第50話 満月(フルムーン)と死の月(ブルームーン)

「私はアイリス、よろしくね。」


カローナが初めて王都に連れてこられた時、笑顔で接してくれたのは、アイリスだけだった。


カローナを王都に連れて来た当のルナーでさえ、生来の性格なのか、いつもは始終難しい顔をしていた。


もう当時のカローナは、今のイサベラのように周りに冷たくされたからと言ってめそめそするほどの歳ではなかったが、それでもやはりアイリスが臆することなく普通に接してくれることは嬉しかった。


そもそも月魔法と死霊術は、根は同じ魔法属性であり話も合う。


ルナーに説得されて了承したとはいえ、自分が継ぐことになる、『裏鏡セミータ』に関する特殊な『役割』に重圧を感じていたカローナには、アイリスとの時間はほっとする休息の時だった。


そんなアイリスが急によそよそしくなったのは、その『裏鏡セミータ』を正式にルナーから受け継いだ日からだ。


それ以来、アイリスは、カローナに二度と微笑みかけることはなかった。


アイリスの気持ちを何となく察してしまったカローナには、かける言葉が見つからなかった。


今また思う、「どうすればよかったのだろうか?」カローナは歯を食いしばりながら自問した。


アイリスは今、出会った時と同じような優しい眼差しで、カローナに再び微笑みかけている。


「どうやって死霊術を・・・。」


苦し気に問い掛けるカローナに、アイリスは指にはまった『黄泉の指輪』を見せた。


指輪は禁術の使用による魔力の負荷ゆえに、小刻みに震えたかと思うと、そのままはじけて塵となった。


それだけで、カローナはすべてを察した。


カローナも指輪の存在だけは知っていたからだ。


戦後に、相手の魔法研究所に、目録の記録だけがあり、いくら探しても見つからなかったため、失われたものと思っていたが、アイリスが隠し持っていたのだ。


その、自らの悲願を遂げたアイリスは、人の風貌を失いつつあった。


不死身であるが、生きているとは言えないその体には、あちこちに白骨がむき出しになっている。


重力から解き放たれた全身は、紙や服も、空中でゆらゆらとなびいていた。本当に、もう普通の人間ではない事が分かる。


死霊アンデット、『吸生鬼ライフサッカー』。


最上位アンデットの一角を占め、死霊術の最悪の到達点なれはての一つでもある。日の光によって消滅するその体は、もう二度と太陽を見ることはできない。


「ねえ、カローナ・・・。」


微笑んだその顔半分に、白骨が浮いた。


「初めて会った時らずっと、貴方に憧れていたのよ?信じてもらえないかもしれないけれど・・・、お母様が裏鏡セミータを貴方に譲ってからも・・・、ずっと・・・。」


アイリスは、そういいながら、爪のない白い指で喉を掻いた。


「不思議ね、憧れていたあなたと同じ魔力を手に入れて、満ち足りているはずなのに、なぜだかかわいてしょうがないの。」


アイリスは、また喉を掻いた。その手は少し震えている。


「カローナ・・・、この手であなたを掴んだら。あなたのすべてを吸い取ることが出来るのよね?考えただけで、頭がおかしくなりそう。あなたの生気も取り込めば、お母様も私を『真の月の後継者』だと認めてくださると思うの。そうでしょう?」


カローナは、手に冷たい汗がにじむのを感じた。


禁術『命の堕落ライフオブディプラビティー』を使う代償。アイリスの魂は、闇に支配され、人の心を失いつつある。


「(アイリス、お願い・・・。)」


そう言いかけて、カローナは言葉を飲み込んだ。


何をお願いするのだろうか。もうすべてが遅く、後戻りもしない。


彼女が死霊アンデットと化した今、カローナがアイリスに出来ることは一つしかない。


滅することだ。


永遠の命と引き換えに、他人の生命力を奪い続けなければならず、カローナを手始めに次々に人を襲い始めるだろう。死霊アンデットとは、この世のことわりの歪みであり、基本的に生者との共存は不可能なのだ。


