第18話 鬼平暗殺3

清水門外の役宅が見えてきた。

天空には三日月が昇っている。

そのわずかな月光の中、双伍は

地に降りた。

なぜなら、清水門外の役宅に通じる道は、

民家からは遠く離れている。


双伍は物音も立てず、闇に溶け込んで走った。

清水門外の役宅の壁は、10尺を優に超えていた。

だが、<風魔>の双伍にとって、なんら傷害ではなかった。

壁を蹴るように、駆け上がる。

そのまま敷地内に着地した。


そこは屋敷というより、小さな城だった。

あまりに広大で、長谷川平蔵の居場所は

すぐにはわからない。

双伍は素早く床下に潜り込んだ。

匍匐ほふくしながら、前進しては止まり耳を澄ます。

そしてまた前進する。

蜘蛛くもの巣やねずみの死骸が転がる中を、

呼吸を乱さず探索していく。


半刻はんこくほど経った頃、人の気配を感じた。

床下から頭部だけを出して、様子をうかがう。

そこは庭園だった。

おそらくこの真上の部屋に、長谷川平蔵がいる。


双伍は横転しながら、床下から出た。

無論、何の音も立てない。

目の前には縁台がある。

そして障子戸。双伍は耳を澄ました。

かすかな寝息が聞こえる。それもふたつ。


ここだ―――。

双伍は確信した。


双伍は縁台に膝を立て、うづくまった。

障子戸の溝に手早くロウを刷り込む。

それから用心深く、障子戸を開けた。


その間は12畳ほどの広さの座敷だった。

そこには布団がふたつ。


やはり思った通りだ。

長谷川平蔵とその妻に違いない。


双伍の胸裏に一瞬、逡巡しゅんじゅんの気持ちがよぎった。

だが、ここでやめるわけにはいかない。


双伍はクナイを手にした。

せめて一撃で頭をつらぬいて、楽に死なせてやろう。


クナイが空を切る音がした。

確実な手ごたえ・・・はなかった。

クナイはそこにあったはずもものではなく、

枕に深々と突き刺さっていた。


久栄ひさえ、起きろ!曲者じゃッ!」

長谷川平蔵の怒号が響く。

それに目を覚ました久栄と呼ばれた女は、

反射的に隣の襖を開けて転がり込んだ。

よく訓練されている動きだった。


双伍はその動きに、不覚にも遅れをとった。

気付くと目前に、黒い人影が居合いあいの形を見せていた。

その人影は長谷川平蔵である。


平蔵の一瞬の剣のひらめきは、双伍の鼻先をわずかにれた。

天の才覚さいかくとも言える、双伍の反射神経が、

必殺の太刀筋たちすじをかわしたのだ。


だが、続いて二の太刀、三の太刀が

双伍に襲い掛かる。

双伍は風のごとくそれらをかわした。

3本のクナイを長谷川平蔵に向かって連投する。


長谷川平蔵の剣はそれらのクナイを弾き飛ばす。

闇夜に火花が3度散った。

そのすきに、双伍は背の忍び刀を抜いた。

逆手に構え、平蔵と対峙たいじする。

おぼろげな月明かりが二人の顔を照らした。


長谷川平蔵は、その異名のとおり、鬼の形相だ。

対する双伍は冷徹れいてつな獣の眼光を放っている。


双伍は事前に知っていた。

今、長谷川平蔵の手に握られている剣は、

粟田口国綱あわたぐちくにつな>か、もしくは<井上真改いのうえしんかい>。

どちらにしろ、名刀だ。しかも使うは長谷川平蔵。

双伍の持つ忍び刀では、まともな勝負はできない。

斬り合いではなく、かわすのだ。

そして一瞬の間にふところに入り、仕留しとめるしかない。


じりじりと互いに間合いをせばめていく。

先に動いたのは双伍だった。

時間をかけていては、増員ぞういんが来るかも知れぬ。

そうなっては、逃げ切れるかどうかさえ危うい。


双伍は踏み込んだ。それはまさに疾風はやてのような

速さだった。

長谷川平蔵は袈裟斬けさぎりに斬り込んで来た。

そうごはその太刀を左手に持ったクナイで

受け止めた。しかし、すごい衝撃が双伍の腕に走った。

双伍のクナイが火花を散らす。


体勢を崩しながらも、双伍は必殺の間合いに入った。

逆手に持った忍び刀を長谷川平蔵の腹部へ

突き立てた―――かに見えた。

だが、平蔵は双伍の刀をさやで受け止めていたのだ。

次の瞬間、長谷川平蔵は刀のの先―――頭と呼ばれる

部位で、双伍のこめかみをしたたかに打ち据えた。


双伍は凄まじい衝撃を受けて、よろめいた。

思わず片膝を畳につく。

気付いた時には、目前に長谷川平蔵の持つ、

刀の切っ先があった。

双伍は目を閉じた。これまでか・・・。


ところが双伍が耳にしたのは、

信じられない言葉だった。


「お前、名はなんという?」

それはつい一瞬先まで、死闘を繰り広げた相手とは

思えぬ、ゆるやかな口調だった・・・。

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