第3話 天魔衆3

江戸城下でもひときわにぎわいを見せる日本橋の近くに、

<あじさい屋>という食事処しょくじどころがった。

20人もはいれば手狭になるような、小さな店ではあるが

久平きゅうべえという主人の手打ちうどんと蕎麦には定評があり、

客足が途絶えることはない。

久平はすでに50を数える、たたき上げの職人だ。


その店にいくつも並べられている縁台のひとつに、

双伍の姿があった。足を組んでキセルを吹かし、

紫煙を吐いている。


「双さん、お待たせ」

そういって双伍の元に、盆に乗せたきつねうどんと

小皿に盛った2尾のめざしを持ってきたのは、

この<あじさい屋>の主人、久平のひとり娘である、

お藤であった。年のころは18。


久平はお世辞にも、2枚目とは程遠い風貌であったが、

その娘、お藤は器量もよく、お客に対する態度も

丁寧で率がない。母親は彼女が幼い頃亡くなっている。


常連客の間では、本当に実の娘かと、冗談半分で

はやし立てられるほどだ。そのたびに久平は

「叩き返すぞ、てめえら!」と啖呵を切る光景も

しばしば見られる。


双伍はキセルの灰を土間にはたき落とすと、

箸を取ってうどんを啜りながら、めざしを素手でつかんで

頭からかじった。


「親父さんのうどんは、やっぱ旨えや」


「双さん、お世辞はいいから、もう少しマシなもの

 食った方がいいぞ」

厨房から久平のだみ声が飛んでくる。


「まだ若えのに、いつもきつねうどんとめざしじゃねえか」

久平の言葉に、お藤も含み笑いをした。


その時だった、店に一人の同心が現れた。

沢村誠真同心だった。

彼は双伍の隣に座ると、茶とみたらし団子を注文した。


「また団子ですかい。沢村の旦那も甘いものがお好きで」

双伍はうどんの露を飲み干すと、にやりと笑った。


「ほっとけ。それより件のことだが、

 親方から聞いた」

親方とは無論、長谷川平蔵宣以のことである。


「お前の見立てでは、まだ急ぎばたらきは続くらしいな。

 しかも、その賊は忍びの一団とか。

 厄介だな・・・」

沢村誠真同心は腕を組んで思案していた。

そこへお藤が茶とみたらし団子を盆に乗せて持ってきた。

沢村の脇にそっと置く。


「ありがとよ」

ぶっきらぼうに沢村は答えたが、

どこか緊張している声音だった。

沢村誠真同心はみたらし団子の1本を口に運ぶと、

食いながら双伍に問うた。


「しかし何で、おめえが賊の正体が忍びだとわかったんだ?」

口には団子をいっぱいにほおばりながら、冗談めかして

言ってはいるが、その目には鋭い光が垣間かいま見えた。


「さあ、ただの勘でさぁ」

双伍はめざしを食いながら、呑気に答えた。

その様子を見て、沢村誠真はこのことについては

何も聞くまいと決めた。平蔵の親方なら知っていると

踏んでいるが、親方の口から聞かぬ限り、触れるべきでは

なさそうだ。


「で、親方に聞いたんだが、おめえの勘によると

 次に狙われるのは人形町の紙問屋千羽屋か

 深川不動の瓦問屋の大店長洲屋おおたなながすやだそうじゃねえか?」

沢村誠真の問いに、茶をすすっていた双伍はうなづいた。


「その根拠は?」


「最初は小間物屋小諸屋、次に小伝馬町油卸し問屋である宝月屋。

 奴ら南下してるんでさ。これまでにせしめた銭は3200両。

 オレの見立てでは、賊の人数は10人以下と。

 そうなればあと2000両は運べる算段になりまさぁ。

 その道すがらある、数千両の蓄えのある大店といえば・・・」


「人形町の紙問屋千羽屋か深川不動の瓦問屋の大店長洲屋と

 いうわけか・・・」

沢村はしかめっ面で腕を組んだ。


「運べる銭の量からして、次が最後の急ぎ働きになるでしょう」


「そうなると賊は町人地を抜けて、陸路で江戸を逐電ちくでんする気か?」

沢村誠真は双伍の横顔を覗き込んだ。


「そうとは限りません・・・」

双伍の声はつぶやくようだった。


「それで町人地周辺は同心たちに固めさせるとしても、

 それなりの人数がいる。残った与力同心で2軒を

 張るのは無理だぞ」


「沢村の旦那方、腕の立つ方々は

 人形町の紙問屋千羽屋を張ってくだせぇ。

 深川不動の瓦問屋の大店長洲屋はオレと弥助で張りまさぁ・・・」

双伍のその言葉に、沢村は目を見開いた。


「おめえ正気か?相手は忍びの賊だぞ。

 下手すりゃ、命はねえぞ」


「これは・・・オレのけじめでもありますんで・・・」

そう言った双伍の横顔を見て、沢村誠真は少し身震いした。

覇道一刀流免許皆伝はどういっとうりゅうめんきょかいでんの剣豪沢村誠真でさえ、

その殺気には尋常ならぬものを感じていた。


「わかった。このことは親方に知らせておく」

沢村は1本だけ残ったみたらし団子をくわえて、


「勘定はここに置いとくぜ」

と言ったが、そそくさとお藤が沢村誠真の手から銭を

受け取った。そのとき、お藤の手に沢村の指が

わずかに触れた。

沢村の手が緊張しているのは気のせいか―――?


店を出て行く沢村の後姿を見ながら、

双伍はにやりとしながら、つぶやいた。


「沢村の旦那・・・もう少し素直になんねえと・・・」

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