33:向いてない

 昼食を終え、化粧道具を購入し、ラナちゃんにみっちりとメイク特訓をされた。アイラインはやっぱりこわい。色鉛筆みたいなペンシルと、筆になっているリキッドを両方買わされたのだが、リキッドはとても使いこなせそうにない。そして、色使いやらぼかし方やらを教わっているときは、まるで美術の授業だと思った。世の女性たちは、こんなに難しいことを毎朝やっているのかと思うと頭が下がる。


「ナチュラルメイクって、難しいんだな……」


 ラナちゃんが帰った後も、あたしは自分の顔とにらめっこをしていた。濃くしすぎて歌舞伎役者のようになっている。慣れない手つきで化粧してみました、というのが丸わかりだ。これはさすがに惨めすぎる。まあ、初めは少しアイシャドウを塗ってみるだけでいいと言われたので、そうするつもりだけど。

 両親は今日も遅くなるようで、お風呂に入り顔をしっかり洗った後、インスタントラーメンを作る。せっかく昼に健康的な食事をしたのに、これじゃ台無しだ。あたしは料理を全く作れないので仕方がない。広いリビングでそれを食べながら、ふとLLOのことを思い出す。このあたしが半日以上、VRゲームのことを考えなかったのなんて久しぶりかもしれない。


(ラックからメール来てないかな)


 彼にはちょっとした暴言を吐かれたが、NGワードを言われたわけではないので、そのこと自体は気にしていない。ただ、ログインすらもしていない様子なのが気にかかる。フレンドといってもVRゲーム上だけだし、気まずいのなら勝手に解除して自由にプレイをすればいいのに、と思う。


(あと、ギルド勧誘どうしよう)


 昨日、白鳥の旅団のエルトから、ギルド加入用紙を受け取ってしまったのだった。もちろん断るつもりなのだが、それをどうやって言おうか考え出すと気が重い。まだギルド規則や方針は読んでいないが、それが自分と合わないと言えばいいのだろうか。

 ラーメンの残り汁を捨ててお椀を洗い、ソファに寝転ぶ。まだ時間はあるのに、せっかく両親がいないのに、LLOにログインする気がなくなってしまった。攻略情報を集める気分にもなれない。こんなことは、ヘッドギアを買ってから初めてだ。あたしは常に、何かのVRゲームに熱中していたし、ログインしていないときも、そのことを考えていた。


(あたしは好き勝手にプレイしたいのに……)


 ログインすれば、フレンドであるラック、ワイス、ノーブルにそれが知れる。白鳥の旅団とは、狩場がかぶることが多いので、エルトとも出くわす可能性が高い。他プレイヤーとの交流――MMORPGにおいて、それは肝心要、中心の要素だ。あたしは今まで、それを無視してプレイしてきた。多少邪道でも、孤高の猫使いなんて変なあだ名つけられても、その方が気楽だったからだ。

 リビングの静けさにいたたまれなくなったので、テレビをつける。最近LLOばかりやっていたから、今は何の番組をやっているのかさっぱりわからない。どれも面白くなさそうなので、無難なニュース番組をつけておく。住宅街でひき逃げがあったとか、老朽化した水道管が破裂したとか、物騒なことばかりやっている。


「そもそも、あたしってMMORPG向いてないよね」


 今さらである。アルバイト代を根こそぎつぎ込んでおいて、あたしは何を言っているんだろう。声に出してしまったことで、一層その言葉が虚しく感じる。そして、あたしは残高を確認する。今日一日で、かなりお金を使ってしまった。美容院代はタダだったが、昼食は割り勘だったし、メイク用品を一式買い揃えたのだから。……あと、靴。一目惚れした白いサンダルだが、これがけっこういいお値段だったのだ。新マップのボス・リナリアを倒すため、更なる課金をしなければならないというのに。


「ただいま」

「おっ、おかえりなさい!」


 ぼうっとしていたので、父が帰ってきたことに驚いてしまった。


「珍しいな。雪奈がゲームをしてないなんて」

「あ、うん……」


 夜はほとんど自室でヘッドギアをつけているので、父におかえりと言ったのもずいぶん久しぶりだ。父は冷蔵庫を開け、スポーツ飲料を流し込む。そしてげっぷをする様子に、父もずいぶんオッサン臭くなったなあと思う。


「髪切ったか?」

「え、わかるの?」


 意外だ。長さはそんなに変えていないから、家族にはばれないと思っていたのに。


「美容院に行ったのか?」

「うん……」

「そうか」


 父はそのまま、風呂場へ行ってしまった。父は表情の変化が少ない人なので、何を考えているのか、娘のあたしでもよくわからない。美容院に行ったことを、一体どう思われたんだろう。もう一度顔を合わせるのがなんとなく気まずいので、あたしは自室へ戻る。メイク用品を出したままにしていたので、片づけようとしたのだが、ポーチを買わなかったことに気づいた。


(あ、おばあちゃんから貰ったのがあったはず……)


 押入れをひっくり返してみるが、それらしき箱が無い。もしかして、母の部屋だろうか。どうせ使わないからと、預けたような気がする。帰ったら聞いてみようと思った矢先、母から今日は帰れないというメールが届く。少し悪いと思ったが、あたしは勝手に母の部屋を捜索することにする。


(お母さん、部屋、汚いな……)


 自分の部屋も、あまり褒められた状況ではないのだが、本当に汚いのだからしょうがない。最近は仕事詰めで、整理をする暇がないというのはわかるけど。もはやガラクタ入れと化しているタンスが怪しいと見当をつけ、ひとつずつ開けていく。


「何探してるんだ?」

「ひえっ!」


 ゴトゴト音を立てていたせいで、父に気づかれてしまった。探すのに必死だったせいもあるけれど、いきなり声をかけてくるのはやめてほしい。ポーチを探している、なんて父に言うのは恥ずかしいが、母の部屋に入ってしまった手前、観念して本当のことを言う。


「それなら俺が持ってる」

「え、何で……」

「おばあちゃんの家から帰るとき、車の中で雪奈が渡してきたんじゃないか。化粧なんてしないから無用の長物だ、とかなんとか言って」

「そ、そうだっけ?」


 うわっ、覚えてない。父がポーチを出す間、あたしは廊下で背中に汗をかいていた。さっき、お風呂入ったのに。


「これだろ」

「ありがと……」


 箱には、あたしでもわかる有名ブランドのロゴが入っている。買えばいくらするのだろう。それから、使い道を聞かれるかと身構えたが、父はすっと部屋に戻ってしまう。あたしがポーチを探し出したことに疑問を感じないのか。


(まあ、いっか……)


 やっぱり父はよくわからない。もう気にしないことにして、メイク用品をポーチに詰めていく。明日から、本当に化粧をして大学に行くのかと思うと、なんだか緊張する。あんな奴がメイクなんかしてるよ、と後ろ指を指されないだろうか。悪い想像をして尻込みするが、ラナちゃんに出くわして怒られるのも嫌だ。


(それに、やっぱり、地味な性格は……嫌だな)


 あたしだって、自分の性格が好きなわけじゃない。この性格のせいで、友達はできないし、現実の世界で面白いことが無い。


(こわいけど、変えなきゃ)


 髪型はすでに変わってしまった。父にばれたくらいだから、他にも気づく人はいるだろう。これは、ラナちゃんがくれたチャンスだ。思い切るしかない。

 あたしは、明日着て行く服を決めて、目覚ましを三十分早くセットして、眠りについた。LLOには、ログインしないまま。

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