第14話 仇討ち4

八丁堀の与力同心の官舎の土間に、久平と双伍の姿があった。


「お藤殿が、行方ゆくえ知れずだとッ?!」

知らせを聞いて、最初に血色けっしょくばんだのは、沢村誠真だった。


「へい、昨日の夕暮れに出て行ったきり・・・」

久平は先日の夕刻、一人の侍に茶をかけたこと、

そしてその侍が店を出て、

直後にお藤が慌てて出て行った事などを告げた。


その場にいる、火付け盗賊改めの20余名の与力同心の間で、

何か感ずるものが走った。

長谷川平蔵は、記憶を思い起こそうとするように、

天井を見上げながら言った。


「もしや、お藤さんはお紺の話を聞いていたのでは・・・」


「何ですかい?そのお紺の話っていうのは・・・」

久平は今にも泣きそうな声を上げた。


長谷川平蔵は、かいつまんで仇討ちの件を

久平に教えた。たちまち久平の顔があおざめる。


「するってぇと、あっしの娘は上条組とかっていう

 やくざ者の集団にかどわかされたってことですかい?」

久平の声は、蚊の鳴くように細くなっていた。

家永幸太郎同心が長谷川平蔵に向かって言った。

「親方の推察通すいさつとおりだとお藤さんのいる所が、

 ご法度はっとの賭場があるってことになりますな」


長谷川平蔵が無言で頷く。

だが、すぐに苦虫を潰したような表情に変わる。


「しかし、大勢で探せば、

 上条組はお藤さんの命を奪い、逐電するやもしれん」


一同は沈黙した。その中でも特に沢村誠真はいてもたっても

いられない様子だ。


しばらくの間。その沈黙を破ったのは双伍だった。


「そのことなら、あっしに任せてくれやせんか?

 今夜、必ず見つけてみせやす」

双伍の双眸そうぼうが妖しく光った。


陽が落ち、江戸の町は夜闇に染まった。

ときおり聞こえる野良犬の遠吠えと、

虫の鳴く声意外、あたりは静まり返っている。


だが、黒い影絵のようになった軒並のきなみの屋根の上に、

人影らしき姿があった。双伍である。

彼自身、できるだけ忍びの術は封じてきた。

『風魔』の頭領でありながら、抜け忍をした時にちかったことだった。

これからは、忍びとしてではなく、

一人の岡っ引きとして生きていこうと、

心に決めていたのだ。


しかし、今回は違った。

時が経てば経つほど、お藤の命が危うくなる。

手段を選んではいられない。


久平から聞いたところによると、

お藤は東に向かったということだ。そこで、

双伍は新大橋から向こうを重点的に

探ることにした。


屋根から屋根へ、音も無く飛び移っては耳を当て、

物音を探る。

賭場を開くとなれば、大きな屋敷が必要となる。

双伍はそのような屋敷に的を絞った。


その頃、長谷川平蔵火付盗賊改方長官をはじめ、沢村誠真同心、

家永幸太郎同心、川田一郎同心、杉村竜二郎同心、

狭川鳳同心、そして明智左門筆頭与力らが、久平から得た情報を元に、

新大橋を渡って、相生町界隈あいおいちょうかいわいを巡回していた。


双伍が上条組の賭場を特定すれば、

例の草笛で知らされることになっている。

それまでは、目立った動きはできない。

下っ引きたちも同行させてはいない。


「あやつ、一人でこの町を調べてるですかい?

 たった一夜で見つけようなんざ、

 無理でしょうに」

いつも冷静な川田一郎同心が言う。


「心配は要らぬ。双伍にはそれができるのよ」

長谷川平蔵はそう言って、ふくみ笑いをした。


双伍・・・頼む。お藤殿を見つけてくれ!

沢村誠真は心の中で、祈っていた。


長谷川平蔵火付盗賊改方一行からほどなく離れた

古屋敷。そこでは上条組の賭場が開かれていた。

やくざ者20数名と博徒の客30名ほど。

12畳の部屋二つつなげた広間に、丁半の掛け声が響き渡っている。


その賭場のさらに奥の狭い座敷には、

お藤が手足を縛られて寝転がされていた。

その傍には、長江鏡介とやくざ者一人が屈みこんでいる。


「娘、正直に申せ。なぜ拙者をつけていた?」


お藤は震える声で答えた。

「お侍様、あなたを仇という人がおります」


「仇?ああ・・・それなら返り討ちにしてやったわ。

 返り討ちは天下の法。

 誰にも文句を言われる筋合いはない。

 それともお前が、助太刀しにきたとでも

 申すのか?」

長江鏡介はニヤリとしながら言った。

それを聞いて、横にいたやくざ者が大声で笑う。


「まだ返り討ちはされてませぬ。まだ娘がおります」

気丈にも、お藤は長江鏡介の目を見返しながら言った。


「ほう、娘がいたのか。それもよかろう、

 その娘も返り討ちにしてやるわ」

長江鏡介は無精ひげを擦りながら、非情な眼光を放つ。


次に口を開いたのは、隣にいたやくざ者だった。

「先生、仇討ちはともかく、

 ここで賭場を開いていることを知られては、この娘

 生きて返すわけにはいきませんなぁ」


「手込にして売り飛ばすなり、殺すなりお前たちの好きにしろ。

  ただ殺すにはおしい上玉だけどな」」

長江鏡介は興味が離れたように言い放った。


「へぇ・・・じゃあ上条組で、たっぷり楽しんだ後は

 越中島えっちゅうじまの海にでも沈んでもらうとしますわ」

やくざ者は好色な視線を、お藤に向けた。


その会話を、すぐ真上・・・屋根の上で

聞いていた者がいた。双伍だった。双伍は屋根のふちを、

逆手に持って倒立した。

そのままを描くように倒れ、真下の障子戸をぶち破る。

砕けた障子戸の破片をき散らしながら、

お藤の拉致らちされている部屋に飛び込んだ。


虚を突かれた長江鏡介とやくざ者は、一瞬、動きが止まった。


「何者じゃあッ?!」やくざ者が怒鳴る。


その騒ぎを聞きつけて、賭場の襖が大きく開かれ、

上条組20数名と用心棒らしき浪人10名が

姿を現した。賭場の客達は慌てて、表口から逃げていく。


双伍は腰に差していた、2本の十手を抜いた。

相手は総勢30名以上。たとえ双伍といえど、

容易に勝てる数ではない。


双伍は一枚の葉を口にくわえると、高らかに吹いた―――。

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