004
病室の白いカベは、マジックミラーのような仕掛けになっていたらしい。その向こうから盗み見ていた男が、こちら側へ移動してきた。
喪服のような黒ずくめの男だ。彼はさっきの言葉どおり饗庭博士の口をふさぐというか、病室の外へ追い出してしまい、ようやく落ち着いた様子でため息をついた。
「おれは
「民間の刑事――つまり私立探偵ってワケね」
英語でどちらもdetectiveと言われるように、刑事と探偵は本来イコールだ。明治から昭和初期あたりの推理小説だと、刑事のコトを探偵と呼んでいるものも少なくない。
「すでに察してくれているかもしれねえが、おれは博士と違って短気なんだ。単刀直入にいこう。平坂らいかう、とある事件の捜査に協力してほしい」
「それは、アタシをスカウトしたいってコト?」
「おまえさんが望むなら、ALGOS警備保障はいつでもウェルカムだ。もちろん逆もしかり。――ただし、たとえどっちを選ぼうと、この事件の捜査にだけはかならず協力してもらうぜ。悪いがおまえさんに拒否権はねえ」
「……話が何となァく見えてきたわ」
再生医療による脳移植――技術面はクリアしたが、倫理面はこの時代でも解決していなかったのだろう。平坂という人材は、それを無視するための口実にされたというワケだ。
「助けてなんて頼んだ覚えはないけど、とは言わないわ。素直に感謝してる。ただ、わざわざ蘇らせるほどの価値がアタシにあったとはね。おどろきだわ。アタシなんてまだ駆け出しのペーペーだったのよ?」
「照れるこたァねえ。なんでも、FBIの行動科学課でプロファイリングを学んだっていうハナシじゃアねえか」
「学んだって言っても、たかが2週間の研修だけどね。まァ課長には筋がイイってほめられたけど。日本の警察なんか辞めてFBIに来ないかとまで言われたけど」
黄泉は苦笑して、「……無表情で言われると、ジョークなのかマジなのかサッパリわかんねえな」
平坂は肩を落としてため息をつく。「言わないでよ……ひとがせっかく気にしないようにしてるってのに……」
「おっとそいつはすまねえ。気にしてるかどうかも表情に出ねえもんだから、つい」
「そのくらい表情を読むまでもなく、フツーに考えりゃアわかるでしょうが」
「それがわからねえのさ。この時代の人間にはな」
こちらこそ意味がわからない。ひとは思っているコトを何でもかんでも表情に出すワケではないのだ。相手の気持ちを察するためには、目に見えるものに頼らず、想像力を働かせる必要がある。買ったばかりのソフトクリームをうっかり落としたとして、涙を流していないからべつに惜しんでいないだろう――などと決めつけるバカがどこにいる? 物語で泣かせる演出のテンプレートが出来上がっているコトでもわかるように、ひとが感情を動かされる状況というのは、ある程度限定されているのだ。
黄泉は頭を抱えて、「こいつはまいったぜ。おれとしたコトが、そんなアタリマエの前提を失念してたとは。そう都合よくはいかねえってワケかい」
「何の話?」
「そうだな……試しにひとつ訊かせてくれ。何年か前に、女の腹を裂いて頭を突っ込んだ男がいたんだが、そいつの動機は何だったと思う?」
「みくびられたものね。そんなの、典型的な胎内回帰願望に決まってるわ。きっと幼いころ、母親に甘えられなかったのね。だから母性愛に飢えていたのよ」
自信マンマンで答えた平坂だったが、「ザンネンながらハズレだ」
「エッ? そんなバカな――」
「犯人と被害者は夫婦で、浮気を疑った旦那が嫁を殺したんだ。腹を裂いた理由は、浮気相手との子供がいないか確かめるためと、浮気したくらいだから、きっと腹のなかは真っ黒なんじゃないかって興味本位もあったらしい」
「……チョット、今の問題はヒキョーだわ。ふたりが夫婦だってわかってたら、もう少し違うふうに考えたわよ」
「だが、死体が見つかった時点では、何者の犯行かはわからなかったんだぜ。単に腹の傷がムリヤリ広げられてあって、人間の頭部大の何かを突っ込んだ形跡があったのと、なかに犯人のものとおぼしき髪の毛が数本残ってただけだ」
平坂は言葉につまった。確かに黄泉の指摘どおりだ。的外れなプロファイリングをした自分が悪い。
黄泉は励ますような口調で、「とはいえ、間違えたのもムリはねえ。おまえさんが言ったように、胎内回帰願望で同じマネをするヤツだって、少なからず存在するだろう。ただし、おそらく少数派だ」
「それは胎内回帰願望がこの時代だと一般的じゃないってコト?」
「そういう発想へと至るための感覚が、ってところか。……まァ百聞は一見にしかずだ。言葉で説明するより、直接目で見たほうが早え。この時代――現代がいったいどんな社会で、どんな人間が暮らしているかをな」
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