② 友達だからだ!



『本物の空を見に行こう』

 神凪兄弟とマルカ・ラジェンスカヤがそう約束を交わしてから、数日後。

 西暦2107年6月14日。時刻は、午前11時を回ったところだ。


 この日、ヤマトとミコトとマルカの3人は、クレアに連れられてある場所・・・・にやって来ていた。

 それは、マルカの住むノースカルパティア・コロニーの外部にある港――〝ルイス・ヤング月面国際宇宙港〟だ。


 そしてここは、その第1ターミナルビルの屋内展望フロア。


 5階建ての大きな施設の最上階に位置するこの場所は、壁一面がガラス張りになっていて、外の様子が一望できるようになっている。

 さらにフロア内には、数店のレストランが立ち並んでおり、周囲は多くの客で賑わっていた。


 そんな中、大きな窓に顔を近づけて、食い入るように外の景色を眺めながら、月面生まれの小さな少女、マルカは楽しそうに言った。


「わあ! ねえねえミコト、ヤマト! すごいよ! 見渡す限りぜんぶ銀色!」


 ガラス越しに初めて見た《本物の世界》は、白銀色の大地に覆い尽くされていた。

 太陽に照らされてうっすらと輝く、まっさらな月面の大地。

 砂で覆われた月の地面は、何もない、まさに無機質な場所だった。

 目につくものと言えば、ゴツゴツした岩と大きな山、それくらいだ。


 視界の上側を覆うのは、どこまでも広がる黒。すべてを覆い尽くす暗い闇。

 それは、月面地表から見える空――宇宙空間だ。

 微かな星の光すら飲み込む冷たい虚空。しかし、無限に続く大いなる広がり。

 それが、月面の空だった。


 マルカの目に移る景色は、そんな漆黒と白銀の色に覆い尽くされ、上下に二分されていた。

 ――生まれてからずっと、研究所の狭い施設の中で生きてきた少女は、初めて目の当たりにした外の世界に、心の底から感激していた。


 目を輝かせ、じっと窓の外を見つめるマルカ。

 その姿を、ヤマト、ミコト、クレアの3人が、傍らで微笑ましく見つめていた。


「どうっすか、マルカちゃん。初めて見たコロニーの外の景色の感想は?」


 マルカの肩に後ろから手を添えながら、クレアは優しい口調で言った。


「うん、とってもすごい! 広くて大きくて、それに幻想的。……まるで、世界に黒と白の2つの色しか無くなっちゃったみたい。これが月の大地、本物の月面の景色なのね!」


 そんなマルカの姿を見て、クレアは溜飲が下がる思いだった。

 マルカの母親代わりであるクレアは、マルカが今までいかにコロニーの外の世界を見ることを望んでいたかを、痛いくらいに知っていたのだ。


 マルカは生まれながらに身体が弱かったこともあり、キューブリックの意向で、出来るだけ保護者の目の届く範囲、つまり研究所の敷地の中・・・・・・・・から出さないようにして育てられてきた。


