007

 歩道橋を渡り都庁の脇を抜けて、新宿駅方面へ。

 ビジネス街は途切れ、やがて繁華街。平日の昼間にもかかわらず、人々であふれている。

 大勢の通行人を眺めていて、平坂はふと、ある事実に気がついた。

「……そういえば、さっきからひとりも障害者を見かけてないわね」

 車イスに乗った者、杖で歩く先を探る者、少なくとも外見でそれとすぐわかる障害者は、まだ1人も目にしていない。

「再生医療のおかげだ。四肢の欠損みたいに後天的な障害は、あらかじめ登録されたDNAを使って、すぐに新しいパーツが作れる。おまえさんみたいに若さを保つための施術は、さすがにまだまだ実験段階で、実用化はほど遠いらしいが。治せるのに治さねえって患者はフツーいねえ」

「フーン。じゃあアンタはフツーじゃないのね」

 黄泉は心底関心した様子で、「……やべえな。まさかこんな早く気づかれるとは」

「プロファイラーをあなどってもらっちゃア困るわ」

 実に精巧な造りだが、黄泉の左眼は義眼だ。チョット注意して見れば、目と目が上手く合わせられないのがわかる。なぜなら義眼は動かせないから。

 表情でのコミュニケーションが重要な今の社会で、目を合わせられないというのは、わりと厄介なハンデのハズだ。それなのにあえて治療しないというのは、よほどの深い事情があるに違いない。

「知りたいか?」

「べつに。なんとなく想像つくし。アンタが話したいならかまわないけど」

「……いや、やめとく。コイツはシラフでするようなハナシじゃねえし。機会があればそのうち、な」

「そう。で、話を戻すけど、後天的な障害者は再生医療で治療できるとして、先天的な障害者は?」

「たぶん、おまえさんの想像とおおむね一致してるぜ」

「――やっぱり、出生前診断ね」

 国民の8割のDNAが収集されているような現状だ。ならば、産まれてくる子のDNAを調べない道理はない。

 何らかの障害を抱えていないか?

 遺伝病の有無は?

 いや、ただ調べるだけでなく、そもそも不都合な遺伝子を持たないように、デザインするのだろう。

 だが、それは命の選別だ。人類の可能性を狭めるおこないだ。生えないように引き抜いた根が、進化の萌芽に結びつく未来を誰も否定できはしない。

「おおむね、つったろ。胎児を調べてヤバけりゃア中絶するなんて、そんな非人道的なマネはしねえ」

「どうだか。もしかして、まだ着床させてない受精卵なら問題ないとでも?」

 どこからが人間で、どこまではそうでないという線引きは難しい。いくら考えたところで、答えの出る問いではないのかもしれない。ゆえに“語ることができないことについては、沈黙するしかない。”のだ。

「いや、そもそも受精すらさせてねえ。両親の生殖細胞から、生まれる可能性があるパターンを、コンピュータ上でシミュレーションするんだ。障害が発生するおそれがあれば、新たに精子と卵子を採取しなおしてシミュレートをくりかえす。それで問題ないとわかってから、受精させる。計算上でしか存在しない人間を生まなかったからって、さすがに人殺し呼ばわりされるいわれはねえよなァ」

「まァそう言われると反論できないけど……」

「それとカンチガイしてもらっちゃア困るが、べつにアステリオス製薬は出生前診断を強制してねえし、実際に産むか産まないかはあくまで当人たちの自由だ。ただ、可能なかぎりリスクヘッジするのが主流ってだけで。だから最近はデザイナーベビーじゃなくて、〈ヘッジ〉って呼ばれてるな。子供の先天性疾患をヘッジするってだけじゃなくて、妊娠中毒症とか母体へのリスクをヘッジするって意味合いもある」

 平坂の価値観では容易に受け入れがたいハナシだが、当事者でもないのにとやかく言えるコトでもない。実際に障害を持つ子供を生み、育て、家族となる立場でなければ。それに子供が障害者になってほしいのかと問われれば、平坂は正直ノーと返さざるをえない。とはいえ、そんな問いかけはあまりに卑怯かつ無意味だと思うが。

 しかし、これだけはハッキリ言える。ふたりのジェローム・モローが教えてくれた。自分の可能性を試す前から、才能をあきらめるコトの愚かさを。

「もしマイケル・バーリ医師がアスペルガー症候群じゃなかったら、“世紀の空売り”は実現しなかったでしょうね」

「マイケル・バーリ? 誰だそいつ?」

「まさかごぞんじない? ホントに? じゃあサブプライム・ローンは? リーマンショックは?」

「知らねえよ。何となく聞き覚えがなくもねえけどな。ひょっとしたら小学校のとき、歴史の授業で習ったかもだ」

 表情で驚きを示せないので、平坂は仰々しく天を仰ぎ、全身でうろたえぶりを表現してみせた。「冗談でしょ? こんなにも投資がさかんな社会なのに?」

「さすがプロファイラー。なんでまだ何も説明してねえのに、投資がさかんってわかったんだ?」

「わかるなってほうがムリな話よ」

 昼休みの食事中に、OLが優良株について熱心に語り合ったうえ、その場で取引を行っているところを目撃すれば、誰だってそう思う。しかも遺伝子疾患を避けるコトについて、〈ヘッジ〉なんて投資用語を使うくらいだ。そこまであからさまにもかかわらず、平坂が気づかないと本気で思っていたのだとすると、この時代では気に留めるまでもないくらい、アタリマエの光景になっているというコトだろう。

 それでいて、人類史始まって以来の不動産バブルを知らないというのは、一抹の不安を抱かざるをえない。

「……そのぶんだと、どうせ靴磨きの少年の逸話も知らないんでしょ?」

「道徳の授業で習ったかもな。貧乏な少年が靴磨きを必死に頑張って金持ちになったとか、どうせそんなトコだろ」

「ブッブー! 大ハズレ。実際はむしろその逆」

「何だよ、だったら靴磨きの少年は最後どうなったんだ?」

「さァね。少年がどうなったかなんて知らないわ。靴を磨いてもらった客のほうが、どうにかならずに済んだって話だし」

「じゃあ靴磨きの少年のおかげで、心を入れ替えた守銭奴の話ってトコだな。間違いない」

 当たらずも遠からずといったところだが、的に当たらなければ意味がない。教えてやってもいいのだが、どうも黄泉のなかで靴磨きの少年が純粋無垢な天使――ある意味ではそのとおりだが――と化しているらしい。そのイメージを壊さないでおいてやろうと平坂は思った。

 あと、来たるべき黙示録の日に備えておくべきかもしれない、とも。

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