しかし・・・、滅することが出来るのか?アイリスを・・・。


その感傷を抜きにしても、吸生鬼ライフサッカーは簡単な相手ではない。月と死霊術の攻撃に耐性があるうえ、死霊術士は死霊アンデットを扱う専門家であって、陽魔法のように倒す専門家ではないのだ。仮に最大の攻撃を当てることが出来ても、致命打とすることはできないだろう。


カローナの葛藤もむなしく、アイリスは冷たく続けた。


「逃げないでね。もしあなたが逃げれば、そこのセティカを殺すわ。」


姿は見えないが、行方不明のサニールも近くに居るはずだ。二人も放っておくわけにはいかない。


アイリスは、鏡を撫でながら、さらに続けた。


「それにね、イサベラちゃん?この中にいるのよ?」


アイリスの言葉に、カローナは驚愕の表情で、鏡を見た。道理で街中を探しても魔力を感知できなかったはずだ。


「まさか・・・、一体どうやって。」


「その様子だと、やっぱり『反転世界インバーテッドワールド』は教えていなかったのね・・・。あの子は・・・、貴方から、こそ泥のように『お母様の術』を盗んだのよ・・・。許しがたいわ。あなたのついでに殺すべきかしら・・・。不思議ね、もうこんなことも蝋燭の灯を消すぐらいにしか感じないわ。」


幽鬼と現世のはざまで揺れる肉体は、アイリスの感情の起伏に激しく揺らいだ。先ほどまでの穏やかな笑みは消え、目には狂気が宿りつつある。


「うん、決めた。やっぱりあの子もちゃんと殺さないといけないわね。みんな殺して、私は鏡の中で暮らすの。素敵でしょう?」


もう言っていることがめちゃくちゃだ。


カローナは迷った。鏡にイサベラを追って入るか?いや、それは危険すぎる。アイリスの嘘かもしれないし、鏡の中は時間の流れが違うため、出てこれる時間を予想できない。


やはり、アイリスは何としてもここで『止め』なくてはいけない。そのためには何といってもヒルドだ。


無尽蔵の陽魔力の供給される王都なら、今のアイリスとてヒルドに勝ち目はない。アイリスとカローナの大きな魔力同士でやりあえば、ヒルドは必ずこの場所に来るはずだ。


「カローナ・・・、ふふ、あなたの考えていること分かるわ。ヒルドでしょう?駄目よ、彼女はまだ私の影人シャドウを追っているわ。ねぇ、そろそろ吸わせて?もう・・・、耐えられない・・・。」


ついに、アイリスの白骨の手は喉を掻きむしり始め、体は小刻みに震えはじめた。


かつての友人の変わり果てた姿に、カローナの目には思わず涙がにじんだ。


「アイリス・・・、どうして?」


やっと一言だけ絞り出すのが精いっぱいだった。


「憐れむなぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」


アイリスが激高して間合いを詰めてくるよりも早く、カローナは後ろに飛びずさると、その手は青白い炎を宿し、一気に膨れ上がった。


鬼火ウィルオウィプス!!」


陽魔法以外は、強い魔力耐性を持つ吸生鬼ライフサッカーに、鬼火ウィルオウィプスは殆ど効かない。


しかし、その攻撃の向かった方向に、アイリスの顔は一瞬にして凍り付いた。


自動追尾の|鬼火は、くうえぐる様に、裏鏡セミータへと向かっていく!


