第11話 抵抗

「はぁ、はぁ、はぁ。」


 走った。


 窮地を信じられないほどうまく切り抜けたと言う高揚感と、逆に追いつかれるかもしれないと言う恐怖に、心臓も肺も飛び跳ねるように鼓動したが、それでも走った。


 イサベラは途中で何度も足がもつれそうになったが、力強く石畳を蹴って走る骸犬のあばら骨をしっかりと掴みながら、エミリアと暗闇の中を走り続けた。


 この暗闇の中なら、骸犬の眼光は正面からなら目立つが、後ろからなら見えにくい。灯りがなくても行動できる骸犬に、壁伝いに走るよう命じれば、遠くからでも灯りであの女戦士に二人の居場所を知らせることなく、入り口までたどり着くことが出来ると思われた。女戦士のあの体躯なら、瞬発力はともかく、長く走るのは向いてなさそうだ。


 しかし、骸犬のぼんやりとした青白い眼光だけが頼りの、ほとんど先の見えない暗闇の中では、さすがに骸犬につかまっていても、早く走ることは難しく。加えてイサベラは疲労の中で骸犬スカルドッグを召還したため、魔力的にもほとんど限界だった。おそらくどの魔法もあと一回が限界だろう。


 エミリアはふらふらのイサベラを叱咤しながらも、入り口まで走り続けることには、さすがに無理を感じていた。魔力消費の少ないエミリアでも、かなり息が上がっている。ダンジョンで、殴り合いでさえない人間同士のいざこざが、こんなに緊張を強いられるものだとは思わなかった。


 日常とは明らかに違う、非日常が実戦にはあるとはいえ、こう次から次へではさすがに身が持たない。今はとにかく、小走りでも走り続けられるだけありがたい。


 だが不安は尽きなかった。


 来る時の壁伝いにはほとんどいなかったが、この暗闇で万が一、スライムに遭遇したら?


 蟹スライムも絶対にもう一匹いないとは言い切れない。


 追いつかれたら?核は渡してしまうか?それとも意地でも渡さないか?痛い思いをしたら?


 骸犬の召還時間は?途中で召還が切れたら?


 イサベラの胸は、小走りを続けながらもどんどん苦しくなっていく。心臓の鼓動は喉のすぐ奥までせり上がり、少しでも気を抜くと視界がぐるぐると回り始めた。もうそのまま蟹スライムの核を渡してしまって、別のスライムを見つけたほうが楽なのではと言う考えが、脳裏をよぎる。


 だが、イサベラは歯を食いしばって首を振った。


 エミリアは女戦士に掴み上げられても、絶対に核の入った袋を離さなかったのだ。


 二人で取った核。


 二人でクリアするクエスト。


 イサベラと一緒に来てくれた、初めて自分から近づいてきてくれたエミリアに、出来るだけのことをしてあげたい。


 イサベラは覚悟を決めて、走り続けた。


 その矢先だった。


「ぶばはぁ!」


「(イサベラ&エミリア)いっ、いゃぁぁぁぁぁぁ!!!」


 イサベラは心臓が止まるかと思った。


 柱の影からにやついた顔で女戦士が飛び出してきたのだ。腰にランタンを取り付けている。柱の影を利用しながら、灯りを絞って追いかけてきたのだろうか?それにしても後ろにいたはずの女戦士に、暗闇の中こんな短時間で追い抜かれたのは、完全に想定外だった。


「ひひっ、あたいが遅いとでも思ったのかい?」


 瞬発力があるのは身に染みてわかっていたが、それでも二人は解せなかった。だがよく見ると、女戦士の足の装備が変わっている。あの歩くたびに金属音のした鉄靴ではなく、革のブーツに変わっていた。道理で近づかれても音がしなかったわけだ。イサベラはその革のブーツに意識を集中させると、息を呑んだ。魔力を帯びている。


「気付いたみたいだね。魔法品マジックアイテムってのはまったく便利なもんさ。ちんたら逃げてるやつを追いかける時は、特に役に立つね。ぶひゃははっ!壁沿いに逃げるとか、わかりやすすぎるんだよ!」


 悪い具合に、進行方向をさえぎられ、しかも壁際を走ってきたため、逃げるには後戻りするしかないが、姿を捉えられたこの状態で、しかも魔法品装備の相手から逃げ切れるとは思えなかった。


