025

 大江はスッカリ意気消沈していた。初デートを終えてから2週間あまり、平坂からの連絡が途絶えていたのだ。こちらから送ったメールにも、いっさい返事をしてくれない。

 ディナーのあとから、何やら彼女の様子がおかしいとは思っていた。もしや自分が自覚のないままに何か粗相をやらかして、嫌われてしまったのではないか。言い知れぬ不安が胃のあたりにうずまく。

 いや、あるいは大江が指摘した例の薬の件で、何か問題でもあったのだろうか。ひょっとしたら突然体調を崩して、緊急入院してしまったとか。それでこちらに連絡する余裕がないのだ。きっとそうに違いない。

 居場所に心当たりがないでもない。アステリオス製薬かALGOS警備保障へ行けば、おそらく平坂に会えるハズだ。実際この2週間、大江は何度か行ってみようか考えた。

 けれども結局踏み切れなかったのは、どちらも彼にとって鬼門だからだ。〈ヘッジ〉としてではなく生を受け、〈M.I.N.O.S.〉に組み込まれるコトを避けて生活してきた身としては、アステリオス製薬へは近寄りがたいものがあるし、ALGOS警備保障にいたっては彼を捕まえようとしている敵の巣窟だ。いくら正体がバレていないにしても、あえてみずから乗り込む度胸はない。

 最初に平坂からALGOSの関係者だと知らされたときは、実を言うと内心穏やかではなかったが、そこは彼女への愛がまさった。仕事とプライベートは分けて考えるべきだ。実際、彼女は仕事の話をいっさい持ち出さなかった。

 しかし、このアパートの一室に彼女は呼べないな、と大江は自嘲ぎみに笑う。部屋じゅうの壁一面に、犯行時に撮影した写真が貼りつけられている。大江の手で人形にした女たちの姿が、鮮明に焼きついている。

 秩序型犯罪者は、しばしば被害者の持ち物――例えば衣服やアクセサリーなど、殺した相手のコトを思い出せるような品を記念に持ち帰るコトが多い。彼のばあいはこれらのハメ撮り写真がそうだ。その場で現像されるインスタントカメラを使って撮影した。ネットに流出するおそれのある画像データで保存しておくよりも、こういうアナログのほうがむしろ安全だ。

 写真をながめていると、またムラムラしてきたので、大江は今夜3度めの自慰行為に耽溺する。ただしオカズとして脳内に浮かんでいるのは、殺した3人との夜ではなく、平坂と過ごした夜だった。かつてないほどの快感と満足感。終わったときの虚脱感と名残惜しさ。これまでの人生が、まったくセピアに色あせて見えるくらい。いったい自分は今まで、何をしてきたのだろう。貴重な時間を無為に浪費してしまったような気さえしてくる。

 もっと早く出会えていればと思わないでもないが、過去をくやんでいてもしかたがない。大事なのはこれから。ようやく本当の人生が、彼女と歩む人生がはじまるのだ。

 もう、ひとりではない。

 想いが天へと通じたのか、とうとう愛しのガラテアから、待ちに待った連絡があった。知らない番号からの着信だったが、試しに出てみると、聞こえてきた声ですぐに彼女だとわかった。

「平坂さんッ――あァ、何の音沙汰もないから、心配してたんですよ」

『チョット端末が壊れちゃってね、公衆電話からかけてるの』

「公衆電話? なんですかソレ?」

『……まァいいわ。ふたりきりで会いたいの。今すぐに。あの夜と同じホテルで待ってて』

 一方的にそれだけ告げて返事も訊かず、通話はさっさと切れてしまった。もっとも、大江の返事など考えるまでもなく決まり切っているのだが。

 今すぐ会いたいだなんて、彼女が自分と同じ気持ちでいたと知り、身震いするほどうれしく思った。大江はとるものもとりあえずアパートをあとにする。またあの快感が味わえるコトを期待して。

 とにかく時間がおしい。途中で無人タクシーをつかまえて、目的のホテルヘ直行した。

 しかし、玄関前にもロビーにも平坂の姿は見当たらなかった。どうやら先に着いたようだ。外で待っていてもよかったが、部屋を取っておくコトにした。メールで部屋番号を伝えて、先にシャワーも浴びておく。

 それから30分ほど遅れて、平坂が到着した。「ごめん。遅くなったわ」

 そう告げる彼女の姿に、大江は違和感を覚えた。いつもの無表情とは違い、何というか、心中を悟られないよう、感情をおもてに出さないよう押し殺しているかのような――。

「気にしないで、さァ、まずはシャワーでも浴びたらどうですか。まだそのくらい待てますよ」

「――ううん、けっこう。それより大事な話があるの」

 平坂はボストンバッグから数枚の写真を、ベッドの上へ放った。

 大江は驚愕した。それらはまぎれもなく、大江が撮りためていた記念写真――彼の所業を写した一部だった。

「遅刻したのは、キミの部屋を調べていたから。メールは留守にさせるための口実だったの。秩序型なら、かならず記念品を持ち帰ってる可能性が高いとは思ってた。動かぬ証拠よ」

