010

 ディオニュソスクラブをあとにして、平坂たちはふたたびアステリオス製薬の研究所へ戻って来た。

「おまえさんには現代の様子をカンタンに見てもらったワケだが、最後に見せたいものがある」

「それって、あとで説明するって言ってた、日本の人口が50年で倍になった理由?」

「そうだ。ただし見せる前に訊くが、おまえさんの時代と比べてどうだった? 今の日本人は」

「……べつにフツーなんじゃない?」平坂は何でもないように答えた。

 確かに見てきたとおり、平坂が眠っている50年のあいだに、さまざまな変化があった。

 しかし、それらはしょせん、表層的なものだ。

 例えば感情を失って生きたる器械と化したワケでもなく、肉体を捨てて電脳世界に生きているワケでもなく、日常的に人殺しがアタリマエでサツバツとしているワケでもなく、極端な管理社会で隣人の密告に常時おびえているワケでもない。

 価値観の隔たりはそれなりに大きいと感じるものの、言ってみれば単なるジェネレーションギャップレベルだ。自分と同じ人間であり日本人だと、違和感なく受け入れられる。

 黄泉は破顔して、「ソイツを聞けてホッとしたぜ。なにぶんこれから見せるものは、昔の世代からするとかなりショッキングらしくてな。事前にチャント知っておいてほしかったんだ。この時代に生きるヤツらも、おまえさんと同じ人間だってコトを」

「おどかしてくれたトコ悪いけど、むしろガッカリさせちゃうかもしれないわ。これから見せられるものが何なのか、だいたい予想がついてるもの」

 日本の人口を爆発的に増加させた要因――そもそも21世紀初頭まで少子化が進んでいたのはなぜか。むろん出生率が下がったからだが、なぜ生まれる数が減ったのかと言えば、やはり出産と育児には時間とカネがかかるからだろう。

 バブルが弾けて以降、日本の景気は長く低迷が続き、たとえ夫婦が共働きで働いたとしても、余裕のある暮らしが難しくなっていた。そんな状態で子どもを産み、育てる気になれなくてもムリからぬコトだ。また経済的な問題にかぎらず、男女平等を目指す取り組みによって、女性の社会進出が進んだコトも無関係とは言えない。

 シッターを雇うなり施設へあずけるなり、育児を代わってもらうコトはできる。しかし、出産を代わってもらうコトはできない。すべて女性の肩にかかっているのだ。仮に不妊にかぎらず代理母を使えるとして、結局は代理母役の女性を確保する必要があるし、そういう構造上の欠陥がある以上、人口を爆発的に増やすのは、ほぼ不可能だろう。

 しかし、代理母という発想自体は悪くない。問題は、何に代理させるかという点だ。

 おそらく人工子宮インキュベーター――かつて「女は産む機械」と口にして失脚した政治家がいたが、これぞまさしく産む機械だ。今や子供が工場のベルトコンベアーで大量生産される“すばらしい新世界”になったのだ。

 黄泉があれだけ平坂の反応を気にするのもしかたがない。正直その事実を最初に知らされていれば、平坂とてこの時代の人々を偏見抜きに見るコトはできなかったに違いない。

 もっとも、それでバケモノ呼ばわりするような、無神経ではないつもりだ。いくらか戸惑いつつも、結果的には受け入れていただろう。聖人君子を自称するつもりはないが、おのれはそれなりに度量が広いほうだと思っている。

 エレベーターが到着する。ドアが開く。

「ようこそ。アステリオス製薬の最重要セクションへ」

 予想外の光景に、平坂はワケがわからなくなった。

 そのフロアは想像していたような、無機質な工場などではなかった。廊下とガラス1枚隔てた先は、緑がうっそうと生い茂るジャングルの温室だった。

 そしてジャングルには、たくさんのオランウータンが生息していた。猩々緋を身にまとった森の人が。

 彼ら、いや彼女らの腹は、みな一様に大きく膨らんでいた。どうやら妊娠しているらしい。

「えっと、オランウータンって確か、絶滅危惧種だったっけ。こんなところで繁殖させてるの? でも、それがアステリオスの最重要セクションって、どういう……」

「オイオイ、自分がここへ何を見に来たのか、もう忘れちまったのか?」

 廊下を進むと、べつの部屋があった。扉の上には「分娩室」と掲げられている。

 窓から室内の様子を見るコトができた。そのものずばり看板のとおりだが、手術着を来た医者と看護師に囲まれて、分娩台に寝かせられていたのは、やはりというべきかオランウータンだった。

