強く儚いものたち

「コーヒーです」


私(ルーク)がそのカップをテーブルの上に置いた時、若い男は俯いたままだった。

正直こんなケースははじめてではない。つまり、レイラに惚れた男がやってくる、という図式は。


「旦那がいる」

「永遠の愛を誓っている」

「正直、人間に興味がない」

そんな風にレイラが切って捨ててくれた。



「僕に足りないものは何ですか」

ほう。なかなか見上げた根性だ。負け戦をまだ続けたいらしい。

先の見えない戦にもひるまない心。それを持つものを「勇者」と呼ぶのだった。懐かしい。

「何が足りないか? ふーむ」

レイラが顎に指をやった。今回はにべもなく追い返すことはしない。ということは彼女は何かを認めたわけだ。レイラは豪胆ではあるが、決して無礼ではない。自分が認めた相手とは対等に腹を割って話す。それが魔王たる器のでかさ、といったところだろうか。

「まあ、手っ取り早いのは腕力かな」

「強さですか!?」

男が喜色を浮かべて顔を上げる。

レイラがいたずらっ子のように笑う。…やれやれ。つきあわされるこっちの身にも。

「そうだ。うちの旦那より強かったら、デートぐらい考えないでもないぞ」

「三か月…いや、一か月ください! 」

男がこっちをにらみつけてきた。私は、この無軌道な若さが懐かしく、つい苦笑してしまう。

「い、今は馬鹿にしてるかもしれないけどな! 俺だって!」

「期待してるぞ」

「期待しててください! 僕の名前は初枝 純です! ぜったいに覚えさせてやる!」



ドタドタ、バタンと。扉の閉まる音。カップの上から湯気が上がっている。

レイラが自分の分のコーヒーに口をつける。ずず。

「……どうしてあんな約束したんですか?」

まさかレイラだって、彼が私に勝てると思っていないだろう。腐っても「元」勇者。こちらにきてろくに運動をしていないといっても負ける要素がない。こちらの世界の人間は脆弱すぎる。

「さあな。私に挑んできた昔のお前に似てたのと。

 旦那様のかっこいいところを見たくなったから」

『ぜったいに勝ちを確信した』いたずらっ子のような笑み。本物の魔王様の邪悪で、妻としての見慣れたあどけない笑みだ。

「やれやれ」

私は彼の残していったコーヒーに口をつけて、ストレッチを始める算段をしていた。



彼が現れたのはそれからきっちり一か月後。

日曜日の昼の12時だった。

今日は手軽にチャーハンでも、と私が冷凍ご飯を解凍している時で、お腹を空かせたレイラがテーブルの上に寝そべっていた。

初枝くんは背中には黒い包みを背負っていて、目つきは鋭く、頬はこけていた。

よほど自分を追い込んだのだろう。

「勝負です!」

私を指さし、一言。

決戦の火ぶたは切って落とされた――かのように思われたが。


「うるさいっ!!!!」

レイラが一喝した。

初枝くんは借りてきた猫のように身を縮こまらせる。

「うちは今から飯だ! お前は馬鹿か! 飯時に押しかけてくるやつがいるか!

