第3話 クランクイン

 映画の撮影が始まったと月野さんから連絡を受けた。7月は東京での撮影、8月は関東地方の学校を借りて小・中学生の頃の撮影をするという。最後にこちらに来て撮影してクランクアップ。と言っても僕には全然関係ないが…。

 僕は、このところの激務で寝不足が続いている。7月上旬は1学期の成績をまとめる時期だ。来週から始まる個人懇談会で保護者に報告しなければならないからだ。公立学校の教員には残業代がつかない。家に帰ってからテストの採点をしてた大昔の名残りだと先輩教師が言っていた。つまり、教師の残業は”家庭でもやれる”ほど、あいまいだから僅かな手当で手打ちというわけだ。個人情報保護の現在、テストもプリントもUSBも持ち帰れない。(もし紛失・盗難の場合は重く処罰される)できれば日付が変わるまでには帰りたい…。こんな状況なのに月野さんは小説の上がりぐあいを確認したいという。

 「おーい松野先生。電話、3番。平岡さんという方だよ。何か昔の教え子だと言っているよ。マンション投資の勧誘じゃない?」大きな手振りで教務主任が職員室の奥から話しかけてきた。「可愛い声の子だね。娘がよく見ているテレビ番組で聞いたことのある声だったな。」教務主任は、受話器を置いて指を3本あげて笑っていた。

 「遠山先生、それは気のせいですよ。はい3番ですね。ありがとうございます。」背中が瞬間冷っとする。たぶん、佑菜からだろう。「はい、松野です。どうかしましたか?」感情の変化を探られないように事務的に対応する。一方的に

「先生。はっきりいって遅いです。待ちくたびれてます。今、アパートの玄関です。早く来てね!」話して、一方的に通話を切った。(えー。これはマズイ。誰かに見られたら大変だぞ。どうする仕事!)


 アパートの駐車場に車を止めて2階への階段を駆け上がった。佑菜がしゃがんでいた。つばの長いスポーツキャップ、サングラスで変装しているつもりらしいが、このアパートには不自然だ。僕を見るとスッと立ち上がる。

「何でこんなに遅いの、先生!」蛍光灯の下なので、顔の部分は暗く見えない。

「もうすぐ夏休みだろ。成績で忙しいの!誰かに見られなかったか?」

芸能人は一般人が思うほど人目を気にしないのか「奥の部屋の人が後ろを通ったけど気づかなかったみたい。」と佑菜は平気で答えた。僕は急いで鍵を開けて、彼女の手を取ってドアを閉じた。灯りを付けて、台所に置いてあるテーブルに荷物を置いた。蒸し暑さに気がついてエアコンのスイッチを入れた。何をあわてているのかわからないが、バタバタ感で自分が座っていて相手が立ったままなのに気付かず「今がいちばん大事な時期だろう?なぜここに来た?こんなところに来ちゃダメだ。」と偉そうに言い放った。佑菜は、質問を無視して部屋を眺めている。「昔と全然変わらないね。ここに住んで何年になるんですか?」立ち上がって椅子をすすめた。「10年かな。教師になってからずっと住んでいるから。」

僕は話題を変えようと冷蔵庫のドアを開けて中を覗きながら尋ねた。

「もうすぐクランクインらしいね。東京で撮影を始めると聞いてるよ。」

「その通りです。明後日から…。今日、来たのはクランクイン前に確かめたいことがあるから…」

「どんなこと?また、この前の”小説が目印”がどうのこうのという話だったらお断りだよ。」冷蔵庫の中からウォーターボトルを取り出して、コップに麦茶を注いで差し出す。佑菜は右手にコップを受け取りテーブルに置いた。

「ぜんぜん違います。先生なら分かってもらえると思うけど、役作りに苦しんでるんです。歌やダンスは必死に練習してなんとかやってきました。トーク番組は、発言の場面が決まっているのでニコニコ笑っていればよかったんです。演技が出来なくて監督や共演のみなさんに迷惑をかけそうで心配なんです。このままじゃ、上映のあと、学芸会並みとか、大根役者とかSNSに書き込まれそうで…。」グラスの水滴を指で拭いながら佑菜はため息を付いた。

