第7話 新学期スタート

 サイドラインすれすれに走る子どもにパスが渡る。高く押し出すようにワンドリブルをして、ステップを踏む。大きく回した腕を振り回してシュートをする。キーパーはシュートのコースを予測して、両手を揃えて左横に、左足をその下に伸ばしてシュートを防ぐ。ボールが当たれば平手打ちした音が響いてボールが前に転がる。キーパーはボールを拾い、サイドを走る仲間にパスをする。

 朝練は、7時から約1時間。平日は、テスト前以外休みなく続く。夕方は、授業後、日没30分前まで練習がある。土日は、朝から晩まである。

「ラストー1本ずつ。終わったらペナルティースロー。早くしないと授業が始まるぞ。」

「はーい。あがりまーす。ラスト1本。」

8時15分になるとSTが、始まる。ハンドボール部の顧問をやっているが、経験はない。バスケットボールみたいな球技だと思ったら、冬場の雪があるときにサッカーの代わりに行われたのが原点らしい。つまりサッカーを手でやるわけだ。

 僕は、中学への転勤願いを出した。担当教科は国語だ。国語科は女性教師が多いので、転勤希望はすんなり通った。中学の勤務のブラックさは”セブン・イレブン”と悪名高い。午前7時に部活が始まって、夜は11時まで勤務が続く。前にも書いたが、残業代は0円、平日の部活手当も0円。教師は聖職なので、その仕事は善意と情熱とボランティアで成り立つのだ。土日の部活はまる1日やっても千円も手当がつかない。

 今の僕は忙しいのがいい。中3の国語と社会科を担当している。4クラス☓3時間☓2教科=24時間が授業で。道徳とHRをクラス担任として担当している。日一日と夏に向かって日照時間が長くなると、さらに勤務時間は伸びていく。運動場の部活指導者は、GW中の練習で肉体労働者なみに日焼けするらしい。


 松岡勇菜の主演映画は邦画では久々にヒットした。僕はクランクアップの打ち上げや上映祝賀会に行かなかった。あの世界とは、たった一枚の謝罪文書で縁を切ることにしたからだ。

 中学は、1年から順次持ち上がって3年まで担任と教科を受け持つパターンが多い。突然、3年の担任を受け持ったのは、持ち上がる予定だった先生が急病になったからで、特別な配慮ではない。前任校で風説のたった教師は、別の地方教育事務所の管轄や別の市に転勤することがある。僕は望んで、通勤に1時間もかかる市に勤めることになった。これは逃げなのか、贖罪なのか分からないが別の環境で暮らしたかったのだと思う。


 子ども達は僕のことを多分、知っている。興味があるだろうが、面と向かって松岡勇菜のことを聞いてくる失礼な子はいない。小学生よりはクールな関係だ。でも、あるときHRで性教育の授業をしたときのことだ。生徒たちは、僕と勇菜のことを十分に知ってることがわかった。

 プレゼンテーション・ソフトを利用し、中絶手術の方法を解説した後、生徒たちに質問や意見を聞いた。

「中絶手術は痛いと聞いたことがあります。どのくらい痛いのですか。?」

「お腹の赤ちゃんは子宮で育ちます。出口を子宮口と言ったね。ここはぴったり閉じている。空いたら流産だ。中絶は人工的な流産だ。そのため、子宮口を広げる海藻のスティックを挿入する。海藻は水分を含んで広がる。広がるまで半日痛みに耐えながら広げるらしい…。」 

「それって女性だけが体験するわけですよね。何となく不公平だと思います。男性も罰を受けるべきです。」

「罰ねえ。難しいな。中絶受けた彼女が彼氏に殴るとか蹴るとかすればいいかもね。何より大切なのは男が妊娠しないように注意することだと思う。」

「先生。具体的にはどうすればいいですか?ぼくはまだ彼女がいないので教えてください。」

「できるだけ我慢すること。だって、子どもを育てるのはとても大変なことなんだよ。でも愛し合いたいよね。だったら、コンドームを着けるとかして妊娠しないようにすること。」

「先生。先生も我慢したんですか?松岡勇菜さんのことを大切に思っていたんですか。」

「うーん。そう来たか。ここで聞かれるとは思わなかったな?でも、みんなに隠しても仕方がないし、先生のしたことや考えたことがみんなの参考になればいいと思っている。だから、正直に言うよ。」

