第11話 仇討ち1

刻は申七つ(現代で言う午前4時ごろ)

江戸城の東、お玉ヶ池の通りに、

あでやかな着物を身に着けた、30前の年頃の

気品ある女が立っていた。

その傍には、やはり気品のある着物を着た、おかっぱ頭の

年の頃は5つほどの娘がいる。

二人はあきないをしているらしき店の影に隠れている。


お玉ヶ池の通りを一人の浪人ろうにんが通りかかった。

30前の頃の女が、その浪人に声をかけた。


「おぬし、長江鏡介ながえきょうすけとお見受け申す。

 わたくしの夫、鴨居信衛門かもいしんえもんかたき

 取らせてもらいます!」

女はそう言うと、おびから一尺半ほどの短刀を抜いた。


長江鏡介と呼ばれた浪人はは振り返った。

「いかにもオレは長江鏡介だ。女、何者だ?」


「わたしはそなたに斬り殺された、鴨居信衛門の妻、

 おはなと申すもの」

お華は短刀を逆手に構えた。

先ほどまで隠れていた店の陰に、

小さな娘は不安そうに見つめていた。


「鴨居信衛門とな?はて、覚えておらんな。

 何人も斬っておるからのう。

 いちいち覚えてられぬわ」

長江鏡介は薄笑いを浮かべる。


「そなたが覚えておらぬとも、

 わたしはそなたを覚えております。

 いざ、尋常じんじょうに勝負」

お華は短刀を突き出して、長江鏡介へ走った。


「女、武士の妻と見受けるが、

 このオレに挑むとは無謀というもの」

長江鏡介は刀を抜くと、お華の短刀をはじき飛ばした。

そのまま袈裟斬りにお華を斬った。


お華は言葉も無く、その場に崩れ倒れる。

長江鏡介は剣を一振りし、血を払った。


「馬鹿な女よ」

倒れたお華に背を向けると、

長江鏡介はその場を立ち去った。



番屋でキセルに紫煙を上げていた双伍だったが、

空腹を覚えて<あじさい屋>にでも行こうかと、

立ち上がって障子戸に手をかけた。


すると、双伍がかける前に障子戸が荒々しく

開け放たれた。下っ引きの弥助が肩で息をしている。


「草笛の旦那、武家の奥方らしき人が斬られて今、

 玄田元禄先生のところに運ばれまして・・・」

弥助の言葉が終わらぬうちに、双伍は韋駄天いだてんのごとく

駆けて行った。


玄田元禄の屋敷は浅草にあった。

双伍は玄関を開けて、草履ぞうりを脱ぐ。

奥の間にある治療部屋に向かう。


そこには布団に寝かせられている、襦袢姿じゅばんすがた

一人の女、そして傍らに束髪の町医、玄田元禄がいた。

そして、朱色あけいろの生地に桜をあしらった着物を着た、

ひとりの年端としはも行かぬ娘が正座していた。


「おう、双伍か」

玄田元禄は傍らに膝を着く、双伍に向かって言った。


「こりやぁ、一体何があったんで?」


「今朝、騒ぎに気づいて、近隣の者たちが戸板に乗せて、

 ここに運んで来たんだが・・・。

 どうやら、仇討ち仕掛けて返り討ちにあったらしい。

 今は意識を失っているが、ここに運ばれた時はまだ

 意識があってな。名はお華と名乗った」


「返り討ち?で、具合はどうなんで?」


「手は尽くしたが、傷が深すぎる。

 もって半刻だ」

玄田元禄はくやしげに言った。


その時、お華は意識を取り戻した。

「お医者様・・・ありがとうございます・・・」


「お、気がついたか!」

玄田元禄は言った。


そこに双伍はお華に声をかけた。

「いってぇ、どうしてこんな無理をしたんで?」


お華はか細く、きれぎれの声で話し出した。

「わたしの夫は鴨居信衛門といいまして、

 安房あわ北条藩ほうじょうはんに仕える同心でした。

 賭場とばを開いていた上条組に同胞の方々と踏み込んだとき、

 上条組の用心棒をしていた長江鏡介という浪人に

 斬り殺されたのであります・・・。

 それでわたしは、ひとり娘のお紺を連れて、

 北条藩に仇討ちの許しを受けまして、

 江戸まで追ってきたのでありましたが・・・」

お華はそこまで言うと、吐血した。


「お華殿、もうしゃべりなさるな」

玄田元禄はお華の話をさえぎろうとしたが、

双伍が手を上げて、それを止めた。


「先生、最後まで聞きやしょう」

双伍の気迫に、玄田元禄は気圧されたように口を閉じた。


「長江鏡介は腕の立つ剣客とは、

 聞いていましたが、わたしも武士の妻。

 何とか一矢でもむくいれば・・・と。

 気がかりは、娘のおこんのことでございます。

 一時の怒りの感情に流され、お紺のことを

 気に留めるのを忘れておりました・・・」

お華はそこまで言うと、手をのばした。


「お紺、ごめんなさいね・・・

 勝手な母親で・・・」

お紺は母の手を、両手で握った。


「母上、起きてくださいまし、起きてくださいまし」

お紺の両の瞳から涙があふれて、握ったお華の手を濡らした。


お華のわずかに開いたまぶたから、一筋の涙が流れた。

そして、事切れた・・・。

お紺は声を上げて泣いた。


双伍は無意識に、腰に差した十手の柄を

強く握り締めていた。

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