 覚悟を決めた二人の決断は早かった。


「イサベラ!」


「わかってる!骸犬スカルドッグ!」


 何度でも、狙いは同じだ。次は腰のランタンを狙う。


 緊張で研ぎ澄まされたイサベラとエミリアの感覚は、お互いの考えがなんとなくでも分かるまでになっていた。


荊の戒めバインドウィップ!」


 骸犬の動きを見ながら、これ以上はないというタイミングで、エミリアは実戦では初の魔法を発動させた。粘液のようなスライム相手には効果はないが、対人では最も初歩的な戦闘支援呪文で、荊の鞭が相手の体に絡まり、一定時間動きを止めることができる魔法だ。


「うおお?!」


 骸犬が女戦士に向かうと同時に、エミリアの荊の戒めバインドウィップが女戦士の足を捕らえ、動きの止まったランタンめがけて骸犬が飛びかかる!


 ・・・が。


「ぶふん!」


 ランタン狙いは見透かされていた。暗闇でかすりもしなかった先ほどとは違い、動きを読んで狙い済ましたメイスの一撃は、正確に骸犬の頭蓋に打ち下ろされ、ばらばらに砕いてしまった。続いて駄目押しのように、二撃、三撃・・・。骸犬は悲鳴もなく、粉々になると同時に掻き消えていった。


「なかなかいい連携をするじゃないか。でも弱い、弱いねぇ。」


 上級者が使えば全身の動きを止めることのできる荊の戒めバインドウィップだが、エミリアは足を捕らえるだけで精一杯だった。効果時間も短く、すぐに女戦士の足は自由になってしまう。


「これで終わりかい?」


 何度見ても不快な笑いだった。


 にたぁと欲深そうな笑いを浮かべながら、女戦士はエミリアの握っている小さな皮袋に目をやった。


「そ、それ以上近づいたら・・・。」


 エミリアはごくりとつばを飲み込んだ。


「魔法で攻撃するわ。次は動きを止めるだけじゃないわよ!」


 エミリアの声は震え、杖を構える手のひらはじっとりとしていた。


「わ、私だって!」


 イサベラも鞄に手を入れ、最後の骸犬召還用の骨を握りしめる。


 魔法で攻撃するそぶりははったりだった。もちろんいくら悪人でも人間を攻撃はしたくないし、蟹スライムの核は、そこまでして守るほどのものとは思えない。いよいよとなったら、渡してしまおうと考えていたが、出来ることならば、このはったりで諦めてほしいと、切に願った。


「・・・ふーん。」


 女戦士は心底つまらなそうに、無表情になると、おもむろに足元の石ころを拾い、腰の皮袋から何かを取り出して石に巻くと、ランタンから火をつけ、それをいきなりイサベラたちのほうへ放り投げた。


「わっ!え?な、何!?」


 放物線を描き、燃えながら向かってくる小石に、混乱しながらも二人は身をかわしてよけると、後ろに転がった燃える小石を、思わずそろって注視してしまう。どうやら松明に使う油布を巻いて、投げてきたようだった。


 こんな子供騙しで、そろいもそろって相手から目をそらしてしまった。


「(あ!しまっ・・・。)」


 ったとイサベラとエミリアが思ったときは、既に間合いをつめられていた。女戦士はメイスを振りかぶり、二人の目の前で石畳に叩きつけた。


 ゴギン、と鈍い音が響き、森の心フォレストハートの自動防御があることは分かっていても、エミリアは恐怖に目をつぶらざるをえなかった。イサベラの顔も青ざめている。


 完全に女戦士に遊ばれていた。


「弱いねぇ、本当に弱い。」


 うつむいて涙ぐみながら硬直してしまったエミリアを見下ろすように、女戦士は立ちはだかると、また例のにやけ顔になった。エミリアの実力の大体の底が分かったからだ。


 どうせ攻撃呪文も同じ樹魔法の荊の鞭ソーンウィップあたりだろうと、予想が出来た。仮に攻撃されても、防御のない顔面にでも直撃しない限り、女戦士の装備なら、何発食らっても怖くなかった。そもそも何より、二人に人間を攻撃する度胸がないことも見透かしていた。


「弱いって言うのは、要するに屑だ。弱いやつは、おとなしく喰い物にされるのが、自然の掟ってもんだ。そうだろ?諦めて赤い核を渡しな。あたいは何も、お嬢ちゃんたちをぶん殴って横取りしようってんじゃない。わかるだろぉ?授業料だ。自分から差し出せば、一番面倒がない。それともあたいと喧嘩して見るかい?」


