29 俺の正義に滅ぼされろ

「クソッ、みんな弾けろ、弾ければいいんだ」

 物騒な呟きを液晶にぶつけながら、業務フローを粛々と作る。

 時刻は25時過ぎ。終電という概念は、10分前に俺の世界から消え去った。



 結局、急遽CD・DVDを付録にする場合の業務フローも作成することになった。

 猪井さんに大きな流れを聞いてドラフト(=仮版)を作成し、明日、というか日付的には今日19日に林さんに確認する。


 ステコミは明日20日の朝イチで、今日19日の夕方には編集長の資料を送らないといけない。そんなわけで箱崎さんから「タクシー使っていいから」と許可が下り、俺は誰もいないオフィスに1人ぼっちになっている。



 それにしても、自分の会社じゃないオフィスに1人とかレアな体験だよな……色んな人の机漁っちゃおうかな……。


「なんてね。はいはい、もうみんなどうにかなればいいんだよ」


 誰に対してでもない無差別な毒が、虚しく机の天板を這う。この時間の仕事で「ハッピーに仕事しよう」なんて俺は絶対に言えない。あるのは黒々としたネガティブと「今なら誰かを呪える気がする」というストレスだけ。



 林さんが悪いわけじゃない。聞けばここ2年くらいCD・DVDの付録は作ってないらしく、そりゃあ本人だってそんなこと意識しないわけだ。

 猪井さんだって、たまたま思い出したくらいで、途中で仕事を軌道修正するなんて良くあること。



 だからこそ余計に、この感情をどうにも出来ないでいる。

 優雅にアフター5を過ごしてる人への嫉妬、自分への憐憫、早く家に帰りたい焦り、集中力の下降、それでもやらなきゃいけない苦痛、こんな時間まで働くことへの疑問。

 なんだよもう、みんな消えろ、弾けて消えろ、俺の正義に滅ぼされろ。




 あ、滅ぼされろで思い出したぞ。朱乃への連絡忘れてた。なんでそれで思い出したんだよ。


「夜にごめん。クリスマス、ディナー抑えといたぞ」


 SNSで手早く打つ。21日金曜からの三連休で東京に戻ってくるらしいので、ホテルのフレンチを抑えた。

 でも今は20日までの山場の方が問題。最悪フレンチは半分寝ててもいいだろう。出てくるの時間かかるし。


「サンクス! 楽しみ!」

 返信きた。今日は寝るの遅いんだな。


「あ、Fucus買ってみたぞ。これ作ってるんだ、面白そう!」

 続いて3連続で送られてくるガッツポーズのうさぎ。いや、別に作ってるわけじゃないんだけどね。それは愛されコーデの女性陣がやってるんで。



 でも、自分が絡んでるもの褒められるとやっぱり嬉しい。これを買ってる人がいて、楽しみに待ってる人がいて。俺は直接の作り手じゃないけど、その品質を上げようとしていて。そう考えると、少しだけ背筋が伸びる。



 眠気とともに雑念は消え、「やるだけやろう」と手は進み、時間は過ぎていく。尖ってた人間が丸くなるように、目の前の仕事に従順になる。その哀しさと可笑しさ。


 26時。あと1時間あれば終わりそうだ。そこからタクシーで帰って寝る準備。寝坊が怖いから、電気はオレンジにして寝ようか。




***




「おはようございます……」


 翌朝。グロッキーを絵に描いたような猫背で、革靴を擦るように歩く。その様子を見て、猪井さんがパタパタと駆けつけてきた。


「あっ、おはよう唐木さん。大丈夫?」

「まあ生きてますんで……」

 なんて志の低い返事なんだ。


「これ、確認は林さんじゃないと難しいですかね? すぐ捕まる人がもしチェックできたら、と思ったんですけど」

「そうねえ……。付録はこの3年くらい林さんしかやってないのよね。前任者と前々任者はもう辞めちゃってるし……15年前くらいにやってた人ならいるけど」

「いや、それなら大丈夫です」

 15年経てば大分状況も変わってるだろうし。


 そうだよな、前任者達がマニュアル残すとかじゃなくて個人対個人で引き継いでるから、周りが誰も知らない状況になるんだよな。



「で、林さんは今日取材ですか?」

 俺の問いに猪井さんは「んん……」と腕を組んで唸った。


「私も分からないのよね。彼女あちこち飛び回ってるから。ちょっと確認しましょう!」


 そう言って、一緒に飛び回る彼女の席へ行く。

 赤い眼鏡のいつもの女性が、こちらが質問する前に答えてくれた。


「今日は『首都圏近郊の評判のティラピス教室』の取材ですね」


 ティラピス? あれか、ヨガみたいなヤツか。たまに「ティラピス? ピラティス?」ってどっちが正しいか分からなくなるヤツか。



「えっと、昼過ぎまで熊谷くまがやの教室取材って言ってました」

「熊谷!」


 埼玉の! 東京よりむしろ群馬に近い、あの熊谷!

 いやしかも午後戻りだと困るんですけど。



 あーあ、はいはい。ここまで来たらとことんだ。



「唐木さ――」

「俺、熊谷行きます。多分顔突き合わせてやった方が確認漏れがないので。ティラピス教室の住所、調べて送ってもらっていいですか」


 猪井さんを遮ってお願いしつつ、自席に戻って鞄にPCを入れる。


「向こうでお昼休みに林さん捕まえます。箱崎も午前中はストレイブルーの本社にいますけど午後から出社するんで、午後最終化しましょう」

「すみません、お願いします!」

 さあて、緊急出張だよ。新幹線は経費じゃ落ちないな、鈍行で行くか。





「あ、こんちには、唐木ですけど。林さん、すみません、どうしても1つ、緊急で確認したい業務があってですね。今、ティラピス教室まで来ました」

「えっ! 近くにいるんですかー?」

 そりゃ驚きますよね。俺もビックリですよ。


「お昼行く前に、20分だけお時間頂けませんかね? 教室近くにある『アルカンジュ』って名前の喫茶店で待ってますので」


 もう業務フローの精度なんか一旦置いておこう。夜更けの俺の苦労と怨念と馬力をムダにはしない。今はただ、それだけ。





「箱崎さん、今メールで業務フロー送りました。猪井さんと先に確認しておいてもらっていいですか? これから東京戻るんで、終わったら修正かけます」


 コンビニでサンドイッチとおにぎりを買って、トンボ返りの電車に乗る。人の目も気にせず、ビニールを開けて口に放り込み、後は鞄を抱えて目を瞑る。



 腹が減っては戦が出来ぬ、眠気があっても戦が出来ぬ。


 さて、今日の戦は夕方まで。倒れる前に、残りライフ僅かのタスクをぶっ倒す。

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