 さらにバッグからは、電動ドリルやロープ、十手も出てきた。犯行時に使った道具だ。調べれば被害者のDNAが検出される可能性は高い。捜査陣の手にわたれば一巻の終わり。

「やっぱり大江くんが〈人形つかいパペットマスター〉だったのね」

「〈人形つかい〉?」

「ああ、そっか。公式発表されてないから知らないわよね。〈拷問官〉なんて的外れな名前じゃなくて、もっとピッタリなヤツをアタシが名づけたの。気に入ってくれるとうれしいな」

 彼女は疲れきった様子で、力なくほほ笑む。

 ――そう、笑っているのだ。

 人間らしく。

 彼女のおせっかいな表情筋が、彼女の完成された美貌を醜くゆがめてしまっていた。

 違和感の正体はコレだったのだ。彼女は表情を取り戻し、人形であるコトをやめてしまった。

 うろたえる大江の心中をカンチガイしたのか、平坂はさらに笑みを深める。敵意のなさを示そうと、感情を押しつけてくる。

「安心して。べつに逮捕しようってワケじゃないから。正直に言えば、ギリギリまで悩んでたんだけど、もうそんな気はなくなったわ。今のアタシには、そんな資格ないから」

 今度は悲しげに、心底ツラそうに、今にも泣き出しそうに、だからお願いなぐさめてとでも言いたげに。それが大江には、うっとうしくてしかたない。

 虫唾が走るほどに。

 ヘドが出るほどに。

「アタシもキミと同じよ。キミと同じで、人殺しになっちゃった。キミを糾弾する権利なんて、アタシにはもうない。遠からず追手が差し向けられるでしょうね。アタシはモルモットだから、実験動物のサルだから、きっと殺処分されるに決まってるわ。でも、そんなの絶対イヤ。だから、ねえ、大江くん、いっしょに逃げよう? キミだって、捕まるのは時間の問題なのよ?〈人形つかい〉の人物像を、アタシが正確にプロファイリングしちゃったから。今は容疑者リストの絞り込みに手間取っているだけ。すでにキミはALGOSの視界に入ってる。でも今なら間に合うわ。まだ大江くんはマークされてない。逃げるなら今のうち。お願い、アタシと逃げて」

 平坂が抱きついてくる。大江の胸に顔をうずめて。彼は少しホッとした。これでとりあえず表情を見ずに済む。

「好きよ大江くん。キミが好き。大好き。愛してる。キミといっしょなら、もう何もこわくない。この先どんな困難が待ち受けていようと、立ち向かっていける。アタシたちを拒絶する社会なんて、たとえ楽園だろうと願い下げだわ。ねえ、キミもそう思うでしょ?“さあ、私たちは心から喜んで行きましょう、追放ではなく自由への道だから。”」

「…………」

「愛の逃避行といえば、やっぱり行き先は北よね。東北? 北海道? でも海外だったら、逆に南国のイメージかしら。大江くんはどっちがいい? アタシはキミといっしょなら、どこだっていいわ。きっとどこへだって行ける」

 平坂はおもてを上げて上目がちに、「……大江くん、さっきからずっとだんまりだね。どうかした? ねえ、何か言ってよ? アタシのコト好き? メイワクだって、メンドくさいオンナだって思ってない? オンナってね、ちょくちょく言葉にしてくれないと、すぐ不安になるイキモノなの。言葉を尽くすコトの大切さがわかってるキミには、今さら言われるまでもないコトかもしれないけど」

 言葉どおり見るからに不安そうだったのが、今度は唐突に蠱惑的な笑みを浮かべて、「――ああ、もしかして、長々とあおずけくらったから、怒っちゃった? あの夜から何だかんだで、2週間も経つんだっけ? まァそりゃア欲求不満にもなるかァ。そういえば、部屋のゴミ箱がティッシュだらけだったし。匂いもすごかったよ? 今だって大江くんったら、先にシャワー浴びて準備万端だったもんね。もう、あいかわらずカワイイんだから。いいよ。ホントはそんな悠長にしてるばあいじゃないんだけど、何だかアタシもムラムラしてきちゃったし。あとのコトはあとで考えましょ。チョット待ってて。ササッとシャワー浴びてきちゃうから」

 そう言って、大江をひとり残してバスルームへ。

 表情を取り戻した影響か、平坂は心なしか以前よりも感情の起伏が激しくなったようだ。狂気すら感じる。子供は何人欲しいかと訊いた舌の根も乾かぬうちに、心中しようとでも言い出しかねない雰囲気だ。

 もはや顔だけの問題ではない。全身の毛穴という毛穴から、心がにじみ出てきている。鼻につく。臭くてかなわない。むろん、シャワーなどで洗い流せるワケもなく。

 大江は自分の十手を拾ってから、気配を殺して脱衣所まで移動し、いきなりバスルームの扉を開けた。

「アラ、どうしたの? いっしょに入――」

 ここに見張りのガネーシャはいない。振り向こうとした平坂の後頭部を、大江は十手で思い切り殴りつけた。

「サヨナラ、僕のガラテア」

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