 うちの旦那の飯は絶品だ! 食べるか!?」

「あの、その、…」

「食べるか食べないかを聞いているのだ! 返事は!?」

「あの…頂きます…」

レイラはそうえいば「会社」というところで肩書をもらっているらしい。何せもとより魔王様だ。どんな仕事もこなすに違いない。


私は手早くチャーハンを三人前作り、テーブルに並べた。

初枝くんはいぶかしむように見ていたが、一口食べると、大きくうなずき、かきこむようにして食べていた。

レイラは鼻歌混じりに食べていた。


そして食後。

「ごちそうさまでした! さあ勝負をしてくれ!」

「いいだろう。腹ごなしというやつだな」

私が答えるよりも早く、レイラが割って入る。

「ここでは手狭だから河原にいこう。ルーク。帰りに抹茶プリンを買って帰ろう」

初枝くんのことなどまるで意に介さないその態度に、少し身を縮こまらせる。

かわいそうに。レイラにふりまわされ。

私はため息をおしころし、彼に同情してしまった。

「……それじゃ、いきましょうか」



初枝くんが持ってきたのは竹刀というやつだった。こちらの世界ではわりとポピュラーな「剣道」という武術で使われる訓練用の武具だ。

一方こちらは、

「ほんき、か…?」

腕ぐらいの長さの木の棒。河原に落ちていたものだ。

「私から一本取ったら、あなたの勝ちでいいですよ」

「馬鹿にしてるのか」

初枝くんは目を吊り上げる。


「一本というのもあいまいだな。

 ルークに寸分でも触れたら勝ちにしてやる。

 それでは――はじめ!!」


レイラの声に、雄たけびをあげ、初枝くんがつっこんできた。

よほど頭に血がのぼっているのだろう。単調な動き。

横に避け、肘を起点にして重心を崩してやる。まるで歯車のように勢いよく転がっていく。

「まだまだぁ!」

さしたるダメージもなく(というか、そうしたのだが)、立ち上がりこちらに構えなおす。今度は曲線のイメージ。ほう。もともと何か武術をやっていたのだろうか。天性のものか。

曲線の始点となる右手をおさえつけ、転がす。曲線の動きは相手に読まれにくい利点はあるが、習得が難しい。よほどの練度でなければ実践で使えない。

剣先を紙一重でかわし、転げまわっていく。

「くらええええ!!!!」

初枝くんが吠えた。



……懐かしいものだ。

人が大声を上げるとき。

威嚇するとき。

あるいは自分を鼓舞するとき。

強大な相手に立ち向かう時。

あらんかぎりの声を出すのだ。



そんな風に感慨にふけっていると。

初枝くんの背中から黒いモヤが立ち込めてくるのが見えた。

「まずいな」

この世界に来て久しくみない現象だった。

激情に駆られ、負の感情に狂った人間はわりと簡単に「堕ちる」。

もしかしたらレイラの持つ魔力にあてられたのかもしれない。

彼女はなんたって魔王さま。持前の膨大な魔力は、雑草でさえ食人の魔草に変える。


そんなことを思いながら彼女を見ると。

じっとこちらを見据えている。

「信じている」と。

こちらに語り掛けていた。


そんな目をされたら弱いのだ。

俺はため息をついて。

背中から剣を引き抜く動作。


これはルーチン。本当は剣も鞘もない。「剣」という概念を具現化する、とっておきの1つ。

「どうか」

俺はその片刃の剣を半身になって構え。

「死なないでくださいね」

一閃した。



〇〇


「目を覚ましましたか」

鼻つくのは、みそ汁のにおいだった。

優男、ルークはこちらに背を向けて何かを調理している。

「たぶん後遺症はないはずですが」

「俺は――」

負けたのか。

……負けたのだろう。

その事実が、体の痛み以上にのしかかってくる。


強かった。圧倒的だ。何をしてもかなわない。

ぐっと目頭が熱くなる。


「帰ったぞ」

美貌の彼女、レイラが部屋へ入ってきた。

俺はふがいない自分に嫌気がさして、部屋を出ようとした。

レイラが俺を見つけて、ニッと笑った。

「がんばったな」

そして俺の頭に手を乗せた。


俺は弱かったです。

あなたのために戦いました。

けれど――。


言葉にならない。


「お前はふつうの人間だ。うちの旦那になんか勝てなくていい。

 愚かで弱くて。けれどそんな人間を、私はそれほど嫌いじゃないぞ」


俺は。


何かを言おうとして。

嗚咽が漏れた。

それを遮るようにして、


「さ、ごはんにしましょうか。

 今日は少し辛めのカレーと、カツオだしのみそ汁ですよ。

 レイラの好きな、ね。

 君も食べるでしょう?

 雨が降る日もあるし、嵐になる日もある。

 それでも等しくお腹はすくんです。

 ごはんですよ、魔王さま」


俺はかなわないなぁ、と。

いつもよりしょっぱく感じるみそ汁をすすりながら、そんなことを思った。

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ごはんですよ、魔王さま 雲鈍 @terry

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