第19話 鬼平暗殺4

「さっさと 斬れ」

双伍は返事の変わりに、そう答えた。

しかし沈黙が流れるだけだ。

双伍は顔を上げると、驚いたことに

長谷川平蔵は刀を鞘に収め、

布団の上にあぐらをかいている。


「久栄、行灯あんどんに灯りを点してくれ」

のんびりした口調で言う。

奥の部屋から久栄が出てきて、行灯を点した。


ほんのりと暖かい灯りが座敷を照らした。


「忍びが名を名乗れないことぐらい知っている。

 その上であえて聞いておる。

 もうひとつ言っておくが、ここでお前を

 斬るつもりはない」

長谷川平蔵の口調はのんびりしたままだ。


「なぜだ?」

双伍は率直そっちょくな疑問を口にした。

その問いに平蔵は答えた。


「おめぇの剣には殺気がねえのよ」

平蔵はそう言うと、火鉢でキセルに火をつなげて

ゆっくりと紫煙を吐いた。


「もし、おめぇの刀が忍び刀じゃなく、

 太刀なら鞘を貫いて、俺の腹はかっさばかれて

 いたろうよ」

言葉の内容とは裏腹に、面白がっているようだ。


「おめぇほどの忍びはお目にかかったことがねぇ。

 だが、本気で相手を殺そうとする気がなけりゃ、

 その腕も鈍ろうってもんよ」

そしてまた一服。


「何か、わけがあるんだろう?

 オレはそう思うんだが、違うか?」


双伍はそう言われて、腹をくくることにした。

噂には聞いていたが、

長谷川平蔵という人物は双伍が思った以上に、

器が大きく、柔軟な思考の持ち主のようだ。


「オレの名は風魔小太郎、しかし今は

 忍びを捨てて、抜け忍としてくらしておりやす」


「風魔小太郎とな?これは驚いた。

 凄腕すごうでだとは思ったが・・・

 オレはとんでもねぇ奴を相手したんだな」

冗談ではなく、本気でおそれたようだ。


それから双伍は、これまでのいきさつを

平蔵に語った。


「・・・なるほどな。では、官舎の与力同心を

 叩き起こして、その盗賊どもを一網打尽いちもうだじん

 しよう」

平蔵はそう言うと、煙草の灰を火鉢に捨てた。


「おめぇの弟は、おめぇで救え」

平蔵は強い語気をはらんで言った。

そして言葉をつなぐ。


「それともうひとつ。おめぇ、オレのいぬにならねえか?」


驚いて双伍は顔を上げた。

戌とは<密偵みってい>になれという意味だ。

<密偵>とはお上の手足となり、情報を集める者のことである。


「だが、おめぇは戌というより、狼だな。

 ただの戌にしとくのはもったいねぇ。

 どうだ?その腕、十手持ちとして、世の為、人の為、

 役に立てようという気はねぇか?」

平蔵はにこやかに言った。


双伍はうなだれた。これほどの人物とは。

自分の命を狙ったやからを見逃した上、

配下になれとは・・・。


「その忍び装束しょうぞくじゃ、まずかろう。オレの

 お古の着物がある。それに十手もな。

 久栄、持ってまいれ」

久栄は再び奥に姿を消すと、しばらくして再び現れた。

その手には丁寧にたたまれた紫の着物と黒い股引があり、

その上には2尺を越える、長大な十手が2本

乗っていた。


「この十手は特別な代物だ。戦国の世に作られたものでな。

 かぶとも割れるほどの威力がある。でかくて重いが、

 おめぇなら使いこなせるだろう」

長谷川平蔵はそう言って、ひざまついている

双伍の前に押しやった。


「このご恩は、命を賭してお返しします」

双伍はそう言うと、立ち上がった。


その場で、すばやく着替え、腰帯に2本の十手を差す。


長谷川平蔵も黒い羽織はおりに身を包むと、

兜をかぶる。腰には<粟田口国綱>、

脇差には<備前兼光びぜんかねみつ>を差した。


二人は、八丁堀の官舎に向けて走った。

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