32:雪奈の靴

 車窓に映る自分の顔を見て、あたしはぺたぺたと髪や頬を触っていた。バラの香りのヘアミストがくすぐったい。髪を少し切り、メイクを少ししただけなのに、朝の自分とは全く別人になってしまった。


「松崎さん、次はどこへ行くんですか?」

「ん、もう少しで着くよ」


 ラナちゃんは、百貨店の立体駐車場に車を停める。真っ直ぐ向かった先は、靴屋だった。


「靴、ですか?」

「そうだよ~!足元を固めれば、とりあえず改造は終了。逆に言うと、足元をおろそかにすれば締りがなくなるの。靴って、本当に大事なんだよ。さて、いいサンダルは無いかな~」

「そういうものなんですか……」


 靴なんて、サイズが合えばいいとあたしは思っている。足元なんてそんなに目立たないし、そんなに効果があるのだろうか。LLOでは、稲妻のブーツのように足装備が強力なことがあるが、彼女が言うのは絶対にそういう意味じゃない。あたしは店内をおどおどと見渡す。サンダルだけでも、たくさん種類がありすぎて、よくわからない。


「おっ、これいいじゃん!」


 ラナちゃんがあたしの分を見繕ってくれるのかと思いきや、彼女は自分で試着を始めている。思わずずっこけそうになった。自分にどんなものがいいのか、見当もつかないというのに、助けてくれないのだろうか。


(でも、店員さんと話すのはこわいな……)


 なるべく話しかけられないよう、ラナちゃんの付き添いで来ました!というような顔をしてみる。こういうのは得意だ。そのまま気のないフリをしつつ、店の奥へ向かう。視界の端で靴を見ながら、時折鏡に映る自分の姿を発見して、照れくさくなる。

 そういえば、現実の世界で買い物をするのは久しぶりかもしれない。それこそ、おばあちゃんが大学用の服を買ってくれたとき以来だ。LLOのアイテムショップなら、ベッドに横たわったまま全商品を閲覧できるのに、などと思ってしまう。


(あ……可愛い、の、かも)


 あたしが引き付けられたのは、ベルトのついた白いサンダルだった。控えめなデザインだが、かかとにラインストーンがあしらわれている。手に取ってみると、一瞬、それを抱きしめたいような衝動に襲われる。この靴がいい。胸の奥に、電流が走る。いつの間にか、後ろに立っていたラナちゃんが声をかけてくる。


「はいてみれば?」


 それはぴったりと足にはまった。ラナちゃんの意見を聞くまでもない。この靴が、今のあたしにとって、一番必要なものだ。あたしはしばし姿見を眺める。初めて外に着て行ったお洒落な服を着て、髪をセットし化粧をしたあたし。そして、このサンダルをはいたことで、全てのピースがしっかりとはまったような気がする。あたしは鏡越しに、ラナちゃんに話しかける。


「ありがとうございます、松崎さん。あたし、どうせ無駄だろうって思ってたんです。せっかく松崎さんが色々してくれても、地味で暗いままだって。それに、あたし、今のままでいいって思ってました。でも、なんだか、その……上手く言えないんですけど」

「可愛くなったでしょ?」


 顔がかあっと熱くなり、あたしは俯く。


「アタシもさ、何で地味子にここまでしたくなっちゃったのか、よくわかんないんだ。アタシにとっては、ただの暗いアルバイト仲間だったし。けど、一昨日アタシを助けてくれた時、地味子の中に眠ってるパワーって実は膨大なんじゃないかな?って感じたんだ。そうすると、勿体なくなってね」


 ラナちゃんの言うことが、全部はわからない。彼女の言わんとしていることも、完全にはつかめない。それでも、涙がぽとりぽとりと落ちてきて、メガネのフレームにたまっていく。アイラインも、ファンデーションも台無しだ。


