第13話 仇討ち3

それから数日が経った。

しかし、八丁堀の与力同心、岡っ引きたちの懸命けんめい

聞き込みにもかかわらず、長江鏡介はおろか、

上条組の賭場さえ見つからなかった。


お紺は一時、与力同心の官舎であずかることになった。

与力同心の中で、妻子を持つ者は

お紺の面倒を喜んでやった。

だが、いずれこのおさな子も奉公人として、

どこかの家に引き取られることになるだろう―――。



その日の『あじさい屋』は、夕暮れともあって、常連客でごった返していた。

『あじさい屋』の主の娘、お藤も、目の回るような忙しさに、

額に汗をかきながら働いていた。

その時、3人の男が縄のれんをくぐってきた。先頭の男は侍、

その後についてきたのは、

やくざ者のような悪相をしている。


その一人が店内を剣呑けんのんな目つきで見渡した。

それまで騒ぐように飲み食いしていた常連客が、一瞬静まり返る。

茶の乗った盆を両手に持った、お藤がそのやくざ者3人に近づく。

他の客に気をとられ、彼女はまだこの3人に気づいていなかった。

お藤の手にした盆が、侍風の男のひじにあたった。

盆の上の茶碗が倒れて、しぶきが飛んだ。

その侍の着物の袖口に染みがにじんでいく。


「おい!女!何してくれてるんだ?」

怒鳴ったのは、その侍ではなく、

傍らにいたやくざ者の一人だった。

当の侍は、何の感情も伺わせない両目でお藤を見下ろした。


その目はまるで氷のようだった。

「申し訳ございません!すぐに手拭てぬぐいでふき取ります」

お藤はおびえながら、平謝ひらあやまりだ。

―――その時、侍は左手で自分の首筋を掻いた。

お藤にはそこに何かが見えた。


「おら!そんなもんで済むとおもうとんのか?」

やくざ者は、さらにお藤に詰め寄った。

そこへ騒ぎを聞きつけた久平が、

厨房から血相を変えて出てくる。

「お侍さん方、何か娘がご無礼を?」


「お前の娘か。もっとしつけとれ!

 先生の着物に茶をかけよって!」

やくざ者は今度は久平に詰め寄る。小さな久平の体がさらに縮んだ。


「もういい、その辺にしとけ。店を替えるぞ」

そこに口をはさんだのは、侍だった。

その声からは無感情な響きしかない。

侍の後に続くやくざ者はふたり共、

肩越しに頭を下げている久平とお藤を睨んでいる。


剣呑な3人組は店を出て行った。店内に平穏な空気が戻る。

再び、常連客は呑みだした。


お藤は頭を上げて記憶を辿たどった。

あの侍が見せた何か・・・あれは傷だった。刀傷。

彼女は腰に巻いている前掛まえかけをはずすと、着物袖きものそでに丸めて突っ込んだ。


「おとっつあん。あたし急用を思い出したの。

 半刻はんこくしたら帰ります」


お藤はそう言い残して『あじさい屋』を出て行った。

背後の厨房から、なにかしら怒鳴りつけている

久平の声を無視して―――。


3人組みは20間ほど離れたところにある、

とある呑み処に入って行った。

お藤も3間離れた柳の木下に身をひそめる。

あの侍の首筋の傷・・・

あれは先日、鬼平の親方と共に『あじさい屋』に

やってきた、お紺という両親の仇討ちを心に決めている、

幼子の言っていたことを思い出させた。

あの刀傷がそれであれば、

あの侍こそがお紺の仇ということになる。


親父の久平と約束した半刻はとうに過ぎた。

あたりは薄暗くなっていく。

呑み屋の提灯に灯が点された。お藤も寒さに身を震わせた。


自分が危険なことをしているのではないかという気持ちは、

常に胸中をよぎっていた。だが、いつもお世話になっている、

長谷川平蔵長官のお役に立ちたい・・・という気持ちと、

それ以上に、沢村殿への想いでもあった。そのことを考えると

自然と頬が紅潮こうちょうしてくる・・・。


しばらくすると呑み処から例の3人組が現れた。

空にはすでに月が上がっている。

しかも三日月。自分の足元さえも良くわからない闇だ。

前を行く3人組の中ひとりが点しているのであろう、

提灯ちょうちんの明かりを目印に、

お藤も少しの間を置いてあとをつけた。


3人組は東に向かった。この先にはたしか、

廃屋はいおくになった大きな屋敷があったはず。

お藤は記憶を探りつつ、歩を進めた。

いくつかの路地ろじの角を曲がると、3人の姿は消えていた。

あせったお藤は2,3歩前に急いだ。そのとき気だった。

背後からやくざ者の、ドスの効いた声がかけられたのは。


「おめえ、わしらの跡つけてきたな?」

 お藤は雷に打たれたように、全身を硬直させた。

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