「彼女はとても不幸な子どもだった。それは、雑誌で知っていると思います。」

「6年生の最後に母親は彼女を置いてどこかに行ってしまったそうですね。」

「親がいなくなったのは2月の終わり。卒業まであと少しだったのに施設に入所して転校しなくてはならなかった。」

「かわいそう。ひどい親だよね。自分の子どもを捨てて男と逃げるなんて!」

「そうひどい親だよね。こういう人になってはいけないという見本だ。そこで、彼女を卒業式に出すために先生はあることをしたんだ。何だと思う?」

「うーん。校長先生に卒業式だけ出られるように頼んだとか。」

「それは無理。転校したらそっちの卒業式に参加だ。これは、先生とみんなとの秘密だ。バレたらまた雑誌級のスキャンダルだ。秘密は守れる?いい。」

「守れる?えーあの松岡勇菜の秘密が聞けるの。チョ~ヤバイじゃん。」


 僕は一息ついて慎重に言葉を選びながら当時の状況を説明した。「中学校からは母方の祖母が引き取ることになっていました。しかし、おばあちゃんの体調が良くなくて入院しました。」生徒たちは静かに僕の話を聞いてくれている。

 続けて「不運は続くのかもしれません。不幸はどこまでも不幸につながるかもしれません。僕自身の子供の頃もどこまでも辛くて不幸でした。彼女が施設に入らず、そのままおばあちゃんとの生活にスムーズにつなげられるようにしてあげたかったのです。だから、僕はしばらくめんどうを見ることにしました。」と伝えた。生徒たちは静かなままだった。

「彼女と僕の奇妙な共同生活は、バレることなく無事に終わりました。彼女は僕をいつでも信頼してくれました。それは、彼女が有名になっても変わりません。」


 続いて女性に対する僕の考えを説明しました。

「先生は、女の人は3つの顔があると思っています。それは、”女の子”と”女”と”母親”です。女の子は何歳までという定義はありません。20歳を超えても自分が女の子だと思えばいい。バリバリ仕事をして、結婚して楽しく暮らすのが女の段階です。このとき、生まれてくる子のために貯金をすればいい。母親は子どもができたら愛情を込めて育てる段階です。ここで重要なのは、馬鹿な男とセックスをして子どもができちゃったら、いきなり”女の子”から”母親”になっちゃいます。君はいきなりなりたいですか?」僕は、右奥の女の子に聞いてみた。

「いやです。できれば、25歳ぐらいまで女の子でいたいです。」

「だよね。僕も女の子だったらそう思う。先生も30歳ですが、あと5年ぐらいは君と同じ”男の子”でいたいと思っています。」と前の男の子に同意を求めた。

「先生、それは無理!勇菜ちゃんとすぐに結婚した方がいい。」

「だから無理だって。彼女は女優として売り出したばかり。今がいちばん大切な時期なの。こんなチンケな男と遊んでいる場合じゃないの。」

「でもさ~。先生。例えば、こうしている間に共演の小野寺と勇菜がデートしてて、キスしたらどうする?セックスも時間の問題かも?」

「山下君。先生おどしてる。」山下君は舌を出した。


「難しい。先生は嫉妬で狂ってしまうかもしれない。自分以外の人との関係を許せるかどうかという大問題だ。」

「ちょっとみんなに聞いていい?これはやっぱり男女で違いがあるので最初に男子から聞くよ。女子は目をつぶって。」

「つぶった?男子は、付き合い始めた彼女が過去にセックスしていたことがわかったとする。許せる人…。許せない人…。じゃ今度は女子に聞くよ。付き合い始めた彼氏が過去に別の女とセックスしていたとしたら許せる?許せない?」続けてみんなに聞いてみた。

「男女で違いがあるんだ。許せないと思う方が多いのはどっち?」窓際の女子に聞いてみた。

「男子のほうが嫉妬深いかも?」

「こんな話がある。例えば、本物の血統書付きの犬を繁殖させる場合。一度でも、他の種類の犬と交配したメス犬は殺してしまうらしい。競馬馬も血統が大切で、血統のいい馬は何億円もします。オスは、何頭ものメスと交尾させられます。メスは1頭だけです。2頭目はありません。

 こんな都市伝説もあるんです。テレゴニー、日本語で残存遺伝と言いますが、夫を亡くした妻が数年後に再婚し妊娠して、生まれた子が前の夫に似ているとか別れた元彼に似てる子が生まれたとか…。競走馬、犬、猫もメスが交尾をして子が生まれると子宮の中に遺伝子の一部が残っていると考えられているからです。」

