄せるが、榊原は自分を守るために現実を歪めた。そこで墓に刻まれた名前を使ったのだ。大友町は交通事故で亡くなっており、それは十五年以上も前の話。スマートフォンもエスエヌエスも普及していない時代だ。


 榊原の依頼を利用した計画的な第二探偵部廃部計画だった訳だが、ここで疑問になるのは次の二点である。


「榊原の本当の依頼は何で、それはこれで達成されるものだったのか? なぜ故人である大友町さんの名前を使用したのか。例えば、先輩の知り合いだったとか?」


 部長さんはこの問いには真っすぐ答えてくれた。とても正確に。非常に淡泊で客観的に。


「あなたの推測通り。ただ墓に刻まれていた名前を拝借しただけよ。誰でもよかったと言えば語弊が生まれるけど、少なくともその人が誰なのか分からない方が都合は良かったからそういう人選だけは慎重にしました……うんと、ごめんなさい。この回答で期待に沿えているか不安ね」


 彼女はこう言ってから眼鏡を外し、今度は俺がその目を向けられて「あなたにだけ」から始まる話しをされる番になった。

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