31.魔甲兵

◆???視点


 赤いさそりの異名を持つ、共和国軍の女将軍カルメン・ダーシュイシュトスは、癖のある長い赤毛を鎧の後ろに流しながらつぶやいた。


「難攻不落のダンジョンと聞いていたが……拍子抜けだな」


 カルメンは、燃えるような赤い髪と同色の瞳を持つ美女だった。

 年齢は、三十前後。

 共和国軍の長い遠征の最初期から先鋒部隊を束ねあげてきた女傑である。

 見事なプロポーションを誇る鍛え上げられたボディを、レッドスコーピオンの魔獣甲殻を加工して作ったフルプレートメイルで覆っている。いくら魔獣甲殻が鉄より軽いとはいえ、全身を魔甲で覆って動ける女など、共和国軍の中にも数えるほどしかいない。

 手にはレッドスコーピオンの尾を加工して作った特製の鞭。この鞭も魔甲と同じく持ち主の意思によるコントロールが可能だった。


「マミー、キラースコーピオン、ジャイアントワスプ、スネアスパイダー、トキシッククラウド。珍しいモンスターもいるが、攻略できぬほど凶悪なモンスターではなかったな」


 もちろん、こちらには魔甲兵がいる。

 魔獣甲殻は周囲の魔力を吸収して強度を増す。

 なまなかなモンスターの攻撃では、傷一つつくことがない。

 魔甲の隙間を狙うような知能はモンスターにはないから、事実上、ほとんどのモンスターを完封することができる。


「ドラゴンでもいるかと思ったがな」


 所詮、伝説は伝説にすぎなかったということか。


「それにしても、遅いな」


 簡易版の破城槌を用いての隔壁への攻撃を始めてから、既に丸一日が経過している。


「天上国は、ずいぶんと強固な隔壁を造れるらしい。いや、隔壁を維持する魔力を、これだけ蓄えていることこそ驚異的だ。天上国の始祖は、英雄的な魔術師だったという。その伝統は健在だと見ておくべきだろう」


 敵側に優秀な魔法戦力があることは覚悟しておいた方がいい。

 魔甲は弱い魔法を表面で弾くが、中に人がいる以上火に巻かれてはダメージを受ける。

 魔甲の、ほぼ唯一と言っていい弱点だ。


「貴重な魔法戦力は連れてくることができなかったが……十分な数の弓兵はいる」


 魔法は、その性質上、攻撃対象を視野に収めてからその名を口にする必要がある。

 魔法を発動するのは一瞬で済むが、その一瞬の前後に、魔術師は致命的な隙を晒すことになる。

 魔法には弓で対抗する。

 それが、共和国軍が長い遠征の経験から見出した、戦闘における鉄則である。


「敵が魔法戦力の温存を図り、歩兵を中心に攻め寄せてきたら……」


 その場合はむしろ楽ができる。

 防御の硬い魔甲兵を前面に押し出して、敵軍を押しつぶせばいいだけだ。


 カルメンは、静かに待機する魔甲兵部隊に目を向ける。

 帝国が所有していた飛甲兵に相当する存在は、残念ながら共和国には存在しない。

 マッシヴビートルは、帝国領にしか生息していなかったからだ。


 だが、共和国軍は、全体として、帝国を凌駕する種類と規模の魔甲兵部隊を有している。

 今、カルメンの目の前にいる魔甲兵はそのほんの一部にすぎない。


(やはり、不気味だな)


 カルメン自身、魔甲を使った鎧を使ってはいるが、これはオーダーメイドの高級品だ。

 一般の魔甲兵は、魔獣甲殻を、ほぼそのままの形で身につける。

 が、いかに大きいとはいえ、所詮はモンスターの甲殻である。人間の骨格とは必ずしも相容れない。

 そのために、共和国では、占領地の子どもを徴発する。

 徴発された子どもは、魔獣甲殻を着せられ、厳しい訓練を課せられる。

 一日中、寝ている間ですら、子どもたちは魔獣甲殻を脱ぐことを許されない。

 そんな生活を何年も送るうちに、子どもたちの体格は魔獣甲殻に合わせて発達し、魔獣甲殻は彼らの身体の一部と感じられるようになる。


(いや――違うな。彼らこそが、魔獣甲殻の一部となるのだ。そうして、魔甲兵というひとつのイキモノが完成する。共和国のためにその身を捧げる生きた兵器が、な)


 そうやって、共和国は長い遠征を戦ってきた。

 魔甲兵を使って村を、街を、都市を占領する。

 占領地から「原料」を調達し、魔甲兵をさらに増やす。

 さらに増えた魔甲兵でまた占領地を増やし――


(帝国の生ぬるい「魔甲兵」とわれわれの魔甲兵はまるで違う)