「(鏡!)」


アイリスが声を上げる暇もない間に、鬼火ウィルオウィプスは鏡にあたって破裂し、壁に掛けられていた鏡は、床にたたきつけられた。


「いやぁぁっ!!!!」


アイリスは酷く取り乱し、はじけ飛ぶように床に落ちた鏡に駆け寄ると、震える手で鏡を抱えながら、鏡面を狂ったようにこすった。


裏鏡セミータには、鏡面にひびはおろか、縁にさえ傷一つ付いてはいない。ことわりの違う世界の|その魔法品は、この世のやり方では傷一つつかないことをカローナは知っている。


割れていないのを見てもなお、アイリスは鏡をこすり続けた。


骸犬スカルドッグ!」


街でイサベラを探すときに召喚して、部屋の外に待機させておいたものだ。


その骸犬スカルドッグは、地を走る影のように飛び出し、そのまま素早い動きと大きな顎でセティカをくわえると、再び部屋の外へ走り去っていった。「どこそこへ運べ」などの複雑な命令はできないが、とりあえず、ここからなるべく遠くへ逃がすことはできる。


アイリスは、連れ去られるセティカには見向きもせずに、やっと鏡をこすり終えると、それを床に置き、ふらふらと立ち上がった。


「傷でもついたらどうするの?」


「その鏡は、生徒一人より大事なものではないわ。」


「あなたのそういうはっきりしたところ・・・、昔から『合わないな』って思っていたのよね。」


カローナを睨みつけながら、静かに語るアイリスの周囲に、いくつもの青白い火の玉が、ゆっくりと出現し始めた。


「(始まった・・・。)」


吸生鬼ライフサッカーの能力の一つ、下位死霊アンデットの『引き寄せ』だ。


周辺に鬼火ウィルオウィプスなどの死霊アンデットが、自然発生的に出現し、そこに「召喚」や「使役」のための魔力は必要なく、ただ命令するだけで攻撃に使うこともできる、厄介な能力だ。


け・・・。」


漂っていた鬼火ウィルオウィプスたちは、アイリスが軽くうながしただけで、一斉にカローナに向かって来た。


鬼火ウィルオウィプスのもっとも厄介な特性を、その使い手であるカローナは、もちろん身に染みるほど知っている。


自動追尾。


意志を持つ青い火は、目標ににあたってはじけるまでどこまでもついてくるため、相殺するか、敢えてくらうしかない。


カローナは、衝撃に耐えるため、歯を食いしばった。


直後に、無数の鬼火ウィルオウィプスが次々とカローナに直撃する。


アイリスは、もうもうと立ち込める埃の向こうにいるであろうカローナを見つめながら、体の埃を払った。


無論、これだけの攻撃で決着がつくとは思っていない。


「久しぶりね、あなたのその姿。それよ・・・、それが私の憧れたカローナ。」


立ち上がったカローナの体には、被弾の直前に発動した骨鎧ボーンアーマーが、全身を覆っていた。


骨鎧ボーンアーマー悪魔仕様バージョンデーモン


「ますます、欲しくなるじゃない。」


アイリスは、喉を掻きながら微笑んだ。


鬼火籠手おにびごて。」


アイリスの狂気に構うことなく、呪文を唱えたカローナの両手が青く燃え上がり、その手を固く握ると、カローナは格闘家のような構えを取った。


吸生鬼ライフサッカーに、素手で触れれば生気を吸い取られてしまうが、同じ死霊アンデットの魔力で覆えば、素手で殴ることもでき、さらに、簡単な攻撃魔法なら、はじくこともできる、攻防一体の呪文だ。


英雄霊降臨ヒーローインタビュー。」


立て続けの魔法の発動と同時に、小さな輝きが稲妻のようにカローナに落ち、全身を淡い光が包んだ。


既にあの世へ旅立った、過去の英雄霊を呼び出して自らへ憑依させ、その力を借りる死霊術だ。


カローナが体に呼び込んだのは、ある徒手空拳の達人、それも『受けること、竜の背鱗はいりんの如しとうたわれた、防御を極めし魂。体を得た魂は、身体能力の向上はもちろん、そのわざを再び現世で現す。


カローナの意識に、英雄が語りかけてくる。


(久しぶりに呼び出されてみれば、あれアイリスか?きっついな。)


