「!」

 目を覚ますと、まだ真夜中だった。月の明かりがわたしの顔に直撃していて、目を覚ましたらしい。

「なんか、ロマンチックな目覚めね」

 呟くと、体を起こして、蚊除けの網の外に出た。

 襖のように障子が張ってある窓を閉めようと、伸ばした腕を直前で止めた。

「あれ?」

 庭先を、緑色に光る玉が、横切ったのが見えた。

 わたしはつま先歩きで、寝る前におばあちゃんと話をしていた縁側に行くと、そこには誰もおらず、みんな眠ってしまったらしい。

 わたしは網戸越しに、中庭を見た。

「何、これ。綺麗…………」

 庭の向こうにある葉の塀の先の田んぼに、無数の緑色の光が見えた。わたしは近くで見ようと、おばあちゃんのサンダルを借りて、

庭先へ出た。

 緑の光は、わたしをどこかへ誘うかのように、舞いながら進んでいく。わたしは光を追いかけて、家の外へ出ていった。

サンダルで歩く道は、昼間歩いた時と違い、より地面と密着な関係にあった。

月明かりが辺りを照らしていても、昼間の太陽と比べたら、より深く底の見えないような道を進む。

外灯がないけれど、緑の光は、道を外れずに進んでくれるので、わたしは横の溝に、落ちることはなかった。

 終点は、昼間来た橋の近くの草むらだった。緑の光は草わらの先へ行ってしまうので、わたしは追いかけた。草の葉はわたしの身長の半分もあったので、進むのには苦労した。

 ようやく、草が少なくなり広い場所へと出ると、そこには先客がいた。

「夜更かしは不良の始まりだぞ」

「サチ…………」

 どうしてここに居るのか、尋ねようとしたが、言葉は出なかった。

 口篭るわたしに、サチは何かを察してくれたようだ。

「何かあったのか?」

「うん……。あの、ね」

 わたしは寝る前におばあちゃんとおじいちゃんから聞いた話をした。サチは茶化すことも、馬鹿にすることも無く真剣に、わたしの話を最後まで聞いてくれた。

 話が終わり、少しの沈黙が流れた。

 風はなく、音もない。聞こえてくるのは無音だけ。

 わたしは足元を見た。溝に落ちていないのに泥だらけで汚れている。おばあちゃんの白いサンダルも、今はダルメシアン模様になってしまった。

 わたしは息を吐いて、サチに聞いた。

「あのさ、サチは友達が死んで、悲しかった?」

「そりゃあね。悲しいというか、喪失って言うか、変な感じがした」

「変?」

 顔を上げて聞き返すと、サチは自分の胸に手を当てていた。

「泣きたいのに泣けない。悲しいはずがそう感じない。心がおかしくなったんだ」

 サチは一度、目を閉じて開いた。

「だから、俺は夢を持った。そんな欠陥のある心を補ってくれる部品としてな」

 いつもの笑顔。そこに影ができているのをわたしは見逃さなかった。でも、そのことは言わない。サチには嘘でも笑っていてほしいから。

「なあ、蛍が死んだ奴の生まれ変わりって知っているか?」

「え?」

 突然の話に、わたしは言葉に詰まった。

「俺の生まれた村では、そう言われている。何かを伝え忘れた奴とか、もう一度、会いたい人がいる人間が死んでしまった場合、蛍になって会いに来るんだとさ。まあ、真偽の方は分からないけどね」

 ニッコリと笑うサチにつられて、わたしも微笑を浮かべてしまった。

「それじゃあ、わたしがここに来れたのは、サチのお友達のおかげかもね」

「ああ、そうだな」

 サチはそう言うと、目の前で舞い続ける蛍たちに視線を送った。

 無数の蛍たちはそれぞれが、好きなように上へ下へ、たまに宙回転しながら飛ぶのもいた。

 草むらに止まっている蛍たちは、光を付けたり消したりして、舞台の演出なんかをしている。

「蛍の光、窓の雪、降り行く月日、重ねつつ……」

「サチ?」

「ん?」

「それって、『蛍の光』だよね。学校とかで習う」

「ああ、その通りだ。せっかく蛍たちが踊ってくれているのに、ただ見てるだけじゃあ、つまらんだろう?」

「だから、歌?」

「おう!」

 即答するサチに、わたしは肩を竦めて忠告した。

「あのさ、言っては悪いと思うんだけど……」

「お?」

「サチ、歌下手。音痴でしょう」

 風が二人の間を通り過ぎる。

 そう、昼間から思っていたのだが、サチの歌に音感は無い。好きな時に好きな調子で歌うため、一応はメロディーになっているが、所々、無理やり歌詞を音程に合わせようとしているため、変な調子になってしまうのだ。

 今の『蛍の光』も、本当だったら少し暗いような切ない音のはずなのに、サチが歌ったのは、確かに切ないが、何も『きよしこの夜』音程で歌うことは無いだろう。

 サチは平然とした態度で、両手を腰に当てて、威厳たっぷりに言う。

「何を言う! 歌いたいときは、歌いたい様に歌った方が楽しいではないか!」

 威厳たっぷりに言ってから、数秒間。わたしはサチを見上げていた。サチもこちらを見下ろしている。

「なんてな」

 舌を出して、腰から手を離した。

「歌なんてさ、好きに歌うのが一番なんだよ。真面目にやるのは歌で飯を稼いでいる奴らだけ、俺らは楽しめればそれでいいんだよ」

 ニッカリと、歯を出して笑うサチに、わたしはそうだね。と一言だけ言った。

 聞きたいことは色々あるけれど、それはまた明日でいいかなと思った。

 だって、今は、こんなにも、優しさに、満ちて……。

「ありゃりゃ。やっぱり小学生の夜更かしは無理のようだな」

 誰かに負ぶされたのが分かる。

「じゃあな、また来るよ。さち」

 サチに答えるように舞う蛍が見えたのはわたしの気のせいかもしれない。


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