「ちょっ、泣くなよもう~」


 ラナちゃんにティッシュで顔を拭かれ、あたしは肩を震わせる。


「アタシは大したことしてないっつうか、無理やり色んなことさせて地味子に悪かったっつうか……」

「そんなこと、ないです」


 顔を上げて、あたしは笑う。ラナちゃんも、笑っている。


「地味子……じゃなくて、雪奈。改造完成祝いに、お昼食べに行くよ!」

「はい、えっと、ラナちゃん!」


 それからあたしたちは、靴の入ったショップバッグを提げて、レストランに入った。最近日本に上陸したメディック・ダイニングだ。注文パネルについているリーダーに指を乗せると、体調がチェックされ、それに合ったメニューが表示される。あたしは初めてだったが、ラナちゃんは慣れているようだ。雑誌モデル仲間とよく来るらしい。今回表示されたのは、二人とも野菜中心のメニュー。


「昨日はお肉食べ過ぎましたもんね……」

「うん、アタシも反省してる。来週スナップ撮影なのになあ」


 あたしは夏野菜カレーを、ラナちゃんはナスの味噌煮の和御膳を注文する。料理と一緒に渡されるカードには、カロリー量や原材料、今後自分が気を付ける病気なんかが書かれていて面白い。朝から何も食べていない上、イベントが立て続けに起こったので、お腹はぺこぺこだ。がっつきたい気持ちになるが、新品のシャツにカレーをとばさないよう慎重にスプーンを運ぶ。

 それにしても、今日は本当にびっくりした一日だった。多少疲れたが、変身した自分を見ることができて素直に嬉しい。見た目がマシになったことで、こういうレストランに来ても肩身が狭くないし。


(槙田くんが見たら、驚くだろうな)


 彼がこのレストランに来てやしないかと、軽く辺りを見回す。もちろんそんなことはない。この恰好をしている内に、ばったり出会えたら素敵かもしれない、と思う。


「地味……いや、雪奈、何か考えてる?」

「い、いえ!決して一切何も考えてないです!」


 槙田くんのことを考えていたなんて知れたら、ひとたまりもない。全く濁しきれなかったので、ラナちゃんはいまいち信用していない顔をする。


「ま、いいけど。さてと、最後にメイク用品買って雪奈んち帰って、今度はメイクの特訓ね」

「はい?」


 もうこれで終わりだと思い込んでいたので、あたしは間抜けな声を出す。


「だって、自分でメイクできるようにならなきゃ意味ないじゃん」

「どういうことですか?」


 なぜ、そんな必要があるんだろう。泣いたせいで多少崩れたとはいえ、彼女にこんな完璧な化粧をしてもらったのに。


「明日から、どうすんのよ。アタシが毎日メイクしに行くわけにもいかないでしょ」

「え、明日もメイクするんですか!?」

「当たり前じゃん!何言ってんの!もしかして、明日からは地味子に戻るつもりだったわけ!?」

「そ、その……」


 はい、そのつもりでした!だって、自分一人で身だしなみを整えて、大学に行くなんて無理に決まっている。今日、こんなに幸せな思いができたのは一時の夢。そう思っていたのだが、ラナちゃんの考えは違っていたらしい。彼女は顔を歪ませ、心底呆れたようにため息をつく。


「はあ……シンデレラじゃあるまいし、明日になったら元の灰かぶりでどうすんのよ。いい?改造はこれからも続くの。今日だけお洒落したからって、雪奈自身は変わらないよ」

「あたし自身、ですか?」

「そう。アタシが雪奈にムカついてたのって、地味な恰好に対してっていうより、地味な性格に対してなの。アタシが仕事押し付けるときもさ、何か言いたそうにしてるくせに、ぼそぼそ返事してそのまま引き受けちゃうじゃん」


 ラナちゃんめ、押し付けているという自覚はあったんだな、と心の中でツッコミを入れる。


「地味な恰好やめて、可愛い恰好し続ければ、その地味な性格もきっとよくなるよ。アタシはそれを知ってる。経験上、ね」


 ラナちゃんはニカリと笑った。

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