 しかしそのことを、クレアは気の毒に思っていた。

 だからこそ、こうして今日、マルカに外の世界を見せることができたことを、本当に嬉しく思っていた。


 ――とその時、マルカがガラス越しの視界の右側、この展望フロアから約500メートルほど離れた場所の様子を見て、感嘆の声を上げた。


「あ! ねえ、あそこ見て! おっきな宇宙船がいっぱい! あれ、みんな地球から来たのかな?」


 マルカの視線の先にはあったものは、宇宙船の離着陸場だった。

 コンクリートで舗装されたその場所の地面には、《丸で囲ったSマーク》がいくつも均等に並んでおり、たくさんの大きな宇宙船がその上に泊まっていた。


「いや、あれは地球から来た船じゃなくて〝航宙船こうちゅうせん〟だよ」


 マルカの疑問に、ミコトが答えた。


「こうちゅうせん?」


 首をかしげるマルカ。


「ああ。ほら見てみろよ。あそこにある宇宙船、どれも翼が付いてないだろ?」


「うん」


 確かに、離着陸場に泊まっている宇宙船――ミコトの言う航宙船・・・は、そのどれもが翼の付いていないものだった。

 その代わり、機体の側面には回転式の大型ロケットエンジンが付いていて、垂直離着陸が可能なVTOL機になっているようだった。


「航宙船ってのは、月と、地球低軌道上にある宇宙ステーションとを行き来する船――つまり、宇宙空間しか飛ばない船・・・・・・・・・・・なんだ。

 宇宙空間は空気がない真空の場所だろ? だから、空気が生む《揚力》を利用して飛ぶ《翼》は、航宙船には必要ないんだ。

 逆に、宇宙ステーションと地球との間を行き来する宇宙船――〝宇宙飛行機スペースプレーン〟には、地球の空を飛ぶために翼が付いているんだぞ」


「へぇ、そうなんだ! 詳しいね、ミコト!」


 マルカは目を丸くして感心した。


「……まあ一応、宇宙飛行士の息子だからな。これくらいは当然だよ」


 指で頬をかいてから、涼しげな表情をするミコト。 

 しかしその時、話を聞いていたヤマトが、あっけらかんとこう言った。


「ほあ~、そうなのか! 初めて知ったよおれ!」


「おい」


『お前も神凪さんちの息子だろっ』と言わんばかりにミコトはツッコミを入れた。

 その様子に苦笑するマルカとクレア。

 と、ここで、再び離着陸場の方に視線を向けたマルカが、その付近に見なれぬものを発見した。


「……ん? 何だろうあれ」


 大きな宇宙船が立ち並ぶ離着陸場の、さらにその先。

 この展望フロアから、1キロほど離れた場所にある巨大な建造物。

 それは、西の空に向かってせり上がるように延びていく、レールのような形をした施設だった。その長さは、優に数百メートル以上はあるだろうか。


 今日初めてコロニーの外に出たマルカには、それがなんなのか見当もつかなかった。


「ねえミコト。じゃあじゃあ、あっちにあるのは何? まるでお空に伸びる線路みたい!」


「はは、空に伸びる線路か……まさにその通りだよマルカ。あれは〝マスドライバー〟といって、電磁石の力で宇宙船を加速して、空に打ち上げるための宇宙船の発射台・・・・・・・だよ。月から宇宙に飛び立つ船は、みんなあれを使って空に撃ち出されるんだ」


 先ほどミコトも説明していたが、真空状態である月面の地表では、地球と同じように滑走路を使って離陸しようとしても、揚力が発生しないので上昇することができない。

 その代わりに、月面の航宙機はマスドライバーを使って空に飛び立つのだ。


 そもそも航宙機には、垂直離陸するための《回転式のロケットエンジン》が付いているので、それを使えばマスドライバーに頼らずとも離陸することは、もちろん可能だ。

 しかし、ロケットで月の重力圏外にまで飛ぼうとすると、多くの燃料を消費することになってしまう。


 重力6分の1かつ真空状態の月面では、地球上よりもはるかに少ない燃料で飛ぶことが可能ではあるが、とは言えそれでも、この〝マスドライバー〟を使って宇宙船を打ち上げた方が、遥かに低コストで離陸させることができるのだ。


