26:発表当日

 翌朝、目を覚ますと、ラナちゃんからメールがあった。昨夜の礼をしたいので、今日の夕食を奢らせてくれないかということだった。女の子と二人で外食など、初めてだ。緊張の度合いは、槙田くんたちとの昼食の時より上である。あの時は四人だったから、自分が黙っていても何とかなった。しかし、二人きりとなれば、必ず会話をしなければならない。気は重いのだが、礼を受け取るのなら早い方がいいと思ったので、渋々了承した。放課後、大学の図書館前で待ち合わせだ。

 経済学演習Ⅰの教室に行くと、既にメンバーは揃っていた。相沢くんがパソコンを立ち上げており、槙田くんと白崎くんがそれを覗き込んでいる。


「あ!雪奈ちゃん来た~!」


 あたしに気づいた白崎くんが大声を上げる。下の名前で呼ばれることに、顔が引きつって仕方がない。


「ど、どうも……」


 おずおずと彼らの輪に入って行く。彼らは動画の最終確認をしていた。画面から目を離した槙田くんは、あたしの顔を見てにっこりと笑う。彼の笑顔は、挨拶や礼儀といった類のもので、あたしが来たから笑ったのではないとわかっている。それでも、心がざわめくのは止められない。


「相沢、頑張ってくれたみたいでさ。編集バッチリだよ」

「はいはい。槙田は人を褒めるのが上手いよな」

「本当に感謝してるんだけどなあ」


 槙田くんが相沢くんを小突き、二人は笑う。一瞬、ラックの顔が頭をよぎる。ここでもし、最近LLOにログインしているかと聞けば、ラックの中の人が槙田くんかどうか確かめる手掛かりになるだろう。もちろん、あたしにはそんなことできない。本当にそうだったとして、あたしがナオトだとバレたら面倒なことになるからだ。

 この発表が終われば、槙田くんたちとの関係は終わる。そうしたら、中の人が誰かだなんて、気にする必要はないじゃないか。そう心の中で呟いて、レジュメに目を落とす。あたしが読み上げるのは、中盤の部分だ。修正前より、読む量は増えているし、任された部分はしっかりしなければ、と気合を入れる。


「雪奈ちゃん、大丈夫?」

「あっ、うん……」


 気持ちが顔に出ていたのだろうか。槙田くんが心配そうに声をかけてくれる。こんなもっさい女の顔色をいちいち見なくてもいいんだよ、とあたしは申し訳なくなる。気遣われるのは、どうにも慣れないのだ。


「なあ槙田、おれも緊張してきた!」

「嘘つけ、お前のその顔は余裕顔だ」

「槙田冷たい~」


 白崎くんがおどけていると、教授が入ってきた。


「時間になったら、すぐ始めますよ。一班と司会進行役は前に来て下さい」


 あたしたちは二班なので、まずは自分の席に着く。一班の発表内容は、ムード・オルゴールだった。自分の感情をコントロールするための機械で、元々は鬱病患者のためのものだったらしい。抑鬱状態の解消はもちろん、気持ちよく目覚めたり、食欲を湧かせたりすることもできる。うちの父親も去年買った。持ち主の脳に合わせて刺激が調節されるので、他人のものを借りることはできない。父親の寝起きがあまりにも良くなったので、自分も欲しいと思っていたところだった。


「そして、僕たちもムード・オルゴールを使って集中力を高め、このレジュメを作ることができました!って、これじゃ宣伝みたいですね」


 一班がそう言って締めたので、教室に笑いが起こる。簡単な質疑応答と、教授からの講評があり、次はいよいよあたしたちの番だ。レジュメを配り、ホワイトボードの前に横一列で並ぶ。冒頭を読み上げるのは白崎くんだ。


「二班です、よろしくお願いしま~す。えっと、僕たちはVRゲームをテーマに選びました。レジュメに書いてあります通り、家庭用ヘッドギアがアメリカのバラー社から発売されたのは、僕たちが高校生の時でしたが……」


 彼は大きな声で、すらすらと原稿を読み上げていく。まるで緊張していないようだ。案外、人前に出ることに慣れているのだろうか。自分も同じようにできるかどうか、途端に不安になる。空調は効いているはずなのに、顔がかあっと熱くなる。映像が始まる。これが終わると、あたしの担当だ。


「大丈夫だよ」


 耳元で、槙田くんが囁く声がした。映像の音声に紛れ、はっきりと聞き取れなかったが、確かに彼はそう言った。はっと彼の顔を見遣ると、ただにっこりとほほ笑んでいる。


(俺がついてるから)


 槙田くんの目は、そう言っているような気がした。……あたしの、思い上がりかもしれないけれど。でも、それでもいい。あたしは槙田くんの存在を感じながら、大きく息を吸った。


「つ、続いて、VRゲームがヒットした社会的背景について、考察します!」


 声が裏返りそうになりながら、あたしは必死に原稿を読む。動物の大量死滅現象をきっかけに、VRでの動物の再現が流行し、ペット育成ゲームがヒットしたこと。購買力のある60代をメインターゲットに据えていたこと。読み切ったときには、喉がカラカラに乾いていた。


「はい、では次に、VRゲームの影響力についてですが……」


 まとめをするのは槙田くんだ。彼はほとんど原稿を見ずに、教室を見渡しながら話している。やっぱり彼はすごい。あまり見ていると変だから、あたしは視線を床に落とす。予定時間きっかりに発表は終わり、一刻も早く席に戻りたい気分になる。お茶、飲みたい。しかし、まだ質疑応答が残っている。質問役は、トイレであたしのことを批判していたギャルの一人だ。


「えっと、内容はすっごく良くて、特に質問は無いんですけどぉ。二班の人たちは、どんなVRゲームするんですかぁ?」

(なんだその的外れな愚問は……)


 授業なんだからしっかりしろよ、と心の中で突っ込む。あらかじめ決めていた回答役は、相沢くんだ。


「できたら内容についての指摘が欲しかったんですが。まあいっか。えっと、多人数参加型の、MMORPGっていうジャンルとかです。今はLLOにハマっています」


 すると、俺もやってるよ、などの声がちらほら聞こえてくる。意外にあのゲームの人口は多かったようだ。職業は何、なんていう雑談が始まりそうになったので、教授がそれを打ち切り、講評を始める。


「二班、ご苦労様です。VRゲームはどこかがやると思っていましたが、すっきりまとまっていましたね。VR中毒など、悪い影響について触れているのも良かったです」


 あたしは唾を飲み込む。


(けっこう、褒められた……?)


 みんなの表情を見る。そして、発表が上手くいったことを実感した。

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