24 綺麗じゃなくても

 マズい。これはマズいぞ。林さんと全然コンタクトが取れない。俺が付き合いたての彼女だったら「最近ちっとも会えないし……」とか女友達にSNSで愚痴ってるところだ。


 とにかく、このままじゃ別添付録の業務フローがいつまで経っても完成しない。箱崎さんに相談しないと。



「あの、箱崎――」

「唐木さん、あのですね」


 箱崎さんが出社してしばらく経った頃、声をかけようとしたら逆に呼ばれた。

 え、何。こういう会話の流れのときってあんまり良い話じゃないような気がするんだけど。


「私、今日からちょっと提案入ることになったので、ここへの出社の頻度、少し落ちます」

 アンタもかーい! アンタもコンタクト取れなくなるんかーい!


「まあ、もともと私、ここへのアサイン(=任命・割り当て)も50%の予定でしたからね。猪井さんにも説明してあるんで、大丈夫です」

「はい……分かりました……」

 いや、提案なら仕方ないんだけどさ。




 提案。即ち、営業活動。依頼を受けて、クライアント(になる可能性のある企業)に対し、


 ・我々は貴社の問題をこう考えていますよ

 ・我々はこういう方法で解決しますよ

 ・このくらいの期間で、このくらいのお値段でやりますよ


 ということを資料にまとめてプレゼンする。これがうまくいけば、晴れてプロジェクトスタートとなるわけだ。


 で、その引き合いのきっかけを作るのは主にパートナーやディレクターと呼ばれる上級役職の方だけど、資料の作成にはチームが組閣されるケースが多い。


 箱崎さんは今回そこに呼ばれたというわけ。アサインが50%ってことは、もともと文道社には週半分しか来る予定がなかったということだから、掛け持ち前提なんだろう。



 ちなみに、「プロジェクトを幾らでやるか」をどうやって決めるかと言えば、単純に単価×時間で求められる。


 それぞれのコンサルタントには単価が決められているから、プロジェクトで何ヶ月働く予定か分かれば、あとは金額が出せる。


 うちの会社だと、一番安い人でも単価2万くらいから。1日じゃないよ、だよ。1ヶ月で8時間×20日働いたら請求額320万ですよ。


 もちろん値引きだってあるわけだけど、クライアントからしたらとんでもない金額だ。だからこそ、俺達への成果のプレッシャーはもの凄く強い。リアルに「お前に幾ら払ってると思ってるんだ」の世界だ。




「そういうわけなので、唐木さん」

「……は、はい」

 箱崎さんの声に、一気に現実に引き戻される。脳がマネーになってたから、彼女の柔和な表情に癒しを感じた。


「今から私もう出ますので、今日はちょっと来れないと思います」

「…………は? え? もう?」

 早くないですか。デートして映画上映前に帰る感じになってますけど。


「何かあったら連絡してください。すぐ返信できるか怪しいですけど」

 そう言われたら連絡する気にならないですよ!


「じゃあまた。失礼します」

「あ、え、いや…………」

 高速でPCをバッグにしまい、忍者と見紛う音を立てない移動で出口へと向かっていく。


 こうして俺は、恐ろしく早い展開で文道社に取り残された。





「さて……」

 どうするか。箱崎さんが頼れなくなった以上、自分でこの現状を打破しないといけない。


 自分に出来るだろうか。金森さんにも橋上さんにも怒られ続けた自分が、独断で正しく動くなんて。


 キャスターの椅子で滑るように窓に進み、外をまじまじと見る。降り止まない雨と、濁った空。窓に張り付いた雨粒が、力尽きて下に流れていく。


 やるしかない。自信はないけど、やるしかない。



「今日の夜は戻ってくるらしいから、そこで確認してもらわなきゃいけないよな」


 隣に両隣に人がいないのを幸いに、ブツブツ独り言を言いながら1人会議。さっき林さんの島にいったら、いつもの女性が夜の戻りだと教えてくれた。


「今日は会議があるっていうから、戻ってくるのは確実だろう。でも、ずっといるとは限らない……」


 ずっとオフィスに残ってて、そこに俺が尋ねて行ってその場で打ち合わせの時間をもらう、なんてことは考えない方がいい。



 そう、そうだ。綺麗にやる必要はない。ちゃんとしたアウトプット、成果が出ればいい。



 考えろ、考えろ。今は上に誰もいない。それは裏を返せば「1人でもなんとかなる」と判断されたってことだ。

 裏切るな、その信頼に喰らいつけ。この状況だってサバイブしろ。



「ここにコメント欄入れて、で、後ろにもまとめてスペースを……」

 相変わらず独り言をお供に、何度もやり直しながらExcelを叩いた。





「林さん、すみません」

「あ、唐木さん、こんばんはー」


 20時。席に戻った直後の彼女に声をかける。グレーを基調にしたチェックのスカートに上はロングセーターか。そうそう、今年はボルドーカラーが流行なんだよな。

 だからFucusの知識を思い出すなよ。もう若干気持ち悪いよ。


「この前はすみませんでした」

「ああ、いえいえ。でですね、本当は打ち合わせして別添付録の製作手順を整理しようと思ったんですけど、大分お忙しいかと思うので紙に書き込んでもらおうと思って」


 印刷してきたA3の紙を渡す。俺が仮で考えている業務フロー。確認したい点に赤い番号をつけ、右側にそれぞれの番号の確認内容と回答欄を設けた。


「まだ確認したい点はあるんですけど、まずは大きな流れに絞って質問書いてるので、手書きで回答書き込んでもらえますか? 机に置いておいて頂ければ回収しますので」

「あ、すごく助かりますー。ありがとうございます、すぐやらないと忘れちゃいそうなんで、今日の夜回答書いちゃいますね」

 ペコっと頭を下げる林さん。良かった、とりあえず第一段階は突破だ。



「じゃあ、私会議行ってきますね」

「あ、はい、頑張ってきて下さい。紙ここに置いておきますね」


 トテトテと走る彼女を見送りつつ、クリアファイルに資料を挟む。ファイルにもお願いしたい作業の概要を書いた付箋を貼った。



 PCだけずっと触ってるようなスマートな仕事ばっかりじゃない。紙を渡して口で説明して。相手に合わせて、こちらが変える。それが多分、「相手のことを考える」のはじめの一歩。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る