「! あれ、ここは」

 目が覚めると、そこは寝室の布団の上だった。障子越しでもわかる夏の暑い日差しが、今日の熱さを物語っている。

「夢、だったのかな……」

 おんぶされた感覚が、わたしの体にまだ残っている気がした。

「うん、あれは夢じゃない。夢なんかじゃあ……」

「夏希――、起きたの? 起きたなら早くご飯食べちゃいなさい!」

「もう! 今、行くよ!」

 お母さんに急かされるまま、わたしは朝食を済ませて、身支度を整えた。セーラーの服に赤の短パンを穿いて、首には赤と白のチェックの入ったスカーフを巻いて完成だ。

 その間、おばあちゃんが、あら、雨でも降ったのかしら? サンダルが汚れてるわね。と言ったのを耳にしたが、何も言わなかった。

すぐに昨日の川辺に向かうことにしたが、玄関のところで、帽子を持っていくかいかないかで、お母さんと口論になってしまった。

結果は渡される直前に、玄関の扉を閉めてしまったのでわたしの勝ちだ。

 息を切らせて河原に行くが、誰もいなかった。念のため、草むらをかき分けて、草の無い広い場所に出るが、そこにも誰もいなかった。

「毎日、来るわけ、ない、か」

 息が整うまで、その場に居ようとしたが、虫が多くて断念した。足元には蟻やバッタなどが複数居るし、何よりも、蚊の大群が二つも居たので、屈んで除けながら、その場を脱出した。

 どうりで昨日、数箇所喰われたはずだ。

道に出たところを、落ち葉を巻き込んだ向かい風が吹いて立ち止まる。

「何よ、これは」

 前を向いていられず、後ろを向いたわたしの前に、別れ橋の文字が見えた。

 昨日は近くまで行かないと見えなかったのに、今は風のせいか、はっきりとよく見える。

 胸にざわめきが走った。

 サチの顔が、浮かんで消える。

「ま、まさかね」

 呟く言葉に力はない。ポケットに手を入れ、中身を確認する。昨日、サチに返し忘れた魚のルアーだ。

 わたしはとりあえず、サクラの店に行くことにした。

 胸騒ぎは気のせいだ。と決め付けるように、走っていった。

 サクラの店は、子供に人気があるようで、まだ朝にも拘らず、子供が外まで群がっている。

 わたしは苦笑いで、その子達を見ていたがどうも様子が変だった。子供たちはお菓子ではなく、入り口に立つサクラに群がっているようだ。

 わたしは子供たちの群れに加わって、サクラとの会話を盗み聞きした。

「なんでだよ! なんでいなくなっちゃうんだよ!」

「知らないよ。あいつの勝手だろ」

「でも、俺たちに内緒なんて……」

「しかも、夜中に行っちゃうなんてさ。酷すぎるよ」

 どうやら、誰かが引っ越してしまったらしい。それを一番親しかったサクラに八つ当たりをしているというわけだ。

 子供たちはさらに続ける。

「友達だと思ってたのにさ」

「友達だったらなんでも話してくれてもいいじゃんか」

「あいつにとって、おれたちは友達じゃなかったんだ!」

「それに昨日だって会っていたのに、酷い!」

「そうそう、本っっ当に大人って勝手よ」

「ウサギの兄ちゃんは、って信じてたのに」

 ウサギの兄ちゃん! 子供たちにとってウサギの兄ちゃんは一人だけ、まさか。

「それって、サチのこと? ねえ! サチのことなの? 教えて」

 近くに居た子の肩を掴んでわたしは問い出した。突然のことに、その子は一瞬驚くが、すぐにわたしを突き飛ばした。

「なんだよ。うるせえなあ、こっちは今、立て込んでるんだよ」

 彼の主張なんか聞く耳持たない。わたしは人並みを掻き分けてサクラの近くへ行った。サクラは私に気が付くと、深く息を吸い込んだ。

「ガキども! そんなにあいつのことが聞きたいのなら、役所に行け! ここは駄菓子屋だ! これ以上、ここにいると、店の商品、全部買って貰う事になるよ!」

 怒鳴るような口調に、大半の子供は涙目になり、後の子共達は完全に腰が引けていた。

 まだ居続ける子供に、サクラは大きく足を上げて、下げた。たった一歩だけ近づいただけで、子供たちはクモの子を散らすように逃げていった。

 わたしを残して。

 サクラは腕を組み、鼻を荒々しく鳴らした。

「まったく、しょうがない奴だねぇ」

「はぁ」

「サチのことさ。あいつ、昨日の夜に、夜行列車に乗って東京の大学院に行っちまいやがったのさ」

「と、東京! しかも大学?」

 サチには似合わない単語が並び、わたしは顔を引きつらせた。そんなわたしを横目に、サクラはもう一度、深く息を吸って、すぐに鼻から出した。

「あいつの、もう一人のあいつの夢なんだよ。薬剤師になるってのはね」

「や、薬剤師~!」

「昨日、お前が飲んだのも、あいつの手作りだって、知らんかっただろ?」

 襲撃の事実に、わたしは目を丸くした。

「え! あれって、そうなの?」

「ああ、そうさ。確か、サチ様特性試作品二十一号だったかな」

「し、試作品って……」

 つまりわたしは実験台ということか。おのれ、サチめ。これで重病になったら裁判にかけてやる。

「なんとも無かっただろ?」

「!」

 わたしの秘かな企みを見抜いたのか。恐るべしサクラ。

「誰だって、思うさ。素人の薬を飲まされりゃあね」

「そ、そうですよね。普通は怒りますよね」

 わたしは赤面しながら意気込むと、サクラは何度も頷いた。

「ああ、そうさ。気にすることは無い。そんなことより、はいこれ」

 興奮したわたしの頭に、サクラは帽子を被せた。

 鍔を見ると、それが麦藁帽子だと分かる。

「これって」

「そうさ。あいつが、この村に残していったもの。あいつの過去を知る唯一のものかな」

「過去って、サチが友達をなくした時のこと?」

 聞くと、サクラは苦笑混じりに笑い鼻を鳴らした。

「ああ。でも、少し違うな。さちがサチじゃなくなった時のことさ」

「えと、それって……」

 わたしが押し黙ると、サクラはフッと息を吐き出して、店の中へ入ってしまった。

 わたしはどうしたのかと思いつつ、続いて店の中に入った。

      


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