隣国からの客人

「お前はちっとも変わってないな」

 前に会ったのは戴冠式、それから三年が過ぎていた。シオンはシュロの臀を蹴ろうとして思い留まった。腕に抱えた子どもはやっと眠ったところ、また愚図られては堪らない。

「スオウの子にしてはちいさいな」

 自分の子らと比べているのだろう。シュロには十五人の子どもがいる。そのうちの三人はとっくに成人して、かと思えばやや子もいる。妻は何人いるのか、きこうとして馬鹿らしくてやめた。

「すぐに大きくなる。スオウと私の子だ」

 十の月も己の腹の中で育てて、これまで味わったこともないような苦痛を経験した後に産んだ子どもは、いとしかった。側女のカンナは早く嫁に行くようにいつもシオンを急かしていた。シオンの子を見たかったのだろう。シオンも、見せてやりたかった。

「若い時分は愚かだった。それが、ようやくわかった」

 シオンは自分が戦士でなくなることがおそろしかった。だが、違った。母親というものは強い生きものだ。シオンの実母もカンナもそうだった。なぜ、忘れていたのだろう。

「子がいても、いなくとも。母親になったものは強い。それに戦士のままだ」

「なんだ。いま頃、気付いたのか?」

 シュロがにやにやしている。やっぱり、臀を蹴るべきだった。

「悪かったな。私もそれだけ年を食ったんだ。嫌でもわかるさ」

 はじめ、イスカは荒れ地だった。

 荒れ地の民を纏めあげて、ここにイスカという国を作ったのはイスカル――初代獅子王だ。イスカの子らにはイスカルの血と遺志が受け継がれている。物心着く前には拳を鍛えるし、剣や弓の稽古に励む。男も女も関係ない。生ある者は戦う。それが、イスカという国だ。

「私は……、誰のためでもなく、イスカのために生きたかったのかもしれない」

 シオンは獅子王の娘として生まれた。そうしていまは、獅子王の傍らに立っている。

「お前だけじゃない。みんな、そうだ」

 シュロがシオンの肩をたたく。微笑み返したシオンは、回廊の向こうから来る客人を見た。

「おいでなさったようだな」

 シュロが挑戦的な目を向けるのはウルーグの王族たちだ。

 イスカはラ・ガーディアの国のひとつ、隣国ウルーグとは兄弟国である。最南にはフォルネ、最北にはサラザール。この四つの国からラ・ガーディアは成り立っている。いずれも初代王イスカルの兄弟たちが作った国だ。

 近臣たちに守られるようにして金髪の娘が広間に入って行った。金糸雀カナリア色の美しく長い髪、瞳は澄んだ翡翠色だ。

「まだ子どもじゃないか」

 隣でシュロがくすっと笑う。

「なにが可笑しい?」

「いや……。あの王女は十五の年に初陣したらしい」

 おなじ年の頃、シオンは何をしていたか。シオンはシュロを肘で小突いた。

「虫も殺せないような綺麗な顔だったがな」

「まあ、ウルーグも色々あるんだろうよ。女の王は認めない。王弟が叛乱を起こしたのが三年前だ」

 兄弟国に新たな獅子王が誕生した。此度ウルーグの要人たちがいま頃になってイスカに訪れた理由がそれだった。

「さて、お手並み拝見といきますかね」

 まるで戦場へでも向かうみたいだ。シオンは苦笑した。 

 一番大きい広間を空けた。幾何学模様の刺繍が施された絨毯の上には、すでにたくさんの料理が並べられている。椅子はなく、それぞれ思い思いに腰をおろすとようやくスオウが現れた。互いに簡単な挨拶を済ませると食事がはじまる。そのあとは無礼講だ。

 イスカでは果実酒の流通がほとんどないため、酒といえば蒸留酒が出てくる。老齢の官吏が、進められるまま蒸留酒を呷って咳き込んだ。一気に笑いが起こった。

 イスカの近臣たちと、それからウルーグの要人たちがスオウを囲っている。

 シオンはすこし離れた場所から羊肉を頬張っていた。ときどき、回廊の方を見つめるのは側女が呼びに来るかもしれないからだ。新しい側女はまだ若く、シオンの子が泣き出すとおろおろする。

 塩茹でにした羊肉も山羊の乾酪チーズも好評のようで、おかわりがつづいている。こんがりと焼けた焙子ベイズ――パンに似たもの――もちょうど運ばれて、皆が舌鼓を打っている。

 ウルーグの王女エリンシアも食事をたのしんでいる。白皙の美しい王女だ。エリンシアを見つめていたシオンは、ふと視線に気が付いた。王女や近臣たちからやや離れたところで少年が焙子をちぎっている。護衛の一人だろうか。翡翠色の双眸はすぐに逸らされた。

 小一時間もしないうちに側女が泣きついてきた。

 シオンは臥所ふしどに行って子を宥め、寝付いた頃を見計らって広間へ戻る。途中、シオンを待っていたのはさっきの少年だった。用を足したあと、広い王城で迷ったのかもしれない。

「姉のことが気になりましたか?」

 シオンはまじろいだ。なるほど、この少年は侍従なんかじゃない。

「これは失礼した。お初にお目に掛かる。エドワード王子」

「エディと。そうお呼びください、シオン様」

 エリンシアには弟がいる。ウルーグは王女と王子の姉弟だ。とはいえ、まさか王子が要人たちから離れた場所で、護衛のように付き従っているとは思わなかった。そして、この目。シオンに挑みかかってくるような強い目だ。

 戦場から離れて久しいシオンの背中に冷たいものを感じた。

 あの王女よりも四つくらいは下か。十二歳くらいの少年にシオンは気圧けおされている。

「おい、シオン。なにやってる?」

 シュロだ。エディと名乗った少年はにこっと笑って広間に戻って行った。

「……惜しいな。ウルーグは」

 シオンはつぶやく。シュロはちょっと考えるふりをして、それから言った。

「女だろうと、ウルーグは長子が王位を継ぐ習わしだ。あの坊やは王にはなれない」

「だからだよ。エディ坊やが嗣子ししだったなら、ウルーグは安泰だっただろうに」

「弟とは、そういうもんだ」

 世襲制ではないイスカには無縁の話だが、他の国では骨肉の争いが起こる。弟、か。シオンは口のなかで言う。それなら、シオンにもいる。

「どう、思う?」

 シオンは以前から感じていた違和を口にした。

「エンジュのことだ」

 イスカの解放戦争の折、シオンの弟は宰相の首を取った。そのまま自分が玉座に収まることもできたはずだ。それこそ、力ですべてを奪い取れば。

「姉であるお前がわからぬことを、俺がわかるはずがないだろう」

 すげない声が返ってきた。

 


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