 そういった事情から、西暦2107年の宇宙港には、ただ一つの例外もなくマスドライバーが最低一基は設置されているのだった。


 そんな、いわば《天空への架け橋》であるマスドライバーを初めて見たマルカは、その巨大さと迫力に圧倒され、目を輝かせていた。


「わあ、すごいね! あれで宇宙船を空まで! いいなあ、私も乗ってみたい……!」


「へへ、なんかマルカすっごい楽しそう! まるで、マルカの方が初めて月に来た人みたいだ」


 子供らしく無邪気にはしゃぐマルカを見たヤマトは、頭の後ろで手を組みながらそう言った。


「だ、だって私、今までほとんど研究所の中で生活してたから、コロニーの外に出るのは初めてなんだもんっ」


 少し頬を赤らめながらマルカは言った。


「そっか、そうだよな。でもおれ、マルカがあんまり嬉しそうにするから、なんかこっちまで嬉しくなっちゃったよ。元気になってホント良かったな、マルカ!」


 そう言って、にかっと微笑むヤマト。

 その隣で、ミコトも静かに笑みを浮かべた。

 そんな兄弟の姿を見たマルカは、嬉しくてまた少し泣きそうになってしまった。

 しかしマルカは涙をこらえ、一つ鼻をすすってから、笑顔で2人に返事をした。


「……ヤマト、ミコト。本当にありがとね。2人がキューブリック先生にお願いしてくれたおかげだよ」


「気にすんなって」


「ああ、オレたちが好きでやっただけだよ」


「でも、ほら、キューブリック先生ってとっても怖いでしょう? 怒られたりしなかった?」


 その言葉を受け、ヤマトとミコトは互いに顔を見合わせた。

 そのまましばらく無言になったあと、先日のキューブリックとの出来事を思い出した兄弟は、同時に息を漏らして苦笑してしまった。



 ――時は数日前、マルカが倒れてしまった日にさかのぼる。

 体調を崩したマルカを宇宙遺伝子学研究所まで運んできた兄弟は、施設の人にマルカを引き渡したあと、これまでの経緯いきさつを話すために所長室に通されていた。


 窓から差し込む夕日に照らされた、やや薄暗い印象を受ける室内。

 家具や装飾などは、そのどれもがアンティーク調の高級そうな物で揃えられている。


 部屋の奥には木製の執務机があり、その上には分厚い書類の束や読みかけの論文などが、丁寧に整頓されて置かれていた。

 そしてその手前には、応接用の低い机が1卓と、革張りのソファが4脚。


 壁には数台の本棚が置かれており、見たことも聞いたことも無いような小難しい学術書や辞典などが、ぎっしりと詰まっていた。

 しかも部屋の隅には、剣を持った西洋の鎧や、立派な角の生えた鹿のはく製までもが飾られていて、全体的にどこか重々しい雰囲気を漂わせていた。


 そんな室内の中央、高そうなソファに並んで腰かけた兄弟は、机の上に出された紅茶に手を付けることもできず、向かい側に座るクレアから顔を伏せるように、ただ俯いていた。


 壁に掛けられた古時計が時を刻む音だけが、むなしく室内に響きわたる。

 やがてしばらくして、ブランド品のティーカップから立ち上る湯気もおさまり、香り高いアールグレイが冷え切ってしまったその時――所長室の扉がきしんだ。


 室内に入ってきて、音もなくゆっくりと扉を閉めたその男は、60代後半くらいの白人男性だった。


 ほとんど白く染まりきったやや癖のある金髪は、七三分けにされ、軽く整えられている。

 顔には多くのしわが刻まれているが、黒縁メガネの中に見えるその瞳には、まだ強い生気が満ちており、実年齢ほどの老いを感じさせなかった。


 汚れ一つ付いてない白衣を身に纏った、姿勢の良い立ち姿。

 第一印象からして、几帳面そうなその性格がありありと見て取れるような、そんな男性だった。


 その男性は、自らをこの宇宙遺伝子学研究所の所長〝スティーヴン・キューブリック〟であると名乗ったあと、ソファに座る兄弟を怪訝そうに眺め、厳しい口調でこう言った。


「お前たちは、一体なんだ? どうやってマルカと知り合った。

 話してもらおうか、一部始終、嘘偽りなくな――」


 威圧感のあるキューブリックの態度。その重々しい空気に若干怯みながら、兄弟はこれまでの経緯を切々と語った。


 2人が、地球から来た旅行者であるということ。

 数日前にこの施設の中でマルカと出会い、それ以来、早朝に内緒でルナバスケをしていたこと。そして今日、マルカと共に公園で試合をしていたところ、突然マルカが倒れてしまい、慌ててここまで連れてきたこと。


