B-2

 虹別色内は走り出した。真っ直ぐ続いている通学路を無視して左へと曲がっていった。


「何も間違っていなかった」


 と呟いたとおもったら、突然走り出すものだから俺は出遅れた。十歩ほどの遅れで再び横並びになる。おおよそ四秒ほど掛かった。俺にとってこのわずかな時間は原稿用紙五枚分にも相当した。刹那に膨大な焦りを感じていたため、恐ろしく恐怖していたのだ。確かに掴んだはずの石化した鉱石が砂となって崩れたのは、何が間違っているのか分からずに、泣きそうになる空白の恐怖であった。俺は必死に先輩の背中にすがるしかない状況だった。


 先輩は俺が隣に並んだ気配を感じとると、持っていたスクールバッグを俺に向かって放り投げ、立て続けにこう言った。


「大友さんとサキさんは別人物だったのよ。榊原が差し出した写真の人物はサキさん。恒が出会ったバンドのメンバーとの話を聞く限りこれは間違いない。そして二股をかけているってのも恐らくは恒の推理通り。嘘をついた動機も多分間違いない。でも、榊原がたすけて欲しいのはサキさんじゃない。彼女とは一度会ったきりのはず。たぶんサキさんと何かあって、あの写真を撮ったときだと思う。元バンドのメンバーだっていっていたけど、それはヘルプで入った一度だけ。榊原はメンバーが男子だけのバンドに所属して活動していたのよ。彼はその時に勘違いを起こした。エースエッジの仮メンバーとなった際に『メンバーの一員のつもりで、がんばろう』みたいな言葉をきっとかけてもらったんだ。そしてそれが勘違いと歪みの原因」


 つまり、俺が大友だと思っていた人物はサキという名前の女性ではあるが大友町という名前ではない。そしたら、それじゃあ、


「それじゃあ、大友町っていうのは――」


 誰だよ。


 先輩は混乱する俺に向かって指示を与える。それはそれは、見惚れてしまいそうな静かな微笑みと共に与えられた。


「恒の推理は間違っていない。大丈夫だよ。恒もただ勘違いしていただけなの! 思い込まないで、もう一度意味を捉えなおしてみて」


 意味を捉えなおす。大友町の意味。榊原が助けを求めたのは大友が誘拐されたから助けて欲しいということ。思い込んでいた大友はサキという榊原の彼女であり、ダイスケの元彼女で今も関係を続けていて、それから元バンド・エースエッジのメンバーで……。


 元? 今はエースエッジはどうなっている。解散はしたが、もしもまだその名で集まっていたら。


 さらに、ダイスケの不倫相手がサキであるのなら、榊原の彼女っていったい誰になるんだ……? まさかサキはダイスケと榊原のダブル不倫をしていたってことに……。


「ねえ、大友さんの死因は交通事故だったよね」

「ええ。でもそれはダイスケが咄嗟についたやつで――」


 いや、違う。サキは大友ではない。榊原が助けてほしいのはサキではなく大友だと言った。榊原の彼女はサキではなく大友だ。そしてダイスケもサキを大友だと言った。


 なぜだ。

 

 嘘をつくにしても知り合いならば俺が写真を見せて大友町だと言った時に、すぐに疑問を抱いてもいいはず。こいつは何を言ってるんだ、大友って誰だよって言うはず。榊原の彼女が大友で、ダイスケの元彼女がサキ。もしもダイスケが大友町のことを知っていたとするのなら……。大友は二人の共通認識の人物でプロレベルの歌唱力があるのは大友町の方。サキっていうのは男が好きそうないかにも可愛い系の女子であり、演奏の話は今まで出ていなかった……。

 

「――榊原は最初から別の女性の話をしていたのか……?」

 

 ダイスケが大友の名を知っていて、俺がサキを大友だって言い張ることを利用したというのは真実。サキの写真を大友だと刷り込ませたのは榊原だ。だが、それでも疑問は残る。ダイスケは大友が今現在どこで何をしているのか知っている可能性が高い。だとしたらなぜ交通事故って言ったんだ。他にいくらでも言い様はあったはずだし、わざわざ死んだことにする必要もなかったはず。サキのことを大友にするのであれば、縁はとうに切れた。連絡先なら知っているぐらいでその場を済ませることもできたのに。

 

「大友町はすでに死んでいるって――まさか」

「恒、すぐに電話を掛けてもらえる? もしも、私のかんちがいじゃなかったら――」

「はいっ」


 俺は駆け足になっていた足を少し緩め、慌てふためきながら急いでスマホを取りだし、最近手に入れたばかりの連絡先を二件確認した。どちらが先かやや逡巡したが、その内の一件をすぐに選んで掛ける。呼び出し音のコールがなっている間に俺は先輩に返答する。


「先輩。多分勘違いじゃないですよ。確かにこれは急いだ方がいいかもしれない。場所の見当は付きますか?」

「おそらく」

「さすがです」


 息を上げながら駅に着くと、ちょうど俺の電話口から応対の声が聞こえ始めた。俺はレンタル自転車のロックを外してサドルを跨いだ先輩に手を上げて合図を送った。先輩は力強く首肯するとペダルを漕ぎ出した。俺は電話に出るために上がった息を一気に飲み込んだ。


「もしもし? はい、沓形と言います。先日は――」


 そう。俺達は疑いすぎていた。もう少し素直に人の言うことを信じてもよかったのだ。そうすればきっとここまで慌てることはなかったのだから。そもそもなぜ発足したばかりの第二探偵部を知っていて、ここまで重要な件を持ち込んだのか。最初に感じたあの疑念は正しく、全てを体現していたのに。


 先輩がペダルを踏み込むと風が吹いた。長めの黒髪は俺にとってはこの世のものとは思えないような美しさであった。美しく賢しい先輩はぼそりとこぼす。


「……誰一人として嘘なんかついてなかった。なのに……」


 急がなければいけない。さもなければ榊原がせっかく教えてくれた悲劇を繰り返すことになる。

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