「先生、話が難しくてついていけません。」男子が眠そうに手をあげて言った。

「わかりました。つまり結婚した相手が処女ならいいけど、他の男とやっていたら前の男の遺伝子が混じって子どもが生まれる可能性があるというわけです。」

「逆に男は何人もの女と関係していいんのですか?」

「テレゴニーは、理論的に証明されていません。速い馬を作りたい人や高く売れる犬を作りたい人、優秀な子どもを作りたい人の考えたことです。例えば、徳川家康が62歳のとき、11人目の男の子が生まれています。江戸幕府の将軍15代のうち、2人の母親は農民の娘です。つまり、男の血筋がよければ、女性の血筋は問わないわけです。動物はメスの血統も大事ですが…。」

「男の願望って感じですね。62歳で若い奥さんか。」

「そうだよね。こういう考えは男の勝手だと思います。どちらも初恋ならよいのですが、多くの場合どちらかに経験があるよね。男女関係なく、愛してるなら過去は問わないこと。女性は子どもを生むための道具ではないこと。一所懸命好きになるけど、迷惑にならないようにする。しつこいのはストーカーになってしまいます。僕は男性が理性を持って女性と接するのが大事だと思っています。それでは、授業を終わります。」

 礼をしてから教室を出た。次は別のクラスで国語の授業だ。


 血筋とか血統の話をすると僕の心はどうしようもない感情に襲われる。それに気付いたのは教員になってからだ。記憶というものはみんな同じような仕組みだろうか。僕は、アルバムのページをめくるように場面を覚えている。

 崖が迫る窪地のボロボロの家、母を殴る父の顔、酔いつぶれて吐いている父、トラックに荷物を載せて別の町に移り住んだときの母の不安そうな顔、屋根だけで天井のない家、雨が降ると洗面器とバケツが並んだ部屋、引っ越しばかり続けていた変な家族。

 学校では12月になると人権週間というものがあって”差別をなくそう”と生徒や児童に呼びかける。同和とか部落というものがあったことは「橋のない川」という本で知っていた。6年生の社会科の授業で、明治維新の学習で穢多・非人とか新平民・解放令という言葉も教えた。僕には関係のないことだと思っていた。

 ある時、ネットで部落地名総監というものを見つけた。各県の部落の所在地と人数、職業、生活レベルが書かれていた。すべての県にあるわけではない。歴史的には6世紀ごろ、仏教伝来とともにつくられた存在だという。殺生が禁じられた中で死肉を扱う卑しい人々だということだ。だから穢多(けがれが多い)という。当然、北海道は明治以降に町がつくられたので無しだ。関西に多いのは天皇に関係するらしい。3歳ぐらいだったろうか?崖のあるボロボロの家の地名が記憶に残っていた。その地名が奈良県にあった。大阪に母の実家の地名があった。部落の人間は部落の人間と結婚するしかなかったと本で知っていた。結婚前に部落民であることが分かって相手の親の反対から自殺したとか、就職で差別を受けることも知っていた。僕には遠い世界の話だったのだが突然眼前のこととなった。関西の町で妹と暮らす母に電話をして確かめた。

 母は泣きながら僕に説明した。「だからあなたには差別のない東の方で働いてほしかった。私たち夫婦は日雇いと水商売でお金に苦労したから公務員になってほしかったの。もう差別はなくなったと思うけど、結婚のときは注意してね。」

 もう過ぎた差別かもしれない、今は差別より格差だ。部落民の貧困は過去のことで、今は子どもの貧困が問題だ。僕の両親は差別から逃げ回ったのだろう。だから、引っ越しを続けたのだろう。逃げても幸せは来なかったのだ。


 その事実がはっきりしてから、僕は結婚に悲観している。多分、親のように逃げ回っても知られるだろう。こんなことで結婚できないのは悔しいが、いじめが永遠になくならないように部落の差別もなくならないだろう。

 佑菜の家のことで僕は教師として間違ったことをたくさんした。黙って見ないふりができなかったのは、いつも同じ服を来て、風呂に入らず、お腹をすかせていた子供の頃の記憶があったからかもしれない。貧しさに同情してしまったのか?それとも彼女の心に共振してしまったのか?それはきっと愛とは違う。

 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る