「(無駄口叩かないで!)」


呼び出した、達人の霊を叱咤しながら、カローナは呼吸を整えた。


アイリスは、そんな微塵の隙も無いカローナの姿に・・・、見とれていた。


「でも・・・、今見ると簡単そうね、その魔法ヒーローインタビュー。」


アイリスは、空中を掻くようにまさぐったかと思うと、突如として現れた黒いもやを掴み、暴れるそれを強引に体内に取り込んだ。


「これでいいのかしら?」


セオリーを無視した、めちゃくちゃな死霊術だ。


だが取り込んだのは、カローナ同様、体術の達人。過去に付いた呼び名は『狂獣』。その戦い方は、相手の喉笛を掻き切ることしか考えない、まさに狂った獣だ。


その戦闘スタイルを忠実に体現するかのように、アイリスは四つん這いになると、肉食獣が獲物を狩るときのように、目を細めた。


(よりによって『狂獣』か・・・。知ってるか?俺、あいつに勝ったことないんだぜ?)


「(守ってたからでしょ!来る!しのぐわよ!)」


初撃。


アイリスは、地面すれすれの突進から、跳ね上がるように、カローナの喉元に手を伸ばしてきた。


アイリスの望みはただ一つ。カローナの生気を吸うこと。掴んでしまえば、抵抗もできずに、それは完了する。


しかし、掴みかかろうとしたその手は、カローナの鬼火籠手に軽くいなされた。


二撃、三撃。


続けて、突進から遅れて放たれた何体もの鬼火ウィルオウィプスが、カローナの肩口で炸裂する。


「がぁ♡(つかん・・・)」


一瞬ひるんだカローナの喉を掴んだ、・・・かに思えたその瞬間。カローナの体は視界から消え、逆にアイリスの腕が、カローナの鬼火籠手に掴まれていた。


そのまま勢いを利用されて、壁に叩きつけられる。


(知り合いを叩きつける・・・、やっぱりきついな、これ。)


「(言わないで!)」


物理攻撃はすぐに再生されるため、ダメージがないのは分かっている。それでも相手の攻撃の手を止めるには、大きくいなすかはじくしかない。とにかく凌ぐのだ。


「痛いじゃない。」


変わらぬ獣じみた動きで壁から着地すると、アイリスの周りには、また鬼火が集まり始めた。


しかし、数が増えている。


「私の中の『狂獣』がね、『もっと手数を増やせ』ですって!」


言い終わるや否や、アイリスの狂ったような猛撃が始まった。


その攻撃の合間には、部屋のほぼ全体まで広がった鬼火が、弾幕のように全方位から破裂する。


だがカローナも、その猛攻をことごとくかわし、いなし、弾いた。


(勝ったことはないけど、攻撃は生前と同じで読みやすいね。)


英雄霊召喚ヒーローインタビューによってぼんやりと光る、青みを帯びたカローナの長い銀髪が、身のこなしとともに弧を描き、三日月のように輝いた。


「(ああ、死のブルームーンカローナ!このままあなたを見ていたい。でもほしい。でも見ていたい・・・。でもほしい・・・。)」


アイリスは、猛撃を加えながら、うっとりとカローナを見つめた。


友情や愛ではもちろんない。それはただの『欲』だった。


「(やっぱり仕方ないわよね。)」


街の方では、意識を共有する影人シャドウがやられたのがわかる。ここにヒルドが来るのも時間の問題だ。


カローナは疲れ始めているが、このままでは守りを崩せそうにない。ヒルドが来る前に決めなくては。


アイリスは、猛攻の手を止めると、向きを変え、裏鏡セミータへと突進していった。


その行動は、カローナにとって、一瞬、不可解だった。しかし直後から、言いようの不安がせりあがってくる。アイリスはいつからその兆候を感じていたのだろうか?