 見よ、カルメンの前にいるモノたちを。

 ムカデ、サソリ、アリ。

 人であることを捨て、魔獣として機能するために体格を成長させた「人間」がそこにはいた。


 彼らは、強力な戦力でありながら、いや、だからこそかえって、一般兵からは忌み嫌われる。

 軍の中での地位もない。

 魔甲兵とは、兵器であって兵士ではない。

 共和国軍の最終兵器にして、共和国軍の最下層に生きる存在だ。


(このようなモノを生み出した共和国が、地上から逃げ出し、天上で惰眠をむさぼってきた者たちに敗れるはずがない)


 カルメンは赤い唇を釣り上げて笑う。



 障壁の破壊に成功したという報告がカルメンのもとに届いたのは、その直後のことだった。





「よし! 進め!」


 横一列に広がった魔甲兵が、障壁の奥へと進んでいく。

 その背後には弓をつがえた歩兵が続く。


 だが、想定していた攻撃がない。

 ダンジョンとはやや様変わりした通路はもぬけの殻だった。


「ふむ……しかけてこないか」

「いかがいたしましょう?」


 副官がカルメンに聞く。


「進め。油断はするな」


 おそらく、敵はこちらを懐に引き込もうとしている。

 罠や待ち伏せのある可能性は高い。

 だが、ダンジョンと同じ黒いブロックで造られた通路に落とし穴を掘ることは難しい。罠の種類も限られるだろう。


(誘い込んでの、包囲殲滅)


 それが敵の目論見だろう。


(問題は向こうの戦力がわからないことだな)


 手練れの魔術師がいることは覚悟しておかねばなるまい。

 が、どのくらいの数がいるのか。

 万一、こちらを上回るほどの数の魔術師がいたら、全滅は免れないだろう。

 カルメンの手のひらに汗がにじむ。


 緊張を強いられる行軍が続いた。

 だが、数分経ってもまだ敵兵の姿が見えない。


(まさか、プレデスシェネクには既に人がいないとか? とっくの昔に天上国は滅んでいて、わたしはその亡霊に怯えているだけだということは……)


 いや、そんなことは考えるべきではない。

 敵はいる。

 そう思って備えていなければ、いざという時に対処に遅れが出る。


 何度か、分かれ道に遭遇した。

 兵を分けるのは気が進まないが、退路を立たれる危険も犯せない。

 いくらかの兵を分かれ道に振り分け、分岐路にも兵を置く。

 徐々に兵を削がれている感覚があった。

 まちがいなく、敵側の狙い通りなのだろう。


(持久戦に持ち込めば、補給線の長いわれらが不利。電撃的に攻撃し、短期間で天上国を陥落させる!)


 戸惑っているのはこちらだけではない。

 向こうも、こちら側の戦力がわからないはずだ。


(迷ったところで、引き返せるはずもない。相手がこちらの戦力を計れずにいるうちに叩く! 共和国の魔甲兵で敵軍を駆逐する……これまでやってきたとおりにやればいい)


「進め!」


 カルメンの命令で、共和国の兵器と兵士が進んでいく。

 さきほどまでのダンジョンとは、通路の造りが異なっている。

 ダンジョンに比べ、このあたりの通路はあきらかに人為的に造られたものだ。


(既にわれわれは天上国の内部に侵入している)


 カルメンが改めて気を引き締めたところで、前方から悲鳴が上がった。


「何事だ!」


 通路は狭い。カルメンの位置からでは先頭の様子を見ることはできない。


「ご報告します! 敵兵です!」

「天上国の兵か」

「いえ、帝国兵の模様!」

「は? 帝国兵だと?」

「『帝国に栄光あれ』、そう叫びながら突撃をかけてきています」


 ――帝国に栄光あれ!


 カルメンの耳にも、その声がかろうじて届く。


「そうか、天上国に逃げ込んだ帝国の飛甲兵か」


 もともと、その追討がカルメンの任務のひとつである。


「いえ、魔甲を帯びてはおらず、平服に武器を持って無謀な攻撃をしかけてきています」

「……ふむ?」


 しばし考える。


「なるほど。天上国は、捕虜とした飛甲兵から魔甲を奪い、自殺的な攻撃を仕掛けさせているわけか。となると、その背後には督戦隊がいるはずだな」


 好き好んで自殺的な攻撃をする者などいない。

 必ず、奴らの背後に、奴らの退路を断ち、戻ってくるようなら斬り捨てる役割を負わされた督戦隊がいるはずだ。


「ようやくお出ましか。かまわん! 死にたいというなら死なせてやれ! 弓で減らし、魔甲兵で蹴散らせ! 共和国軍の強さを見せつけろ!」


 魔甲兵の力を見せつければ、敵も温存している魔法戦力を出してくるかもしれない。

 敵の反応で、敵のおおよその強さもわかるはずだ。


「くくくっ……楽しいなぁ、戦争は。そう思わんか?」

「い、いえ……は」


 のけぞった副官に気づくこともなく、カルメンは凄絶な笑みを浮かべていた。

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