 執務机の前に立ち、そこからソファに座る兄弟を見下ろしながら、キューブリックは険しい表情でその話を聞いた。

 そして2人が説明を終えると、『そうか、事情は分かった』とぶっきらぼうに答え、そのまま出口の方を指さしながらこう告げた。


「では今すぐにここを立ち去れ。ここであった出来事はすべて忘れ、そして二度と姿を現すな。再びマルカと会うことも、決して許さん」


 予想外の宣告に、ヤマトとミコトはすぐさま声を張り上げた。


「なっ!」


「そ、そんな……どうしてですか!」


「理由など聞いてどうする。もはやお前たちには関係のないことだ」


「関係なくなんかない! おれたちは、マルカの友達なんだ!」


 まっすぐと相手の顔を見据え、ヤマトは訴えかけるように言った。

 しかし、そんなことは意にも介さず、キューブリックはその言葉を否定した。


「友達……? マルカに……友達は必要ない」


「ふ、ふざけるな! 何でそんなこと勝手に決めるんだッ!」


 ただ事実のみを無感情に告げるようなキューブリックの言葉。

 ヤマトは激しく憤り、声を荒げた。

 しかし、そんな少年を、キューブリックは微動だにせず見下ろす。

 そして、眉間にしわを寄せ、少しだけ語気を強くして言葉を発した。


「マルカは、お前たちが思っている以上に《特別な存在》なのだ。……私はどんなことがあってもマルカを守らねばならない。そのためには、マルカを自由にさせるわけにはいかん。それがマルカのためなのだ」


 その瞬間――ヤマトの怒りが完全に爆発した。

 ヤマトはソファから立ち上がり、右手を振り切るようにしながら激怒した。


「そんなわけあるか! こんな狭い施設の中に、閉じ込められるようにずっと居続けることを、マルカが望むはずがない! それがマルカのためになるはずがない!」


 しかし、ヤマトの怒声を聞いて、今度はキューブリックの堪忍袋の緒が切れてしまった――。


「何も知らない子供が知ったような口を聞くんじゃない!!」


『ドン!』と執務机を拳で叩きながら、キューブリックはものすごい剣幕でそう言った。

 そのあまりの気迫に、室内の壁やガラスなどが微かに震える。

 同時に、驚いたクレアが『ひぇっ』と情けない声を漏らした。


 しかし、怒りを向けられた本人であるヤマトは、一切ひるむことなくキューブリックを睨み返したあと、すたすたと出口の反対側まで歩いて行き、そのままそこにあぐらをかいて座り込むと、腕組みしながらこう言った。