要領の悪いあの子が、このタイミングで鏡から出てくるということを、どうしてカローナが予想できただろうか。


裏鏡セミータからは、今まさにイサベラが半身を乗り出した状態で、出てこようとしていた!


「イサベラ!」


(待て!集中を解くな!)


武人霊の警告にもかかわらず、カローナも鏡の方へ向かおうとした、その時だった。


背後からの一撃。


それでも鬼火の攻撃ならば、骨鎧ボーンアーマーで問題なく耐えられるはずだった。


しかしそれは、骨鎧ボーンアーマーと最も相性の悪い、陽魔力を帯びた、神棍シェングンの投擲。


「かはっ!」


投げつけられた神棍シェングンが、カランと地面に落ち、同時にカローナも膝から崩れ落ちた。


戸口には、サニールが神棍シェングンを投げた状態で固まっていた。


その眼は赤く光り、彼の体に巣食うものの正体を現していた。


カローナは、部屋中に散らされた鬼火によって、サニールと、その体内にいる死霊アンデットに気が付くことが出来なかった。


鏡には、イサベラの姿はもうどこにもなかった。


「(しまった・・・、幻術に・・・。)」


アイリスが近づいてくる。


「あんなちゃちな幻術。普段のあなたなら簡単に見抜いたでしょうに、よっぽどイサベラちゃんが大事なのね。」


月魔法のもっとも得意とする技。知り尽くしている魔法だったはずなのに、完全に不覚を取った。


影人シャドウが消されたから、今はあのエーテルイーターを操れるわ。すごいでしょう?多分、作った人間も、知らなかった使い方よ。」


固まっていたサニールが動き出し、人形のような動きで、神棍シェングンを拾い上げた。


赤く光る目。サニールの中にいるのは、白い魔物『魔力喰い《エーテルイーター》』だ。


アイリスも驚いたことだが、普通なら、魔力を吸い取った人間には興味を失うはずが、サニールの場合は、そのまま体内に憑りついたのだ。そしてサニールごと操ることもできた。


恐らく、肩当て《スポールダー》から無尽蔵に供給される魔力によって、吸い取り続けることが出来るからだろうが、アイリスにとっては格好の切り札となった。


「殺してはだめよ。」


膝をつくカローナに、サニールの非情な二撃目がくわえられ、カローナは気を失った。それによって骨鎧ボーンアーマーは解除され、元の首飾りに戻った髑髏は、カローナが倒れると同時に、空しい音を立てて、床を転がっていった。


「さあ、カローナ。私の糧に・・・。」


アイリスは、喉を掻きながら、もう片方の腕をカローナへと伸ばした。


キィィィィィィ


その指先がカローナの喉元に触れ、カローナの生気が流れ込んできたとき、アイリスは天を仰いだ。


「(ついに!ついに!)」


キィィィィィィィィィィィィィ


もっと強くのどを掴もうとしたとき、アイリスは異変に気が付いた。体が動かない。


キィィィィィィァァァァァァ!!


転がっていった髑髏。『魔族の髑髏デモンスカル』の『断末魔デスクライ』が発動している。


「(ま・さ・か・・・。)」


動けないアイリスの横を、黒い影のようなものが横切ったかと思うと、そのままカローナを抱えるように引きずっていき、床に置かれた、裏鏡セミータの鏡面に置くと、呪文を唱えた。


反転世界インバーテッドワールド!!」


カローナは、吸い込まれるようにして、鏡の中へ消えていった。


「イ・ザ・ベ・ラァァァァァ!」


アイリスの出した幻術ではない、本物のイサベラが、『魔族の髑髏デモンスカル』をもって立っていた。


意を決して鏡から出たとき、想像のはるか斜め上を行く、まったく理解不能の状況だったが、異形のアイリスの手が、カローナに伸びているのが見えたとき、目の前に転がる髑髏を無我夢中でつかんだ。


