イレスダート人の男

 イスカの獅子王の傍らには、いま宰相がいない。

 シオンとスオウがケイトウを排除した。いや、ケイトウの首を取ったのはシオンの弟エンジュだ。

 即位してから三年、スオウはよくやっていると思う。

 シオンも獅子王の傍らに立つ。しかし、獅子王の傍に必要なのは政治力に長けた人間だ。

 シュロにこそ、そうあってほしい。シオンは幼なじみに懇願したものの、あっさり断られた。にべもない。昔、シオンがシュロを振ったことをまだ根に持っているのだろう。

 外の人間の目が必要だ。シオンはそう思う。イスカの王城は沃土よくどに恵まれているから、中にいれば餓える心配もない。だが、北や東に行けばどうか。長い逃亡生活のおかげで、シオンは貧しさを嫌というほど知った。彼らはいつも旱魃かんばつを恐れているし、かといって獅子王に期待をしない。反抗もできないのは、力がないからだ。

 それもイスカを統べるには必要だと、シュロは言う。

 イスカの王城とおなじくらい西は恵まれている。だから、幼なじみはそう言うのだ。

 やはり、シュロでは駄目だ。もっと慧眼けいがんに優れた人間がほしい。

 シオンはときどき市井に紛れて人材を探す。癇癪持ちの子どもも落ち着いてきたところ、これはシオンの息抜きでもあった。

 獅子王の連れ合いが王城を抜け出して羽を伸ばしている。シオンの姿を見かけても、住民たちは特に騒がずにイスカがすこし平和になったと笑みを作る。

 ところが、いつものように集落を彷徨いていたシオンを呼び止める声があった。

 シオンはたびたび住民たちからあれこれ相談を受け、必ず獅子王に届けると約束する。どれもまだひとつも叶っていなかったものの、この日はどうも様子が違った。

「異国人だと……?」

「は、はい。行商人にも巡礼者にも見えず……。浮浪者か何かと思ったのですが、いかんせん顔が綺麗なので」

 シオンは片手をあげて途中で遮り、目顔で案内するよう伝えた。農具が仕舞ってある納屋には若い男が縛られている。暴力を受けた形跡がないことから、捕縛される際に暴れなかったのだろう。

 シオンは目をすがめる。たしかに、行商人にも巡礼者にも見えない。後者であれば異国の地でいきなり捕らえられたら、まず祈りの声をするからだ。

 では、何者だろうか。シオンは青年を見つめる。青髪、瞳の色もおなじく。ずいぶんと年季の入った外套を纏っている。雰囲気だけでいえば、半年前にイスカに来たウルーグの客人たちにも似ている。つまり、イスカでは無縁の良家の貴人というわけだ。

「イレスダート人だな?」

 繋がれている青年よりも、シオンをここに連れてきた男たちの方がたじろいだ。

 イレスダートとは、ラ・ガーディアより東の大国である。聖王に守られた聖王国、大陸で最も広くそして国力を持つ大国だ。

 イスカでは特定の神を崇めるといった習慣はなかったが、しかし隣国ウルーグには敬虔なるヴァルハルワ教徒がいる。ヴァルハルワ教会の本拠地がイレスダートの公国にあるらしいが、シオンはよく知らない。とはいえ、かの聖王国の名前くらいは男たちも知っていたのだろう。

「し、シオン様」

「いや、構わん」

 跪き、青髪の青年の顔をのぞき込んだシオンを止める声がする。武器を隠し持っているなら、この男たちはとっくに殺されている。

「あ、危ないですよ。この男……、なにやら奇妙な術を使うようでして」

「奇妙な術?」

 シオンは青髪の青年の胸倉を掴んだ。抵抗するつもりもないらしい。ぞっとするほどに冷たいその目は、死んだ者のする目とおなじだった。

「あ、あの。本当に危ないですよ。そいつ、いきなり岩を吹き飛ばしたって、言いますから」

「そんな芸当ができるのは魔術師だけだな」

「そ、そうですよ! それに、傷だって綺麗に直してしまうし」

「先日の大雨か……」

 矢継ぎ早に捲し立てる二人の男たちをよそに、シオンはふたたび青髪の青年へと視線を戻す。イスカの人間には魔力というものが宿らない。よしんば持って生まれたとしても、身近にそれを扱える者がいなければ持て余すだけ、魔力を体現するような術がないのだ。

 隣国ウルーグ、あるいは東の聖王国イレスダート。そこでは魔力を扱える者もたくさんいるのだろう。だが、イスカは畏怖いふの意味を込めてそれを魔術と呼ぶ。

「ちょうどいい、そいつを私にくれ」

「し、シオン様……!」

「なにかしでかすつもりなら、とっくにしている。それに、そいつは怪我人を助けたのだろう?」

 男たちが顔を見合わせている。七日前に大雨が降った。山沿いにある集落では大きな岩が落ちてきて被害が出た。しかし、荒ら屋が数軒潰れただけで、重傷者はいなかったという。

 この青年は奇妙な術を使う。岩を吹き飛ばして住民を助け、治癒の術を用いて怪我人を救った。シオンが来るまで青髪の青年が処罰されなかったのは、扱いに困ったからだ。

 シオンはイレスダート人の男をイスカの王城へと連れ帰った。ちょうどシュロが来ていたところだった。

「お前は拾いものばかりするな」

「代価はちゃんと払った」

 シュロは肩を竦める。村人たちには銀貨を握らせた。交渉は成立だ。

「そいつが諜者ちょうしゃだったらどうする?」

「ありえん」

 シオンは即答する。東のイレスダートは大国だ。隣国ウルーグならともかく、イスカを欲するような利点がない。シュロもわかっていてわざを問うている。

「スオウがそいつを殺すかもしれんぞ?」

「ありえん。二度も言わせるな」

 くつくつ笑うシュロを尻目に、シオンは獅子王への言い訳を考える。否という声は出てこないはずだ。スオウは蜂起するまで自分が孤児だということにこだわっていたし、シオンに拾われたことも忘れていなかった。

「それに、異能力者は使える。イスカではまず、いないからな」

 俘虜ふりょは何の抵抗もなく、問えばあっさりと名乗った。貴人のくせに姓を答えなかったのは、捨ててきたのかもしれない。イレスダート人のセルジュ。それ以上は明かさない男をシオンは連れてきた。その意味を、シュロは気付いている。

「カンナのことは忘れろ」

 シュロはいまでもシオンに説教をする。

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