第23話 風魔襲来3

3日後の夜、丑三つを過ぎた頃、

火付盗賊改方の与力同心の詰める官舎の

程近く、日本橋にある反物問屋、大越屋おおこしやから火が出た。


半鐘はんしょうが打ち鳴られ、闇夜をその轟音が引き裂いた。

町火消しが総動員されて、火消しに当たる。

町見回りをしていた、明智左門筆頭与力、

佐々木音蔵同心、川田一郎同心らも駆けつける。


だが同心たちには、火がおさまらぬ限り、

何も出来ない。ただ、燃え盛る大越屋を

見上げるしかすべがなかった。


双伍の姿は、黒煙を上げる大越屋から3間ほど

離れた屋敷の屋根にあった。

わずかだが、屋根の上に棕櫚しゅろのわらじの

跡が見える。棕櫚で造られたわらじは、

通常のわらのわらじより、数倍の強度がある。

忍びが好んで使う履物はきものだ。


ほかならぬ双伍も、棕櫚のわらじを愛用している。

忍びだった頃からの習慣みたいなものだった。


双伍は、大越屋から放たれる炎の明かりを頼りに、

棕櫚のわらじの足跡をたどった。

その人数は10名前後。方角は南に向かっている。

逃走経路としては、妙な方向だ。

日本橋より西には、他の与力同心が網を張っている。

そこを避ければ、海に出るしかない・・・。


まさか―――。

双伍は息を呑んだ。

<風魔>は海に向かっているのではない。

八丁堀・・・与力同心の官舎を標的にしているのでは―――。


双伍は猛烈な速さで、屋根から屋根へ飛んでいった。

疾風のごとく・・・。


間に合ってくれ・・・。

それだけが双伍の願いだった。

八丁堀の与力同心の官舎には、長谷川平蔵長官と駿河右京同心、

沢村誠真同心、それに数名の下っ引きしかいない。


百戦錬磨ひゃくせんれんまの暗殺集団<風魔>10名を相手にするには、

手勢が少なすぎる。

駿河右京同心は不動流捕手術の名手ではあるが、

<風魔>の殺しの術には通じまい。

頼みのつなは覇道派一刀流免許皆伝の達人、沢村誠真同心と

一刀流の達人、長谷川平蔵長官が

持ちこたえてくれることに賭けるしかない。


そうなのだ、銭も無い与力同心官舎を襲うとなれば、

<風魔>の目的は殺し。

それも火付盗賊改方長官長谷川平蔵の首・・・。


さすがの双伍も息が上がってきた。

だが、官舎はもうすぐだ。双伍は目を凝らした。

そこでは表に出た長谷川平蔵長官をはじめ、

沢村誠真同心、駿河右京同心らしき姿が見えた。

その周りには数名の下っ引きの骸が転がっている。


長谷川平蔵長官らは、10名の漆黒の忍び装束に身を包んだ、

<風魔>に包囲されていた。

それだけでなく、駿河右京同心は肩口を斬られ、

右足には数本のクナイを打ち込まれて、

刀を杖代わりに立っているのが、やっとのようだった。


長谷川平蔵も左腕を斬られたのか、

おびただしい血を流している。

唯一、無傷なのは沢村誠真だけだった。

それでも彼は肩で息をし、その顔は汗だくで、

焦りの表情が浮かんでいた。


<風魔>の一人が、平蔵を標的に、

クナイを3本連続して投げた。

2本は平蔵自身が刀で叩き落したが、

残る1本が、長谷川平蔵の首に向かって空を切った。


双伍はとっさに、十手を投げた。

十手は平蔵を狙うクナイを、命中する直前に弾き飛ばす。


ようやく官舎の敷地に着いた双伍は、

残る1本の十手を腰帯から抜いて、身構えた。


3名の<風魔>が双伍に向かって、

飛び掛ってきた。3名とも計算された動きだった。

互いに交差しながら走り、相手の目を翻弄ほんろうさせる。

だが、双伍にとってその動きは容易に読めた。

二人が斬りかかってきた。その刃を十手で弾く。

その直後、もう一人がクナイを投げてきた。

双伍はそのクナイを、左手の鉄製の籠手で弾き飛ばす。

空に舞ったそのクナイを掴むと、<風魔>の一人に

投げた。そのクナイは、ひとりの<風魔>の胸に

深々と刺さった。その<風魔>はもんどりうって

倒れ込む。


「ひけいッ!」

その時、頭目とおぼしき男の声がした。

まるで潮が引くように、ただ一人を除いて、

残る<風魔>9名が闇の中に溶け込んでいった。

とても、今の手勢で深追いできるはずもなかった。

下手をすれば、<風魔>の術中に入るかもしれない。


だが、目をらさねば見えないほどの闇の中、

双伍は頭目らしき男が振り返ったのを見た。

その目は細く、双伍を見返していた。

まるで、嘲笑あざわうかのように・・・。


沢村誠真が用心深く、倒れている<風魔>のひとりに

近づいた。

すでに事切れていると思われたその<風魔>は、

跳ね起きると、沢村誠真の首を狙って刀をいだ。

沢村は、その太刀を刀で弾くと、

その<風魔>を一刀の元に斬り伏せた。


まことに怖ろしい忍びよ。

 死を前にして、ひとりでも手向かうとは・・・」

長谷川平蔵はしぼり出すように言った。

その顔は蒼白そのものだった・・・。

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