つい先ほど、『断末魔デスクライ』をどうやって発動させたのかも、もう思い出せない。


本当は、鏡を抱えて一目散に逃げだすか、せめてカローナと一緒に鏡の中へ逃げ込みたかった。


だが、目の前にはサニールがいる。その赤い目と、体内に感じる死霊アンデットの存在感は、忘れることのできないものだ。


サニール様子から、彼の置かれた状況はだいたい察することが出来た。


助けなければならない。


イサベラは恐怖に震える体を叩きながら、必死で考えを巡らせた。


「(大丈夫。セフォネさんの話が本当なら、『これ』で行けるはず。)」


セフォネから貸してもらった、黒いぼろきれ。今は、前掛けのようにイサベラが身に着け、その裾は、薄く伸びる黒い煙のように、ゆらゆらと宙に揺れている。


『死神のエプロン』。


嘘か本当か分からないが、セフォネが死神からもらった物だそうだ。


その効果は強力で、死霊術の魔力によって発動し、魔力の続く限り『無敵』になれる。


全ての攻撃が、吸収されるのだ。あらゆる魔法が吸収されるのはもちろん、物理的な衝撃さえ吸収され、空中も浮遊できるようになる。


ただし、装備している者の魔力もガンガン吸収していく呪われた魔法品であり、つけ続ければ気絶する。


イサベラでは数十秒も持たないが、鏡から出て、瞬間的にうまく逃げれられるようにと、セフォネが貸してくれたものだ。魔力喰い《エーテルイーター》も、触るだけで消滅するはずだと教えてもらった。


「(サニールさんと、鏡に避難出来れば!)」


イサベラは、鏡を掴んで、サニールに向かって一直線に飛んだ。魔力はもってあと数秒。


「それをはなせぇぇぇぇ!!!!」


断末魔デスクライ』の縛りから解放されたアイリスは、鏡を掴むイサベラに激高し、鬼火ウィルオウィプスの塊を投げつけた。


しかし、アイリスの放った鬼火ウィルオウィプスはすべて吸収され、イサベラは止まらない。


「魔力喰い《エーテルイーター》!」


アイリスは、怒りに震えながら、神棍シェングンの一撃を命じたが、死神のエプロンはそれさえも小枝のように弾き返した。


時間が止まったような一瞬。魔力喰い《エーテルイーター》は、一直線に向かってくる少女を凝視した。


少女の身に着ける魔法品。それは自らの消滅を強く感じさせるものだった。しかし、もとより恐怖などない。


『死にぞこない《アンデット》』ととして創られた自分が、やっと満たされることのない空腹から解放される。


イサベラは、サニールに触れる瞬間、赤い目が閉じるのを確かに見た。


魔力喰い《エーテルイーター》は、『死神のエプロン』に吸収され、消滅した。


イサベラは、そのまま意識のを失ったサニールを抱え、最後の魔力を振り絞って、呪文を唱えた。


反転世界インバーテッドワールド!!」


しかし、確かに開いていた反転世界の扉に、サニールの体は弾かれた。


「(なんで!・・・ああそっか・・・。サニールさんは入れないんだ・・・、馬鹿だ、わたし・・・、死・・・。)」


イサベラは、自分の間抜けさに無力感を感じながら、死神のエプロンに全ての魔力を吸い取られ、気を失った。


「バカねぇ・・・、本当にバカねぇ。」


アイリスは、軽蔑と哀れみと怒りのこもった声で吐き捨てながら、イサベラを見下ろした。


忌々しいのは、カローナのことを台無しにされた事だ。


もうすぐヒルドが来る。カローナは一旦置いておいて、イサベラを殺した後、鏡とともにここを去るしかない。そのあとでゆっくりと反転世界インバーテッドワールドを試せばいい。


アイリスの、イサベラの生気を吸い取ろと伸ばしたその腕は、石化した。


「(どうしてこう)」


次々と邪魔が入るのだろうか。


歯を食いしばったゴニアが、戸口に立っていた。今のその瞳には、魔力が可視化できるほど、凝縮されている。


イサベラを探して街中を駆け回り、近くで魔力による戦いを察知して、誰よりも早く学校にたどり着き、イサベラとアイリスの前に立ったのは、幸運だったのだろうか、それとも不運だったのだろうか。