「マルカに会うまで、おれは帰らない! ここから一歩も動かないぞ!」


 まさに『テコでも動かない』と言い出さんばかりの表情で、ヤマトは再びキューブリックを見据えた。

 その様子を、眉間にさらにしわを寄せながら眺めるキューブリック。


 しかし次の瞬間、白衣の老人は驚くべき行動に出た。

 ゆっくりと部屋の角、西洋の鎧が飾られている場所まで歩いて行き、鎧の手に握られていた剣を引き抜くと、なんと――それをヤマトの首元に突き付けたのだ。


「ちょっ! きょ、教授……!?」


 あまりの出来事に、クレアが慌てて声をかけ、なだめようとする。

 しかし、その暇すらなく、キューブリックは冷たい剣先をヤマトの首筋に触れさせた。


「帰れ」


「……いやだ」


 しかし、ヤマトはそれでも言うことを聞こうとしなかった。

 剣を突き付けたまま、キューブリックはヤマトの目を見据える。

 少年のその瞳の奥には、何があろうと揺らがない《確固たる意志》が炎のように燃え上っていた。


 そんなヤマトの視線に少しだけ心を揺さぶられたキューブリックは、すぐさま目を逸らし、ためらうように息を漏らした。


「――ッ! これはお前たちのためにも言っているのだ! お前たちのような子供が、マルカに関わるべきではない。痛い目に遭いたくなければおとなしく――」


「帰らない!!」


 ヤマトの強い意志が、言葉となってその場に轟いた。

 静寂。

 キューブリックはヤマトのまっすぐで純粋な気持ちに押され、明らかな動揺を見せ始めていた。


 そして、次の瞬間――。

 今度は、ソファに腰かけたまま沈黙を貫いていたミコトが、キューブリックに語りかけた。


「キューブリックさん。聞いて下さい」


 わずかな沈黙のあと、キューブリックは剣を下ろし、ゆっくりとミコトの方を向いた。

 ミコトは相手としっかり目を合わせてから、静かに、切実な想いを伝え始めた。


「オレたちは、マルカと出会ってからまだ数日しかたっていません。だから確かに、オレたちはマルカのことを――その出生にどんな事情があるのかを、何も知りません。でも、それでもオレたちは、マルカのことを《大切な友達》だと思っています。きっと、マルカの方だって同じはずだ」


 大切な友達。ミコトがその言葉を発した瞬間、キューブリックは微かに肩を震わせた。


「だから、マルカの抱えている事情が、たとえどんなものであったとしても、オレはそれを知りたい! だって……マルカは、今、苦しんでいるから!」


 そう。マルカは――月面生まれの小さな少女は、苦しんでいたのだ。

 免疫が弱く、不自由な己の身体に。

 狭い施設の中から出られず、友達すら作れない、孤独な日常に。


 ミコトもヤマトも、たった数日間しかマルカと同じ時間を過ごしてはいなかったが、彼女がいかに孤独に耐えかねていたか、辛い思いをしていたのかを、その言葉や態度の端々から確かに感じ取っていた。


 だからこそ、兄弟はマルカと友達でいたいと思ったし、たとえ誰に何を言われようとも、マルカとこのまま別れるようなことは、してはいけないと思っていた。


「本当に苦しいときに手を差し伸べるのが――痛みを分かち合うのが・・・・・・・・・・友達だと、オレはそう思います。だから……お願いします! マルカと、友達でいさせてください!」


