009

「着いたぜ。ここだ」黄泉の指し示す先に、地下テナントへの階段があった。何の看板も掲げていない。

「ここが何なの?」

「まァとにかくコイツを着けろ」そう言って、黄泉はふところから取り出した、黒い帯を手渡してきた。真ん中に細長い穴がふたつ並んで空いている。「おまえさんは無表情だから、ソイツで充分だろ」

「いや、何コレ?」

 黄泉は疑問に答えず、今度はタイガーマスクの覆面を取り出して自分でかぶった。

 ナルホド、あらためてよく見てみれば、わたされたコレも覆面に違いなかった。「ああ、怪傑ゾロね」

 黄泉は憮然として、「違う。ローン・レンジャーだ。インディアン嘘つかない」

「どっちでもいいわ」

 地下への深い階段を降りると、入り口の扉を前に屈強なキャプテン・アメリカが立っていた。彼はこちらの姿を確認するなり、何も言わず通してくれた。顔を隠しているのに顔パスとはこれいかに?

「ここへ入る条件はたったひとつだ。自分の顔を隠せばいい。この仮面舞踏会――ディオニュソスクラブに参加するには」

 もとはダンスホールか何かだったのだろう。地下には広大なスペースがあり、かなりの人々であふれていた。そして彼らはみなそろって能面、縁日のお面、レスラーの覆面、カーニバルのマスケラなどをかぶっている。

 バットマンとオペラ座の怪人が、おかめのダンスパートナーの座を争って野球拳をしていた。

 ジム・キャリーのマスクとヒューマンガスと月光仮面は今クールの神アニメを選ぶべく談義し、蘭陵王はテーブルの上で正座して落語「まんじゅうこわい」を一席ぶっている。

 ダースベイダーは猿の惑星の猿を相手に黒澤映画について語り、仮面ライダーアマゾンは東京フライパン作戦が現実に成功しうるか論じ、ガイ・フォークスは自分のカノジョがいかに天使かオスカー・ワイルド並みの表現力でひたすら自慢している。

 牛のかぶりものをした男は、黒山羊のかぶりものをした女に言葉責めされながら搾乳と直腸検査されている。

 まさに混沌カオスとしか言いようがない光景だった。

「……いったい何なの? このありさまは」

「今の社会にうんざりしている連中が、少なからずいるってコトだ。こうして顔を隠し、心を隠せば、心置きなく心から語り合うコトができる。ちなみにあそこの牛だが、アステリオス製薬重役の息子だ」

「うわぁ……てか、そんなコト気軽にバラしてダイジョーブ? 誰かに聞かれたりしたら」

「べつにヘーキだ。表情を隠してるんであって、正体を隠してるワケじゃねえし。今の時代は昔に比べて、個人の趣味嗜好には寛容なのさ。ほかの人間の権利を侵害しないかぎりはな」

「アタシの時代だってそうだったわ」

「オタクを犯罪者呼ばわりするのがか? 絵柄が幼く見えるからって児童ポルノ扱いするのが? それをさも正義として押しつけるのが?」

「歴史に詳しいのね」

「おまえさんが目覚める前に、予習として昔の記録をいくつか閲覧してみたんだが、正直ゾッとしたね。誰がナニをオカズにシコろうが、べつにソイツの勝手だろ。しかも対象はただの絵だってのに。いったい誰の権利を侵害するっていうんだ? 難くせつけるほうが、逆に人権侵害じゃねえか。おれにはイマイチ理解できねえんだが、おまえさんの時代の連中は権利を、自由を何だと思ってんだ?」

 平坂は肩をすくめる。「アタシにもよくわからないわ。それより、流行最先端の自由ってヤツを教えてほしいわね」

「なァに、むずかしいハナシじゃねえ。自由ってのはようするに、所有権を侵害されねえコトだ。生命、身体、財産、思想、信条――自分の所有物は自分の自由にできるし、他人の所有物への手出しは許されねえ。ただそれだけさ」

「なら誰にも自殺を邪魔する権利はないってコト?」

「その指摘はマトハズレだぜ。自殺は所有物じゃなくて行為だ。ひとは命を所有できても、死を所有するコトはできねえ」

「でも自分の命は自分の所有物なワケだから、それを所有し続けようと捨てようと勝手じゃない?」

「それを言うなら、ゴミだって捨てるまでは所有物だぜ。ゴミはどこでもそこらへんに捨てていいのか? 分別しなくてもいいとでも?」

 自殺をゴミのポイ捨てに言い換えるのはどうかと思ったが、確かにそのたとえは平坂にもシックリきた。自分の所有物だからといって、好き勝手に捨ててよいワケではない。

「そもそも権利ってのは、力のねえ弱者が搾取されねえためにあるもんだ。弱者が誰かに殺されるのを守る必要はあるだろうさ。だが、自分で死ぬ権利を守る必要がどこにある? たとえ自殺を禁じたところで、本人のやる気と算段がととのいさえすれば、勝手に実行できちまう。それをわざわざ権利として認める意味がどこに? 誰にも邪魔されたくなかったらな、邪魔されねえように自殺すればいいだけだ。ましてや病気がツライとかで、安楽死の処置を認めさせるために、何年も裁判で争うなんて、正直いったいこのバカは何を言ってやがるンだと思うぜ。いつまで生きてるつもりだってンだ」