「ちょうどいい。もうすぐ産まれるみたいだぜ」

 やがてオランウータンの股から、小さな頭が顔を出した。続けて胴体と足が、産道からひり出されてくる。

 その子は実際、オランウータンに似ている気がした。だが体毛は赤くないし、ほとんど毛で覆われておらず、むき出しの白い肌が、血と羊水にまみれている。

 おぎゃあ、と産声を上げた。

 平坂は思わず、小娘のようなかよわい悲鳴を出してしまった。もう少し油断していたら、「バケモノ!」と叫んでいたかもしれない。

 むろん、バケモノなどではなかった。

 それはまぎれもなく人間だった。

 ホモサピエンスの赤ん坊。

 キモチワルイ――とうとう耐え切れなくなり、その場で胃の中身を残らず吐き出した。

 吐しゃ物が鼻の穴にまで入り込んできて息苦しい。まだのどに詰まっているカンジもする。何度も咳き込んでいたら、めまいがしてきた。

「オイ、ダイジョーブか平坂?」黄泉が背中をさする。

「――コレは、いったい、何のジョーク?」

「もしかしたら、おまえさんも聞いたコトがあるンじゃねえか? 今から50年くらい前、話題になったらしいが、水産学の研究者が、サバにマグロを産ませる養殖技術を開発したンだってよ。ようは、ソイツを人間にも応用したのさ。遺伝子操作した特殊なオランウータンに、体外受精した受精卵を人工授精してな。チンパンジーとかゴリラとかでも試したそうだが、オランウータンが一番着床率が高かったんだと」

「ここがアタシの知る地球だと思いたくないわ……サルに自分の子供を孕ませるなんて、フツーじゃないわよ。アタマおかしいんじゃない?」

「おまえさんが気味ワルがるのも、理屈としては理解できるンだがな……とはいえ、そこまでドン引きするほどのコトか? べつにサルとヤってるワケでも、雑種作ってるワケでもねえンだぜ」

「理屈じゃないのよ理屈じゃ。生理的にムリ。ヘドが出る」

 もはや胃のなかに何も残っていないが、いまだに吐き気が治まらない。

「――黄泉、まさかアンタも」

「それが何か? 言っておくがよォ、おれはまぎれもなく人間だぜ。ただ、胎児のときオランウータンの腹ンなかで育ったって、それだけのコトだ」

「そうね。今さらその点を疑ったりしないわ。さすがのアタシもそこまでバカじゃない」

 予想外のナマナマしい光景に度肝を抜かれてしまったが、根本的には、事前の想定からさほど外れているワケでもない。たとえ3割増しで気色悪いとしても、その事実がゆらぐコトはない。

「へえ、ナルホドナルホド。そっかァ。オランウータンを代理母に仕立て上げたおかげで、世の女性は妊娠と出産から解放されたと」

「それだけじゃねえ。無事出産が済んでも、今度は育児も相当な重労働だ。大昔は身近に頼れる親戚がたくさんいたそうだが、核家族化が進んだ今、それは望めない。ストレス溜めて虐待なんてコトになったらサイアクだ。だからイマドキは、乳幼児からあずかってくれる全寮制の保育園を利用する。収入に応じて国からの補助金が出るし、施設数も充分。だが最近はサービス競争の激化もあって、あずかる年齢の上限が徐々に上がってきててな。現状は最高でも幼稚園の6歳までだが、そのまま全寮制の小学校に入れる家庭も増えてきてる。将来的にはそれが一般的になるかもしれねえな」

 母親が産んでくれたワケでもない。いっしょに暮らして育てられてるワケでもない。むろん面会くらいあるのだろうが、その程度の交流では、そう遠くない未来に家族という単位は消滅するだろう。親戚も会わなければ赤の他人同様となってしまうように。あるいは両親よりも、むしろ兄弟関係のほうが深刻かもしれない。

「これでおまえさんも、現代社会がどんなありさまか、ひととおり理解できただろ」

「……ええ、だいたいわかったわ。これだけわかれば、プロファイリングには充分すぎる」

 サルの腹から産まれ、誰もが施設で育てられる社会。

 DNAですべてを管理される社会。

 言葉もなく表情で心のうちが見透かされる社会。

 性に開放的な社会。

 障害者が存在しない社会。

 感動を生むものに神を見出す社会。

 社会制度が大きく変容し、それに付随して価値観も180度転換した。

 けれども、人間は変わらない。

 いや正直に明かせば、たとえ人間がどう変わろうと、ある一点さえ変わっていなければ問題ではない。プロファイラーにとって肝心なのは、ただその一点――性欲の有無のみ。

「さァ、捜査資料を見せてちょうだい」

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