026

 湯冷めした肌寒さに身震いして、平坂がふと目を覚ますと、身動きできないようロープで手足を縛られて、ベッドの上に転がされていた。

 どうしてこんな状況に陥っているのだろうか。確かシャワーを浴びていて、それで――

「もう目が覚めちゃったんですか? 寝てればよかったのに。そのほうがたぶんラクだったのに」大江は電動ドリルを構えて言う。

 平坂はすぐさま事態を悟った。これから平坂は、ほかの3人と同じように、ドリルで脳天に穴を開けられて、脳髄をかきまわされて殺されるのだ。しかし理由がわからない。

「どうして、なんでこんなひどいコトするの? アタシのコト、好きじゃなかったの? 愛してくれてるんじゃなかったの?」

「ハイ、大好きでしたよ。世界の誰よりも。……だけど、それはもう過去のハナシです。ああ、ホントにザンネンだ」

「……ひょっとして、アタシがキミを裏切ると思ってる? 殺人犯のキミを、ALGOSに売るとでも? まさかさっきのも全部作り話だって? そんなハズないじゃない。どうしたら信じてもらえるかしら」

「違いますよ。やっぱり自覚がなかったんですね。女性なら鏡くらいこまめに見たほうがいいですよ」

「鏡?」

 大江は室内の壁に設置されている大鏡を指さした。そこに映る平坂は、おびえた表情を浮かべていた。彫像のように固まっていた顔面が、今や生々しい感情をむき出しにしているではないか。

「運命の糸で結ばれた花嫁。僕の愛しいガラテア、僕だけの人形。あなたはとても美しかった。美しかったんだ。それなのに、今はあまりにも醜い。見るにたえない。怖気が走る」

「そんなコト言わないで。アタシはアタシよ。何も変わってなんかいない。これが本来のアタシなの――って言っても、うちにこもってた感情が、おもてへ出るようになっただけ。今もキミが好きだったアタシのまま」

 自分で言って、平坂は思わず失笑した。先ほど饗庭に対しては、あれだけおのれのアイデンティティを否定したというのに。これではいったい何のために、人殺しまでしたのかわからない。

「そのくらい僕にだってわかります。ええ、きっとあなたの言うとおりなんでしょう。あなたは何も変わってない。だけど、いくらそれが愛するひとだからって、腐乱死体になってもチンコを突っ込めるヤツなんて、フツーいないでしょう?」

「そんなに感情のない人形じゃないと満足できない?」

「カンチガイしないでほしいんですが、べつに僕は感情を否定したいワケじゃないんですよ。子供のころから、人形がどんなコトを考えて、どんなコトを感じているのか、想像力を働かせるのは好きでしたし。ただ、一方的に感情を押しつけられるのがイヤなんだ。泣けば許されると思ってるオンナは虫唾が走る。感情的になるひとも嫌いだ。大声でがなり立ててムリヤリ意見を通そうとするヤツは不快だし、スポーツ中継に熱狂するバカどもは見ていてイライラする。せっかくのなめらかな肌にシワをよせて、宝石みたいに大きな瞳を細めて、優れた造形が台無しにされるのを見るのはつらい」

 大江の言い分は理解できる。なにせ平坂がプロファイリングした〈人形つかい〉の性質と、寸分たがわないのだから。

 あらためて実感した。やはり大江は生まれながらの殺人鬼サイコなのだ。

「今の平坂さんからは、感情の臭いが鼻につく。まるで死臭だ。だけど実際の死体と違って、あなたにはまだ手の施しようがある。僕が加工してやれば、あなたはふたたび生きた人形になれる。僕の愛しいガラテアに」

 大江は電導ドリルのスイッチを押して、その先端を徐々に平坂のこめかみへと近づける。耳ざわりなモーター音が、少しずつ大きくなっていく。

「やめてェ! お願いだから考えなおしてよ! キミ好みの無表情を保てるようにがんばるから! 人形らしくよけいな口もきかないし、無抵抗でキミのヤりたいようにヤらせてあげる! だから、ねえ――」

「そこまで言うなら、この状況で感情を消してみてくださいよ。表情を失くしてみてください。さっさと泣き止んでさァ。――ホラ、できないでしょ? くだらない命ごいしてるヒマがあったら、そのやかましい口を閉じたほうがいいって。ああ、いや、これ以上長引かせるのは酷かな。そろそろ終わらせてあげましょう」

 ドリルの先端が、まさに触れようとしたそのとき――けたたましい銃声ののち、部屋のドアが破られた。ソードオフ・ショットガンでカギが壊されたのだ。

 そしてボディアーマーに身を包み、アサルトライフルをかまえた集団が、ぞろぞろと室内へ踏み込んできた。

 彼らの正体はすぐにわかった。身に着けた装備のあちこちに、ALGOS警備保障のロゴが入っていたから。

 大江は狼狽した様子で、「なんだ? いきなり何なんだアンタらは。今大事なトコなんだよ。邪魔するんじゃない。出てけ。出てけ!」

 集団のなかから、ただひとり場違いなスーツ姿の男が進み出る。黄泉八雲だ。「大江春泥。おまえさんは完全に包囲されている。おとなしく投降しろ」

「そっちこそおとなしくしてろよ。この状況が見てわからないのか?」大江は平坂の頭を抱え込んで、これみよがしに電動ドリルを突きつける。「チョットでもおかしな動きしてみろ。人質がただじゃすまないぞ」

「人質ィ? おまえさんらは恋人同士じゃアなかったのかい?」

「それはもう過去の話だ。いいか? 僕は本気だぞ。おどしじゃない。わかったらその物騒なものを下ろして、さっさと部屋から出ていけ」

 平坂は何だか、あの銀行強盗を思い出した。「……バカね、大江くん。そんなコケオドシが通じるワケないじゃない」

 そう言い終わるかしないうちに、黄泉の抜いた大口径ピストルの弾丸が、大江が電動ドリルを持つ右手のひらに突き刺さる。相当な威力だってようで、右手は半分ほど消失した。

「――い、ぐあっ! 手が! 手がァ!」大江は電動ドリルを取り落とし、失くした右手の傷口を抱えてうずくまる。

 黄泉は愉快に笑いながら、「どうした? 手を貸そうか?」

 人質に傷ひとつ負わせられないならともかく、電動ドリルで銃と張り合えると思うのが間違いだ。ドリルが人質の脳天を貫くより、引き金を引いて銃口から飛び出した弾丸の命中するほうが、早いに決まっている。

 無力化された大江を、特殊部隊が取り囲んで乱暴に押さえつけ、右手首がなくなっているのに意味があるのかわからない手錠をかけると、あっというまに連行してしまった。

 そして室内には、平坂と黄泉のふたりだけが残された。

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