「――なかなか興味深い議論をしているじゃアないかキミたち」ふたりの会話に、バロンの面をかぶった男が割って入る。「だがそれはしょせん、強者の理屈というヤツだ。どんなに自殺したくても、できない弱者というのは存在する。たとえば植物人間とか、脳死者とかがそうだ。彼らの願いをまわりがくみ取って、尊厳死させてやるのが情けというものではないかね?」

 脳死患者のコトをそんなふうに言われて、平坂はアタマに血が上りかけた。眠っているあいだのコトはよく憶えていないが、それでも殺してほしいなどと願った覚えはない。もしこうして目覚める前に、安楽死させられていたらと思うと、ゾッとする。

 この男を今すぐぶちのめしてやりたい。股のあいだにぶら下がったイチモツをもぎ取り、二度とくだらないタワゴトを抜かすコトができないよう、のどの奥に突っ込んで窒息死させてやる――とそこまで考えたところで、ふと平坂はわれに返った。

 われながらなんとカゲキなコトを。そんな品のないオンナではなかったハズなのだが。自分で自分が信じられない。

 さて、男はヴェールをかぶった女を連れていた。彼女の腹は異様に膨れている。腹以外の部分を見やれば、太っているワケではないとすぐに知れた。女は妊娠しているのだった。おそらく臨月が近い。

 平坂が見惚れているとカンチガイしたらしく、男は見せつけるように女の腹をなでながら、「美しいとは思わないかね? 美しいだろう? ああ、実に美しい。これぞまさしく生命の神秘、神が宿っている。人間とはかくあるべきなのだ。自然のまま、ありのままに。美しい。美しい――」

 およそマトモな人間とは思えない。しかし平坂は、彼の言葉が引っかかった。妊婦が自然な姿とはどういうコトか。確かにそのとおりだろうが、そんなアタリマエな事実をわざわざ仰々しく語るというのは、違和感がある。どうやらイヤな予感が的中したようだ。

 やはり、この時代の社会は――

「つまり自然な姿じゃねえから、脳死患者の延命はやめるべきだと?」黄泉は挑むように言った。

「べつにそうは言っていない。私が言いたかったのは、ようするに死にたくても自分の力では死ねない者は、どうすればよいのかというハナシだ」

「自由ってのは、ワガママが何でも許されるコトじゃねえ。プロ野球選手になりたがるのはいい。夢に向かって努力するのも自由だ。だが、ふさわしい実力がともなわなけりゃア、トーゼンその願いはかなわねえ」

「その理屈だと、弱者はあきらめろと言っているようにも聞こえるが? 分相応をわきまえろと」

「所有権ってのは所有するコト、そして所有し続けるコトを認めるのであって、富を分配したり食糧を配給したり、所有物を与えるワケじゃねえのさ。理不尽に命を奪われず、財産を没収されず、身体を拘束されず、思想を矯正されず――それがこの現代社会のもたらす自由だ」

「――いや、すばらしい」バロンは剥き出しだった敵意を一変させ、選手の健闘をたたえるように拍手した。「やはりこの場所はイイ。イマドキこれほど熱い議論を戦わせる機会は、大学でもナカナカないよ。最近の学生はディベートがヘタクソでね。――ああ、ちなみに私も、自殺については本来キミとおおむね同意見だ。死にたい者は勝手に死ねばいい」

「ほめてもらったトコ悪いが、おれのは単に知り合いの受け売りだ。おたくは大学関係者なのか?」

「申し遅れた。私は森燐太郎、大学教授だ。品川大学で生命倫理学を教えている。お見知りおきを」

「おれはALGOS警備保障の探偵で、黄泉八雲。そっちのローン・レンジャーは平坂らいかうだ」

「ホォ! ALGOS警備保障の。ナルホド、あれだけ弁舌が立つのも探偵ならばナットクだ。名探偵と呼んでも?」

「ソイツはさすがにこッ恥ずかしいからやめてくれ」

「しかし、探偵さんがこうして混ざっているというコトは、このディオニュソスクラブも安泰と考えていいのかね? 何度も言うように、ここはとてもすばらしい場所だ。なくなってしまうのはヒジョーに困る」

「まァよっぽどのコトがねえかぎり、心配ねえだろうさ。そんなに好きなら、今度は学生も連れてきてやるといい」

「そうだな。見込みのありそうな学生がいないコトもない。私から見ても相当な変わり者だから、ここを教えてやればきっとよろこぶだろう。――さて、名残惜しいが、私はそろそろお暇させてもらうよ。5限目に講義が入っているのでね」

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