間章

 なだらかな黄土の斜面を登っている。周りは木々に挟まれ、かろうじて分かるのは友人の足元だけ、それを見失えばきっと迷ってしまう。

 そんな不安がさちの中にはあった。

「ねえ、本当にこんなことをしても良いの?」

 喉まで来た不安を吐き出すと、友人はようやく足を止めてこちらを見てくれた。

「何? もう、音を上げてるの? まだ登り始めたばかりじゃないか」

「でも、もう足はガクガクだし、喉はカラカラだ。少し休ませてくれよ」

 そう言って、さちは近くに出ていた木の根に腰を下ろした。少しごつごつしているが、座るだけなら文句は無かった。 

 友人はやれやれと、肩を竦めてさちの方へ駆け寄ってきた。

「あ、れ?」

 友人の姿が斜めになり、友人は何か叫んでいる。タッテニゲロ。そう言っている。

 ズジャアアア、と土のすべる音が耳元でする。さちは知らず知らずのうち、その木に捕まって目を瞑っていた。

「馬鹿! 手を離せ!」

 友人が差し伸ばしてくれた手を、さちは硬く目を瞑っていたため見ていなかった。さちはそのまま、木と崩れていく土と共に崖の下へと姿を消した。

 友人が崖下で見つけたとき、さちは人間にしては冷たい物になっていた。

 友人はゆっくりと、さちに歩み寄り、首元に手を触れた。

 鼓動はしていない。

 手を後頭部に滑らすと、まだ暖かい液体が割れた穴から流れている。

「ごめん……」

 友人は呟き、さちの腹に頭をおいて叫んだ。

「山の神様! お願い! いるなら力を貸して! 俺のダチを、さちを、助けてくれぇぇぇぇえ!」

 森がざわめいた。風が吹いただけのようだ。

 顔を上げて、木々の天井を見上げる。目尻から出る水滴は、少し開けた水道水のように、少しずつ流れている。

 やはり駄目か。山神様なんて、本当はいなかったんだ。

 いないものを探していたなんて。

「馬鹿だ。俺、本当のバカだ」

呟いた瞬間、水滴が友人の目に入った。

「うわっ」

 急いで目を擦っても水の感触は治らない。むしろ、広がって痛みだしている。

「うあ、っつう……、あぁあああああぁああああぁあああ」

 網膜に直接光を入れられているように痛む。無数の針が目の核一つ一つに刺さるような感覚にも似ている。

 友人は叫び、叫び続けた。

 張り裂ける痛みと闘うかのように、喉が潰れそうになるまで叫び続けた。

 ようやく痛みが治まり、山中が静寂に包まれた。

 友人の心は空洞ができていた。叫びと共に、心を抜かれたかの様に。

友人はゆっくりとさちに視線を戻すと、彼の後頭部の血は止まっているが、変化はなかった。ただ、彼の横顔は本当に安らかな眠りについた様な、横顔になっていた。

それをみて、友人はあることを思いついた。これは、さちを殺してしまった自分の罰であるための戒めのために。

 友人はさちの横に膝を付いて、彼の顔を覗き込む。

「さち。俺さ、お前の分まで生きるよ。お前が進むはずだった道を俺が行って、お前に見せてやる。だから、お前が俺について来れるように、お前の名前は俺が貰う」

 友人は目を閉じて、静かに黙祷をする。

 その間、二人の体が紅く光っていたことを、友人は知らない。

友人は目を開けて、立ち上がる。

「俺の名は、サチ! 俺の本当の名前は、今日消えた!」

 サチと名乗った友人は、さちだった友達を背負った。元々、細型だったさちを、サチと名乗った友人は軽々と前を進んだ。

「俺の本当の名前は、お前が持っててくれ。いつか、俺がお前のところに行く日までな」

 そう言ったサチと名乗った友人の瞳は紅く光っていた。


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