28 知らないこと、知りたくなかったこと

「あ、もしもし、林さんですか? ストレイブルー・コンサルティングの唐木です、お世話になってます」

「あ、唐木さん、こんにちはー。すみません、付録の資料、全然手付けられてなくて」


 彼女の柔らかい声に混じって、ビジネスマンの話し声が聞こえる。品川駅の付近。うん、聞いてた通りの予定だな。


「あのですね、これから品川から代官山に移動するんと思うんですけど、代官山で少しお時間頂けません? 私、そこまで行きますので」


 その提案を聞いて、声のトーンが2段階高くなる。

「え、代官山にですか?」

「ええ。赤入れする手間も大変だと思うので、その場でこっちから聞きながら修正していこうと思いまして」


「すみませんー、お手間かけて……でも、はい、そうしてもらえると助かりますー」

 そして、待ち合わせ時間と場所を決める。相手が動いてるなら、それに合わせて動くまでだ。





「すみません、15分くらいで終わらせますので」

「あ、はいー。ありがとうございます」


 代官山駅から近いカフェのテーブル席に陣取り、林さんと向かい合って座った。吹き抜けの高い天井とリーズナブルなエスニック料理で人気の店。


「まず付録そのものについてですけど、バッグみたいなものっていつまで仕様変更できるんですか?」

「んっと、納品サンプル確認してOK出すときですね。だから……本誌発売の3ヶ月前とかかなー」

「なるほどー」


 ああ、もうあのレアキャラの林さんが目の前で話してくれるってだけで感動だよ……。相変わらずピンクの強いチークとグレージュの髪、そしてほわほわした喋り方が印象的。思わず口調が感染うつっちゃいますー。


「納品サンプル以降の変更だと重さや厚さ変わって、規定外になっちゃうリスクありますからねー」

「確かにサイズ変更とかしたら重さも――」


 ちょっと待て。


「あの、林さん。今、規定って言いましたけど、何か付録自体に規定があるんですか……?」

「あ、はいー。本体と付録を結束した状態の厚さが28cm以内、かつ重量が12kg以内ですね」


 あぶねえええ! 一番大事なことが漏れてたああああ!

 ふう、やっぱり直接聞くと色々出てくるな……。


「で、次の質問なんですけど、付録を国外製造する場合の注意点って……」

 こうして、予期せぬ代官山デートはとても貴重でな打ち合わせとなった。





「ありがとうございましたー」

「いえいえ、取材頑張って下さい」


 代官山から1駅、渋谷まで一緒に電車に乗って林さんとお別れする。

 車内の会話に困ったけど、机に詰まれたDVDボックスで海外ドラマ好きだと知っていたので、雰囲気で話した。俺は1ミリも見たことがない。



「さて、渋谷で待つか……」


 次は別件取材中の猪井さんを捕まえる。この近くにいるはずなので、用件終わったら連絡下さいとだけショートメッセージで伝えておいた。


 しかし、今日は朝から東京駅→代官山→渋谷と来てるけど、いる人が全然違うのが面白い。

 代官山のマダムや老紳士を見た後に渋谷ではしゃいでる20歳前後の若い子を見ると、何がどう進化すればマダムのようになれるのか不思議だ。



 と、猪井さんから着信が。

「すみません! 今用事終わりました!」

「あ、お疲れ様です!」


 林さんと全く違う、歯切れの良いハキハキした口調。思わず口調が感染うつっちゃいます!


「えっと、今渋谷のどの辺りですか?」

「それがですね、先方の予定が変わったので、横浜でやってたんですよ」

 横浜って。都道府県からして違うって。


「分かりました。えっと、そこでそのまま電話で本社と打ち合わせって聞いてるんですけど、私これから横浜まで行きますので、少しお時間頂けませんか?」


 夜まで待ってたら本社に帰ってくるかもしれない。でも、帰ってこないかもしれない。捕まれられるときに、捕まえておく。




***




「今日は、2日後のステコミに向けて最終確認です。よろしくお願いします」

 会議室で猪井さんと向かい合い、箱崎さんが座ったまま頭を軽く下げる。


 12月も中旬、18日水曜。プロジェクトも営業日で考えれば実質あと7日で、だんだん締めの方向に入ってきた。




 ステコミ、正式名称はステアリング・コミッティー。「舵取りの委員会」という名前に相応しく、編集長などクライアント側の重役も交えて、意思決定を行うための会議。俺や箱崎さん、猪井さんだけでは判断できない、方針の承認や重要課題への対応策などを協議する。


 今回のステコミの目的は「最終報告」。11月から2ヶ月間こういうことをやりましたよ、これから編集業務はこのように進めてもらいますよ、というところを報告して、猪井さんの上である編集長からゴーサインをもらう、というものだ。




「編集長にも、ある程度業務フローは見て頂こうと思います。もちろん、その場でそんなに細かくは見られないと思うんですけど……」


 印刷した業務フローをバサバサと並べる箱崎さん。フロア中央にある会議室なので窓がないけど、フロアの電気がほぼ消えているのでイヤにこの部屋が明るく感じる。


 時間は23時。猪井さんも今日は旦那さんに家庭を任せて臨戦態勢だ。


「…………あれ、この付録の業務フロー」

「どうしました?」


 自分が担当した作業なので、食い気味に猪井さんに訊く。なんだなんだ、林さん何か言い忘れてた留意点とかあるのか。



「CDとかDVDが付録の場合も、通常のフローと同じでイケました?」




「…………はい?」



「いや、家で流すイージーリスニングとか、シェイプアップ用のダンスDVDとか作るとかがあるんですけど、多分製作過程がバッグとかと全然違うから業務スケジュールががズレるんじゃないかな。それに、ディスク入れるための紙のケースは本体にくっつけないといけないし…………聞いてませんでした?」


「いや、あの、おお、うん、ええ……」



 あ行全部使って相槌を打つ。



 掛けられた時計、文字盤の下半分。顔なら口にあたるその部分が、にたぁと笑ったように見えた。

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