「イサベラさんに・・・触らないで!」


ゴニアの瞳と、石化するはずのない死霊アンデットの体が石化したことで、アイリスはゴニアの状態を瞬時に理解し、弾ける様に跳躍した。


それを目で追うゴニア。


イサベラを見て、感情が爆発し、石化能力ペトリファクションが暴走していた。


アイリスのいた場所は『空気が石化』し、砂のようになって落ち、突如生じた真空に、部屋の中で乱気流が生じた。


だがアイリスに焦りはなかった。


アイリスはこの暴走状態を見たことがある。かつて戦場で、メディキュラスが見せたものだ。普段の石化能力とは違い、アンデットはもちろん空気や水さえも石化していくすさまじい状態だ。


だが、その弱点も知っている。尋常ではない速さで、激しく魔力を消費するのだ。狙いを定めさせぬように、素早く動いていれば、すぐに自滅する。


「はぁぐっ!」


アイリスの予想通り、ゴニアは苦しそうに目と胸を押さえると、倒れるように壁にもたれてしまった。


ばかばかを呼ぶのね・・・。」


動きの止まったゴニアの喉を掴むと、アイリスは冷たく言い放った。


「死になさい。」


先ほど、イサベラの無様を見たからかもしれない。ゴニアも同じような小娘と考えたのは、アイリスの油断だった。


アイリスのゴニアを掴んだ手が、パキパキと石化していく。魔力が尽きたのは、見せかけだった。


目で追えないと悟ったゴニアは、アイリスにわざと掴ませたのだ。


「ぎぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」


まさかこんなところで終わるわけにはいかない。せっかく死霊術の魔力を手に入れたのだ。


半狂乱になったアイリスは、もう片方の腕で、ゴニアを殴打した。同時に、無数の鬼火ウィルオウィプスが、ゴニアの小さな体に襲い掛かった。


しかし、ゴニアはすでに自分自身をも硬く、硬く、石化し、衝撃をはじく。


そこでゴニアの魔力は本当に尽きた。


アイリスの石化は、肩口まで来ていた。


「小娘がっ!」


ゴニアの動きが止まり、石化も止まったことから、アイリスは安堵の悪態をついた。


問題ない。まだ間に合う。


少し手間どうが、石化した部分を引きちぎって、すぐにおさらばだ。


・・・のはずだった。


アイリスは、引きちぎろうと力を込めた腕を下ろし、静かにうつむいた。


まさか、ここで終わりとは・・・。


気絶から回復したサニールが、神棍シェングンを構えていた。太陽殴り《フルスイングフレア》の構えだ。


肩当て《スポールダー》からの魔力回復があるとはいえ、この速さで意識を取り戻すのは超人的だ。そして彼ならば、仕損じることはほぼないだろう。


人間だった時なら、執着にもがき続けただろう。だが皮肉なことに、死霊になった今では、突き付けられた最後に、どんどん無感情になっていくのが分かる。


「・・・無念だわ。命乞いをしてもいいかしら?」


サニールはアイリスの顔を見なかった。


「・・・『死霊アンデットを前に、絶対に躊躇うな』。あなたの死霊アンデットの授業で教わったことです。」


無念さで、ふり絞る様に、サニールは答えた。


「そうだったわね・・・。」


魔力充填の完了した神棍シェングンの向こうに、アイリスの目には床に置かれた裏鏡セミータが見えた。


「(お母様・・・。)」


太陽殴り《フルスイングフレア》がさく裂する瞬間、アイリスは手を伸ばして呪文を唱えた。


反転世界インバーテッドワールド。」


鏡が反応したかを確認することなく、アイリスは灰塵となって消えていった。

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