店の中は昨日と同じような雰囲気に包まれていた。お菓子が並ぶ棚、レトロな感じを表す電灯、しかしなにか物足りなさが残った。

 わたしは店の中を見回して、その何かを探していると、サクラが紙コップに入れた麦茶をお盆に載せて、奥の部屋から現れた。

「ほら、こっちに来な。冷たいものも用意したよ」

 カランと、氷同士がぶつかる音に、わたしは喉が渇いていたことを思い出した。

 サクラは背もたれの無い三脚椅子を、レジの向かうから引っ張り出してきて、一つを自分用に、もう一つをわたし用に貸してくれた。

 ドーナツの形をした椅子に腰を下ろして、サクラから麦茶を渡されて、一口飲む。

 コップを斜めにすると、上唇に氷が当たる。がそれすら気持ちよかった。冷たい麦茶が舌の上を滑り、火照った喉を冷やして、胃の中の池に到着する。

 胃に氷の冷気が広がり、体の内側から冷えてきた。

「良い飲みっぷりだね。おかわりは無いよ」

 相変わらずのケチっぷりだが、気にはならない。それはサクラの愛嬌のある笑顔のせいかもしれない。

「あの、サクラさん」

「ん? なんだい」

「サチがサチじゃないって、どういうことですか?」

 サクラは一口、麦茶を飲むと、聞きたい? と聞いた。わたしは深く頷きながら、聞きたい、と言った。

「あたしがこの話を聞いたのは、事件が起こった半年後だったよ」

 サクラは話してくれた。サチは、友人が死んだ理由が自分の好奇心だということにショックを受けて、自分の中に友人を閉じ込めることによって、心の平静を取り戻したということ。

 心が変になった。

 昨日、サチが言っていたセリフ。それは友人が死んだことではなく、自分のせいで死んでしまった友人に対する罪悪感のことだったのだ。

 サクラは続ける。

 名前とは、人を区別する他に、大切な役割を担っていると言う。例えば、悪魔や妖怪などの類は、真の名を知られると、命を握られるか、下手をすれば死んでしまうと言われている。種族名は大丈夫らしい。

 ほかにも、宗教では、名前は自分と神様を結ぶ大切な役割があると言う。

 それくらい、名前と言うのは相手を束縛する魔力を持っているらしい。

 そして、サチは友人の名前を山神様の力を借りて、自分に移すことによって、友人の魂を自分の体の中に持っているというのだ。

「それまでは、山神様なんて、おとぎ話くらいにしか思っていなかったよ」

「それも、サチから聞いたの?」

 サクラは首を左右に振って、否定する。

「目を見れば分かるだろう。あいつの目は昔は黒かった」

 その言葉は、わたしの上に重くのしかかった。昔は黒で、今は赤。それは山神様の力だという。わたしも、神様なんて、信じないタチだけど、今なら信じられる気がする。

「しかも、誰一人として、あいつの本名を覚えちゃいないんだよ? これはもう、神業としか言いようが無いね」

 肩を竦めるサクラに、わたしは目を合わせなかった。

 ここは昔、ダムになりそうになった村。でも、何かがあってダムは中止になった。サチの中には友人の魂が入っている。昔の目の色は黒で、今は赤。

 これらは全て、山神様の力だと思う。山神様は本当に存在している。姿は見せないけれど、ここの村の人達を見守っている。

 でも、どうしてサチに力を貸したのかは分からない。サチには何かあるのだろうか。

 わたしは視線を外に向けた。太陽の光は煌々としていて、目を細めなければ、見ていられない。

 サチは太陽のような人だ。明るく元気で、よく笑う。みんなを照らす太陽の光。だから、山神様はサチに惹かれたのだろうか。もしかしたらそうかもしれない。

 暗い暗い、山の奥にいる自分の所にやってきた太陽に、山神様は心を奪われて、力を貸したのではないか。昨日の私みたいに、影を造って欲しくなかったから。

 でも、これはわたしの想像、本当のことは山神様じゃなくては分からないことなんだ。

 頭を掻こうと、手を伸ばしたが、柔らかい何かに邪魔された。

 そこでようやく、頭に載っている麦藁帽子のことを思い出した。

「ところで、どうしてサクラさんが、サチの帽子を持っていたんですか?」

「ん? あいつに頼まれたからさ」

「頼まれた?」

「ああ」

 首を傾げるわたしに、サクラはコップの中の氷を二粒、口に入れて歯で噛み砕いた。

「この帽子は、俺の友達に渡してくれってね」

「友達……。サクラさんやあの子達じゃないんですか?」

 身を乗り出すわたしを、サクラはでこピンで後ろにはじいた。

「馬鹿、言ってるんじゃないよ。あたしが友達だったら、友達に渡せって誰が言うか」

 それもそうだ。わたしは額を擦りながら納得した。

「あの子供らだって、友達じゃないさ。ただ群れていただけ。あの言葉を聞けば分かるだろう。あいつらはただ、遊んでくれる大人がいなくなって寂しいだけなんだ」

 そういえば、友達と言うには信頼関係が無かった気もする。

 信じてたとか、友達だったとか、言葉としては薄い印象があった気がした。

 半分だけ納得するわたしに、サクラは麦藁帽子ごと、わたしの頭をなで繰り回した。

「それに比べて、あんたは何の臆面も無くあいつにぶつかっていたじゃないか。軽口も、たくさん。ね」

 わたしがサクラの方を見ると、彼女はウインクをした。

 彼女の笑顔はサチと同じ感じがした。優しくて暖かい、春の息吹を感じるような、信頼できる気配だ。

 コップの中を覗くと、氷の大きさが小石くらいになっていた。

 わたしは氷を口の中に入れて舐めた。舌の上に針で突かれるような感覚が広がる。

 から空になったコップの底をわたしは眺める。白い紙に水滴が無数に存在している。大きい水滴が小さい水滴を飲み込みながら、進む様子が見える。

「サチは」

「ん」

「サチはわたしのことを本当に友達だと思ってくれてたのかなあ。もしかしたらわたしじゃなくて、もう一人のさちさんのことじゃないのかな」

 サクラはわたしの瞳をみつめて、にやりと笑った。

「なら、行って見るかい。墓地に」

 サクラの言葉に、わたしは何も考えず、すっきりとした感じで頷いた。行ってみたい。会ってみたい。ただそれだけの言葉が、頭の中心に巣食っている。

 本物のさちに会いに行きたい。


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