25:残業

 ラックとの一件があってから、二日が経った。彼からは何の連絡もない。ノーブルとワイスによると、しばらくログインしたくないと言っているらしい。


「けれど、絶対に謝らせますから!」

「もう少し待っていて下さい!」


 二人にはそう言われたが、謝罪などどうでもいいと思っている。あたしは、普通にLLOがプレイできればそれで満足なのだ。

 その日は残業を頼まれたため、アルバイト先を出るのが少し遅くなった。ラナちゃんが風邪で休んだので、仕事がその分増えたのであった。日曜の夜、繁華街には、酔っ払いの姿も見受けられる。飲み屋の前を通りたくなかったので、多少遠回りだが別の道を行くことにした。喧騒から離れた、静かで落ち着いた道だ。


(あれは……ラナちゃん?)


 そんな人通りの少ない路地に、すらりとしたギャルと、二人の下品そうな男がいる。基本的にギャルは見分けがつかないのだが、彼女がいつも持っているヒョウ柄のカバンで認識できる。


(風邪なんて嘘ついて、男と遊んでたんじゃん!なんて奴だ!)


 そのせいで残業する羽目になったあたしとしては、彼女が憎くて仕方がない。とはいえ、ズル休みをしていたことを、誰にも言うつもりはない。あたしが言ったって、誰も信じてくれないだろうし、攻撃されるのがこわいからだ。さっさと帰って、LLOをしようと思ったときだった。


「ちょっと!やめてよっ!」


 ラナちゃんの声がする。反射的に足を止めると、二人の男が彼女の体をがっしり掴んでいる。彼らが進む方向を見ると、一台の車が停まっており、後部座席のドアは開いている。ラナちゃんは抵抗しているが、口をタオルのようなもので塞がれ、声を出すこともままならなくなった。


「うるせえ!さっさと歩け!」


 男たちの体は細身だが、ラナちゃんの体はもっと細い。その場に踏ん張ることもできず、ぐいぐいと前に押されている。周りを見渡すが、誰もいない。この光景を見ているのはあたしだけだ。車から太った男が出てきて、早く来い、というようなジェスチャーをしている。


(車に押し込もうとしてる!?)


 助けなきゃ、と踏み出しそうになるが、思いとどまる。あたしが行ったって何になる?返り討ちに逢うだけだ。ナオトなら、男だけを正確に狙い、倒すことができる。現実のあたしには、武器も、体力も、スキルも、何もない。

無視しちゃいなよ、という囁きが聞こえる。知り合いとはいえ、あたしには関係のないこと。面倒に巻き込まれないように、見なかったことにしてしまえ、と。

けれど、翌朝のニュースで、女性の変死体が見つかる羽目になったらいたたまれない。警察に電話しなくちゃ、とカバンを開けようとするが、手がガタガタ震えてファスナーを掴めない。何か、こんなあたしでも、できること――。


「誰か来てえええええ!」


 その声に驚いた男たちは、ラナちゃんから手を離す。


「誰かあああああっ!」


 二回目の声が終わる頃には、男たちはラナちゃんを置いて、車に駆け出して行く。そして、へなへなとその場に崩れ落ちたのは、ラナちゃんではなく――叫んだ張本人である、あたしだった。

 男たちは車で走り去り、声を聞いた誰かが近づいてくる足音がする。


「逃げるよ!」


 ラナちゃんはそう言ってあたしの手を掴み、ぐいっと引いて立たせる。あたしは引っ張られるままに路地を駆ける。ラナちゃんの高いヒールの音が、コンクリートに反射しカンカンと響く。


「ぜぇ……はっ……も、もう無理……」


 どこまで走ったのだろうか、街の喧騒はすっかり遠く、あたしたちは住宅街に来ていた。ラナちゃんも息を切らしているが、あたしほどではない。彼女、見た目よりも体力があるようだ。しかし、あたしの手を掴む指は、小刻みに震えている。


「なんで、地味子が……」


 ラナちゃんはあたしを見てそう言い、手を放す。


「そっちこそ……」


 あたしたちは息を整えた後、座れる場所を求めて歩き出す。すぐに公園が見つかったので、一人分の間を開けて、ベンチに座る。


「飲み物、買ってきましょうか……」


 自動販売機があったのでそう言うと、ラナちゃんは首を振り、立ち上がる。自分が買ってくる、という意味らしい。


「水でいいよね」

「はい」


 ヒョウ柄のカバンは、ついていたはずのフリンジがちぎれ、持ち手もボロボロになっている。


「お礼、言っとく。ありがとう」


 ペットボトルを渡しながら、ラナちゃんがぶっきらぼうにそう言う。メイクは落ち、目の下にマスカラの残骸が積もっている。聞きたいことは山ほどある。なぜ、あんな男たちと一緒にいたのか。どうして、連れ去られそうになったのか。そして、最も不思議に思ったのが、あの場から被害者である彼女が逃げ出したことだ。


「このこと、誰にも言わないでね。お願い」

「わかりました……」


 しかし、警察に通報しなくてもいいのだろうか。それを言おうとすると、先に彼女が口を開く。


「あんた、あんなに大きな声出せるんだね」

「じ、自分でもびっくりしました」


 あれが、最良の判断だったのかは、わからない。けれど、こんなあたしにできることといえば、それくらいしか思いつかなかったのだ。そして、思ったより大きな声があたしの口から出た。大声どころか、一言も発しない日もあるのに、窮地に陥った人間の底力って凄い。


「悪いけど、今日は何も説明しなくていいかな。ID、教えとくからさ」

「はい……」


 ID帳に、松崎愛虹(まつざきらな)という項目が追加される。同年代の女の子が載るのは、これが初めてだ。バッチリ修正を施した、バストアップの画像データまでついている。これは、正直要らないけど。そして、彼女の大学名に目が留まる。


「えっ、あ、同じ大学、だったんですね」

「ホントだ。アタシ、経商の三年だけど」

「あたしも経商です。一年生です」


 あたしたちは顔を見合わせる。まさか、学部の先輩と後輩だったとは。妙な偶然に、笑みがこぼれる。ラナちゃんはゆっくりと立ち上がる。


「とりあえず、今日は帰ろうか。家はどこなの?」

「湊西です」

「じゃあ、駅までは一緒だ」


 地図で調べると、あたしたちは駅まで20分ほどのところまで来ていたらしい。お互い、足が痛むので、のっそりと歩いていく。家路を急ぐ人や、もう一軒飲み屋を探している人たちと、すれ違う。金髪のギャルと、黒髪の喪女の組み合わせを気にする人など、誰もいない。


「あの。あたしのこと、地味子って言いました?」

「あはは。ごめん、実はこっそりそう呼んでた」

「はは……」

「あはははは……」


 あたしたちは気持ち悪く笑いながら、駅につき、別れた。LLOにログインする気など、毛頭起きなかった。しかも、明日は経営学演習Ⅰの発表があるのだ。あたしはシャワーを浴びると、髪もろくに乾かさず、眠りに落ちた。

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