 イサベラは震えていた。


 怒りに震えていた。


「エミリアは弱くない。」


「あん?」


「エミリアは弱くない!自分より強そうなのにも向かっていくもん!あんたみたいに自分より弱そうな相手をいじめるみたいな、せこいことはしない!本当に弱いのはあんたのほうだ!」


「イサベラ・・・。」


「ぶひひ、口だけは達者だねぇ。で?どうすんだい?またあの犬みたいなのを出すのかい?ああ、そうか!お嬢ちゃんはあれか!死霊術士か!こりゃあ傑作だね!極悪人のひよっこみたいなのに説教されるたぁね!」


 今度はエミリアも黙っていなかった。


「極悪人じゃない!カローナ先生は極悪人なんかじゃない!英雄ヒーローよ!そして美しいの!極悪なのは、あなたの贅肉と腐った性根のほうよ!」


 イサベラは、エミリアの気持ちは分かるが、そこはカローナ先生ではなくイサベラを擁護してほしかった。そして一言多い気がした。


「言ってくれるじゃないかぇ。」


 ぴきぴきと女戦士のこめかみに青筋が立ち始めたが、エミリアも止まらない。


「『喧嘩して見るか?』ですって?その喧嘩買ってあげるわ!その代わり正々堂々と勝負よ!」


「ふご?!」


「え?ちょっと、エミリア。」


「私たちが、あなたのランタンを壊せたら私たちの勝ち、でもさっきみたいに骸犬スカルドッグがやられたら、あなたの勝ちで良いわよ。赤い核はあげる。これでどう?」


 女戦士は考えた。


 どう考えても楽勝だ。向こうが自ら差し出すのが一番面倒がない。何か奇策があるかも知れないが、万が一負けても関係なしに分捕ればいいのだ。


「ぶふん!良いだろう。」


「決まりね。五歩下がってから、骸犬スカルドッグ召還が、始めの合図よ。」


 女戦士と距離をとると、エミリアはイサベラに囁いた。


「勝手に決めてごめん。でもイサベラの言うとおり、自分より強そうだからっておめおめと言いなりになりたくないわ。せめて意地を見せたいの。」


「わかるよ。やれるだけやってみたいのは、私も同じだから・・・。」


「でも、さっきと同じじゃ駄目だわ。私が荊の戒めバインドウィップであいつの足の動きを止めたら、イサベラは骸犬スカルドッグでランタンを狙わせる振りして、鬼火ウィルオウィプスでランタンを破壊よ。」


「え?鬼火ウィルオウィプス?」


「さっきと同じじゃ駄目って言ったでしょ。骸犬スカルドッグがやられたら負けだけど、『私たちがランタンを壊せたら勝ち』なのよ。骸犬スカルドッグが飛びかかるよりも、鬼火の自動追尾で破裂攻撃のほうが、確実にランタンを壊せるわ。」


「すごい!勝てるよ。エミリア!」


 と言うようなことを考えているのだろうなと、イサベラとエミリアがごにょごにょと話すのを見て、女戦士は見透かしていた。


 死霊術士も術士の端くれ、飛び道具まほうくらいはあるだろう。それで攻撃してくるぐらいは予想できる。確かに厄介だが、荊の戒めバインドウィップはもう食らわない自信があった。もともと戦闘を後方から援護するための術だ。別の相手と闘っている対象の意識外から不意をついてこそ、効果を発揮する。知能の低いモンスターならともかく、人間に正面から一対一で使えば、よけてしまうのは簡単だ。骸犬が召還された瞬間に、荊の戒めをよけて、殴って、即終了だ。


「待たせるんじゃないよ!」


 女戦士は口がにやつくのを我慢できずに、イサベラたちをせかした。


「いくわよ!」


「うん!骸犬スカルドッグ召還!」


 女戦士は身構えて、骸犬の出現を待った。


 ・・・が、様子がおかしい。骸犬は一向に召還されなかった。予想も出来ない奇策だろうか?しかし、骸犬を出さないと言うのは、正々堂々と言いながら反則だ。


 イサベラは目に涙を浮かべながら、エミリアに呻く様に言った。


「魔力が足りない・・・うぇ(泣)。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る