29.仲間のために

 燃え尽き、真っ白になったメメンを残して、俺たちは氷室家へとやってきた。

 ……やってきてしまった。


「アリス、さすがにこれはヤバいんじゃ」

「う、うむ……し、しかしルアンはもはやわれわれの身内で……わたしの守るべき相手の優先順位は身内がその他大勢よりずっと上なわけで」

「ルアンはスフィンクスなんです。元の世界に返したところで、死ぬわけじゃありません。でも、ルアンが戻らなかったらプレデスシェネクの人たちは酷い目に遭います。それを正当化できると思うんですか?」

「ぐ……」


 さすがに冷静になってきたのか、ようやく俺の説得がアリスの耳に入りはじめた。


 なお、莉奈はもう少し早く正気に戻っている。

 その際、「おれは しょうきに もどった!」などと供述しており、ネタのフリがいつも通りであることから犯人は本当に正気に戻ったものと思われる。


 千草は、主人の意向と客観的な判断との矛盾に煩悶しているようだった。


 スフィンクスだったことが発覚したルアンは、応接室のテーブルの上で毛づくろいをしている。どう考えても超常の存在なのに、こいつはどうして飯を食ったり毛づくろいしたりするのだろう。


 執事さんが運んできてくれた紅茶を飲んで精神を落ち着けていると……また来た。

 本日3回目の召喚だ。

 ルアンがおおきくあくびする。

 それだけでパキン。


「重合体をつっこんでるジュリオの心労が偲ばれるな……」

「重課金してガチャを回しはじめた手前、ほしいものを手に入れるまでは止まれないような心境でしょうね」

「いや、そういうのと一緒にしてやるなよ」


 向こうの状況がわからないが、それだけに心配ではある。

 もっとも、異世界の現地国家による戦争で人が死んだところで、俺たちに関係があるのかと言われればない。その点はアリスの言うとおりである。

 パトラは向こうに知り合いくらいはいるだろうに、俺たちに行ってくれなどと言うそぶりは見せていない。無理な頼みだと理解しているのだろう。


 俺と莉奈は、既に家への連絡を済ませている。

 今日は氷室家に泊まるという内容だ。直前連絡だけに小言を言われたが、今更そのくらいで動じる残ってない。


 応接室の床には、各自の持ち出すべき荷物が置いてある。

 ないとは思うが、万一、ルアンの防御が失敗した時の備えだ。


 応接室に沈黙が落ちる。


 アリスはいまだに煩悶している。

 珍しいこともあるものだ。

 アリスの決断の早さと正確さは、俺たちがいちばんよく知っている。


 俺はなんとなくルアンを見る。

 ルアンは毛づくろいを終え、テーブルにくたりと横になっている。


(……ん?)


 その様子が、妙に大人しい。

 気品のある雰囲気の猫ではあるが、ルアンは基本人懐っこい。

 だから、「出ている」時は、たいてい誰かにじゃれついている。

 逆に、寝る時は姿を消して見えなくなる。

 なお、俺たちが一緒にいない時は、たいてい千草と一緒にいるようだ。


「ルアン、どうかしたのか?」


 俺はテーブルにしゃがみこみ、ルアンの顔を覗き込む。

 他の四人が顔を上げる。


「どうした?」

「いえ、ルアンが大人しいというか……ひょっとして調子が悪いんじゃ」


 ルアンは横になり、浅い呼吸を繰り返している。

 目を細め、まぶしそうな顔で俺を見る。

 俺は、ルアンの前足を撫でてやる。


 四人が跳ねるように立ち上がり、ルアンのそばに寄ってくる。


「……たしかに苦しそうに見えるな」

「ルアン? どうしたのですか、ルアン?」


 千草の問いかけにもルアンは答えない。


「ひょっとして、今日三度も召喚魔法を防いだからでしょうか」


 莉奈がそう言ってパトラを見る。


「わ、わかりません。ガーディアンが日に何度も力を使うこと自体がまれですから……。でも、召喚魔法を防ぐ時のルアンの様子は余裕ありげでしたが……?」


 パトラのセリフに、この部屋にはいないはずの人物の声が割り込んでくる。


「――攻撃を受けてるんですよ」


 俺たちは弾かれたように振り返る。


 そこにいたのはメメンだった。


「どういうことだ、メメン? 何か知ってるのか!?」

「スフィンクスは、至天の塔の守護者です。でも、霊的存在であるスフィンクスが地上のものに影響を及ぼすためには実体が必要です。といっても、形代かたしろのようなものがあればよいのですが」

「形代……わら人形や、神社の御神体のような?」

「その理解で合ってます。その子の形代は、至天の塔上層、隠し部屋にある神殿の中に安置されています。しかし今、至天の塔には共和国軍が入り込んでいます。あたしはこっちに来ているので向こうの情勢はわかりませんが、おそらく……」

「共和国軍とやらが隠し部屋を発見し、ルアンの形代に何らかの干渉を行っているのか?」

「そういうことです。干渉というほど高度なものではなく、単に戦利品として持ち出されたのかもしれません」

「そのせいでルアンが弱っていると?」

「はい。こちらの世界に来ていても、実体化するための核となる形代は、向こうにあるわけですから」

「……もし、形代が戻らなかったらどうなる?」

「それで消滅するほど、スフィンクスは弱くはありません。ただ、実体化はできなくなります。君たちのガーディアンでいられるかどうかはわかりません。霊的番人であり続けることをこの子が選べば、君たちのガーディアンでい続けるでしょう。もちろん、実体はなくなり、守護霊のように見えないところから見守っているだけになりますが」


 メメンの説明にアリスが黙り込む。


 俺たちは黙ってアリスを見る。


 スフィンクスは死なない。ただ、俺たちには会えなくなるだけだ。


「……ルアンは、望んでダンジョンの守護者をしているのか?」


 アリスがメメンに聞く。


「はい。もちろん、イジス・ラー様に頼まれてのことではありますが、その子自身、誰かを守ることが好きなようですよ」

「……それはわかる。われわれも守ってもらったからな」


 アリスが瞑目し、深呼吸する。

 次に目を開いた時、アリスの瞳には光があった。


「向こうに行くぞ。そして、ルアンの形代を取り戻す。神殿が占拠されているというのなら、なんとかして共和国軍とやらを排除する」

「できますかね?」

「われわれにならできるさ。プレデスシェネクの連中にも手伝わせる。というより、やつらも当事者なんだ。利害は一致している。向こうから三度も召喚してきたくらいだからな」

「アリスができると判断してるなら、いいですよ」

「お嬢様のおっしゃるままに。それと、ルアンのために、ですね」

「莉奈だって、ルアンのためなら頑張りますよ」


 俺たちの言葉に、アリスがうなずく。

 アリスはにやりと笑って言った。


「ちょうど、明日から夏休みだからな。心置きなく留守にできる」

「……いや、俺と莉奈は言い訳が大変なんですけどね」


 行く心配より、帰ってきた時の心配の方が大きいくらいだ。


「わたしが気まぐれで二人を海外旅行に連れて行ったことにでもしよう。帰ってきてから実際に行ってもいい。二人ともパスポートはあることだし」


 莉奈はもともとパスポートを持っていたが、俺はつい最近作ったばかりだ。

 召喚され、戻ってきた時に、万一海外に出てしまったら困るという理由でアリスに作るよう言われたのだ。もっとも、その場合でも入国記録はどうなるんだという話はあるが、パスポートなしよりはマシだろう。


「ヒュウ! 海外! 行きたいです!」

「向こうの用事が片付いたらな」



 そんなわけで、白陽学園生徒会、三度目の異世界です。

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