 ミコトは立ち上がり、最大限の誠意をこめて懇願した。

 対するキューブリックは、もう一度ずつ2人の少年を見つめたあと、やや困惑を含んだ口調で言葉を返した。


「なぜ、そこまでマルカにこだわる。あれはお前たちとは住む世界が違う人間だ。

 しかも、お前たちは地球人だろう。それがどうしてこんなにも必死に、マルカと関わろうとするのだ……」


 その問いに、ヤマトはほとんど間を空けずに答えた。


「そんなの決まってる……友達だからだ!」


 続いてミコトは、ゆっくりとヤマトの方まで歩いて行き、その隣に正座で座り込んでから、再びキューブリックに訴えかけた。


「お願いします! オレたちをもう一度、マルカに会わせてください!」


 2人の少年の熱い意志の込もったまっすぐな瞳が、キューブリックを見据えた。

 再びの静寂。

 しばらくのあいだ、古時計が時を刻む音だけが、やけに大きく部屋の中に響き渡る。

 しかし――、


「友達のため……か」


 そう言ったあと、キューブリックはやや視線を上向けて、何かを考えた。

 そして、ポツリとつぶやいた。


「……いつの時代も、若者というヤツは言うことが青臭くてかなわんな」


 不安そうに眉をひそめる兄弟。


「だが、どうやらお前たちは、私が言って聞くようなタマではなさそうだ……」


 兄弟の表情が一気に明るくなる。


「そ、それじゃあ……」


 キューブリックは、ふっと、ため息とも笑いともとれるような複雑な息を漏らしたあと、諦めたように兄弟に告げた。


「マルカと友達でいたいのなら、好きにするがいい。だが、今回のように私に黙って勝手に外をうろつき、過度な運動をさせるような真似は許さんぞ」


 笑顔を溢れさせて喜ぶヤマトとミコト。


「やったぁ! ありがとう、おじさん!」


 無邪気に喜ぶヤマトを尻目に、キューブリックはため息をついた。

 そして、自らの髪をくしゃっとかき分けたあと、助手であるクレアに話しかけた。


「クレア君、マルカが目を覚ましたら、この2人に会わせてやれ。ひとまず……私は少々、休ませてもらうよ」


 その声色には、あからさまな疲労と、どこか吹っ切れたような投げやりさが混在していた。


「あ、は、はい。わかりましたっす、教授……」


 その返事を聞くや否や、キューブリックはさっさと部屋を出て行ってしまった。その後ろ姿を見送ったクレアは――。


(あの教授を説得しちゃうなんて。まったく、不思議な子たちっすね……)


 と、心の中で密かに呟いたあと、ぷひゅうと一つ息をついた。



 そのあと兄弟は、クレアからマルカの過去についての話を聞いた。


 マルカがルナリアン特有の病気である〝低重力障害〟と〝成長障害〟を持ち、その治療のため、生まれてからずっとこの研究所の中で生活してきたこと。

 そして、マルカがコロニーの外の世界に憧れていたこと。

 さらには、友達の存在を強く欲していたこと。


 そんな事実を知った兄弟は、マルカの力になりたいと思い、自分たちがマルカにしてあげられること、するべきことは何かを2人で相談した。

 その結果、兄弟は《マルカと共に本物の空を見に行く》ことを決めたのだった。


 そしてそのあと、目を覚ましたマルカと空を見に行く約束を交わした兄弟は、後日、クレアに宇宙港まで連れてきてもらったのだった。



 ――そして、場面は再び現在。

 ルイス・ヤング宇宙港で会話をする一同の元へと戻る。


 マルカが問いかけた『キューブリック先生ってとっても怖いでしょう? 怒られたりしなかった?』という言葉に反応し、顔を見合わせて苦笑するヤマトとミコト。


 2人はあの出来事を思い出し――、


「大変だったよな!」


「はは……そうだな」


 と、しみじみしながら言った。

 それを見て先日の恐怖を思い出したクレアは、わなわなと身を震わせながら同意した。


「まったくもってその通りっすよぉ! キューブリック教授ときたらもう若くもないくせに、マルカちゃんのことになると鬼のように怖いんすからぁ!

 というかあのあと結局、この件は《あたしの監督不行き届き》ということで、あたしゃあ教授にたっぷりこってり3時間かけて怒られたんすからね、もう!」


「あはは、ごめんね、クレア先生……」


 半ベソを掻きながらうなだれるクレアを、申し訳なさそうになだめるマルカ。

 やがてなんとか立ち直ったクレアは、マルカの頭にポンと手を乗せてからこう言った。


「まあ、でも……こうしてマルカちゃんを研究所の外に出すことに、教授が前向きになってくれたから、結果オーライっすけどね」


「うん! 私、いまホントに嬉しいの! ずっと見て見たかった外の世界に、初めての友達と一緒に出て来られるなんて、まるで夢みたい!」


 今日一番の笑顔を見せて、マルカは天使のようにそう言った。


「大げさだなぁマルカは」


 あっけらかんと言うヤマト。


「そうだよ。それに、満足するのは早いぞマルカ。今日ここへ来た本当の目的・・・・・を、まだ果たしていないからな」


 ミコトの言葉に、マルカは意外そうに首をかしげた。


「え、本当の……目的? 何それ。まだどこかに行くの?」


「へへん、決まってるだろ! ……空を見に行くのさ!」


 晴れ渡るような笑顔で、ヤマトは元気よくそう言った。

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