006

 正面に東京都庁のそびえ立つツインタワー、その左奥には海面から飛び出したシロナガスクジラのごとき威容のコクーンタワー。見上げればコンクリート・ジャングル、しかして視線を下ろせばそこは草木の生い茂る異世界。

 新宿中央公園は、50年前と変わらず緑豊かな憩いの場を提供してくれる。敷地の片隅に立つ太田道灌の像も昔のまま。昼休みのビジネスマンや専門学生、近隣の住民たちにとって、ここはまさしく都会のオアシスだ。

 人々は昼食を摂ったり、ランニングしたり、優雅に読書したり、楽器の練習をしたり、はたまた昼寝をしたり、おのおの穏やかに過ごしている――だけではなかった。

 都会の日常風景に混ざる異物に、平坂は思わずうめき声をもらし、「……アレはナニをやってるの?」

「見りゃアわかるだろ。セックスだ」

「わかるから訊いてるのよ」

 ベンチで、芝生で、木立のかげで、見晴台の上で、広場の真ん中で、池でビショ濡れになりながら、トイレの便器に並んで、男も女も、老いも若きも、くんずほぐれず、ひたすらセックスに明け暮れているのだった。

 男同士や女同士が堂々と結ばれているのは、きっとよろこばしいコトに違いない。しかし、明らかに未成年も混ざっているのはどういうワケなのか。公然わいせつ罪どころのハナシではない。淫行条例に抵触しているのは明らかだ。

 しかし、黄泉はこの状況を目の前にして、まったく気にしたそぶりを見せていない。そもそもこの公園のすぐ脇には、NPA東日本の交番がある。つまり放っておかれているのだ。

「さすがにおどろいたみたいだな。イマドキはコレがアタリマエなんだぜ。昔から言うんだろ? セックスはコミュニケーションだって」

「なら今の時代の連中は、握手代わりにチンコ握るってワケ?」

「おたがいに握り合うのさ。もちろんゲイカップルのばあいは、だが」

 言われてみれば、白昼堂々まぐわっている者たちはみな、性欲に身をまかせて激しく肉と肉をぶつけ合っている、というカンジではない。愛をささやき合ったり、目と目を合わせて見つめ合ったり、たがいに相手のコトを気遣っているのがよくわかる。さしずめ社交ダンスのような、あるいは宴会の席での語り合いのような。

「アステリオス製薬の開発した避妊薬は、100%の安全性を誇る。あらゆる性病も根絶された。ナニひとつ気兼ねする必要なんてねえ」

「たとえ未成年でも?」

「そもそも、未成年の淫行が禁止されてたのはなんでだ?」

 訊き返されて平坂は答えに詰まる。「いや、だって未成年だし……成熟してないんだから……」

 未成年の淫行に関する問題は突き詰めて言えば望まない妊娠、からの中絶による精神的ショック、ないしは出産によって残りの青春が失われるコトだろう。しかし完璧な避妊方法があるというのなら、それは解決されている。強姦や売春となれば、また別問題だが。

「言っておくが、今の時代に未成年なんてくくりは実質、存在しねえ。あるのは納税しているか、していないかだけ。モラトリアムの学生とホームレスのジジイは同じカテゴリーだ。それに保護者との関係も、昔に比べればはるかに希薄になりつつある。こうしているあいだにもな」

 そういえば、いまだ幼い子供連れを見かけていない。このあたりはひとつ路地に入れば住宅街で、すぐ近くには小学校もあったハズだが。

「“なんてすばらしい! りっぱな人たちがこんなにおおぜい! 人間がこうも美しいとは! ああ、なんてすばらしい新世界、こういう人たちがいるとは!”」

「そこまで気に入ってくれるとは思わなかったぜ」

「べつにほめたワケじゃないから」

 イヤな予感がしてきた。完璧な避妊による性の寛容化、にもかかわらず増加した人口、さらには親子関係の希薄化――人口増加についてはあとで説明すると言われたが、もし予想が的中しているとすれば、心底胸クソ悪いものを見せられるかもしれない。

「せめて『すばらしい新世界』じゃなくて『ガリヴァー旅行記』であってほしいけどねェ……」

「それなら知ってるぜ。主人公が小人の国に流れ着いて巨人扱いされる話だろ」

 黄泉が言っているのは、何倍にも希釈された幼児向けの絵本かアニメ映画だろう。であれば、きっと知らないに違いない。ジョナサン・スウィフトの描いた小人の国――リリパット国が、いったいどういう社会制度を布いているか。小人の子供たちが、どうやって育てられているか。

 平坂は懇切丁寧に教えてあげようかと思ったが、ふとレミュエル・ガリヴァーの訪れたほかの国の話が、脳裏をよぎった。バルビバービ国の医師が考案した脳外科手術。その連想に不吉なものを感じたが、平坂には関係ないコトだ。今この頭蓋骨に収まっている新たな脳髄は、間違いなく彼女自身のものなのだから。そのハズなのだから。

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