「君のため息を聞くのは初めてだな。まだ、子どもだった頃、どんなに辛いときでも嫌なことでもこらえてたじゃないか?」僕までため息が移りそうで、立ち上がって冷蔵庫を覗いた。

「自信がない…んです。あの頃は、いつも先生が励ましてくれたから…。先生助けてください。」

「昔、国語の授業で生まれてくる子は”目印”を持っているって話し合いしたの覚えてる。」深鍋に水を入れてコンロに置いて点火する。燃焼音が部屋に響く。

「覚えてる。脚本にも似たようなことが書いてあるし…。」

「君の目印は、”女優”だったよね。映画やテレビを観てくれる人に夢を与えたいと。」計量ばかりにボウルをのせて風袋ボタンを押す。ペンネを2人分計量する。

「そうです。今でも覚えてくれていたんですね。もうあのまま転校して、先生に会えなくなってしまいそうで、だから先生に忘れないでいてほしかったんです。」

「忘れないよ。大抵のことは覚えている。」鷹の爪を輪切りにして小皿に入れる。「ところで忘れないでほしかったこととは、何のこと?」オリーブオイルの瓶を戸棚から取り出して、残りを確かめた。

「わたしの”目印”です。わたしの”目印”はきっと目立つから、先生に絶対見つけてほしいと…。女優になったら必ず先生に出会えると思ったんです。」(確かに見つけたよ。意外と簡単だった)

「有名人になったら普通の男は引いちゃうよ。逆に会えなくなるんじゃないか?」僕は”目印”を見つけて、まっしぐらに探すほど自信家ではない。

「そうですか?私は有名になっても変わりません。先生への思いも…。」冷蔵庫を開けなから、佑菜の表情をのぞく。(見つめるなよ!ドキッとする)

「それはそうと、役作りというものをどうやるのか知らないけど、自分とはぜんぜん違う人格を作り出すか、自分の中にある性格の一部分を拡大させるしかないだろうね。」にんにくも輪切りにして包丁の背でつぶす。

「具体的には…。どうすればいいですか。」佑菜は少し落ち着いたのか麦茶を口に含んだ。

「君の見立てによれば、僕の書いた小説の女の子は佑菜なんだろう。昔の君はいるのかいないのか分からないほど目立たない子だったよ。転校してきたばかりでね。だけどいつ頃からかな、手を上あげて発表するようになったんだよな。どうしてかな?」深鍋にペンネを投入し、オリーブオイルと塩を加えキッチンタイマーをセットする。


「先生は気付いてなかったのかな?先生は八方美人なところがあって、みんなに優しかったでしょ。例えば、岸本さんのオルゴール事件覚えてますか?」

「岸本さん家のオルゴールを盗んだのが三浦さんだという話だろ。いやな事件だったね。」フライパンを弱火で加熱する。

「あの後、クラスが変な感じになったでしょ。先生が岸本さんの味方をしなかったから恨まれて無視されたの分かってた?」

「分かってた。岸本さんの親にもはっきり言ったんだよ。学校で起こった事件なら学校の責任で解決しますが、家庭で起こったことに教師が指導することはできません。てね。親は激怒してた。たぶん、三浦さんがとったのだろうと…。毎年同じような苦情があるんだ。学校が終わって公園で遊んでたら友だちにゲーム機とられたとか…。」フライパンにオリーブオイルを入れ、にんにくを炒める。

「先生!岸本さんってすごい嫌な性格の子だったんです。みんなで先生のこと無視しようって、男子まで巻き込んで授業も妨害したり、仲間に入らない子をいじめたりしてたんです。」鷹の爪を入れてオイルを仕上げる。ペンネをザルに開け、トマトピューレをフライパンに入れる。

「しばらくみんな発表してくれなくて苦労したよ。だけど、佑菜だけ僕の話に頷いてくれてたよな。頷いてくれてたから理解してくれたのかなと思ったらテストの点が悪くてがっかりしたけど…。」トマトピューレが泡立ったところでペンネを入れて完成だ。

「勉強できなくてゴメンなさい。確か”聞き上手は話し上手”ということを先生がよく言っていたから、がんばって頷いていたんです。それに、”わたしは先生の味方だって”最初に会ったときから決めてたから…。だから、一生懸命手をあげて発表したんです。特に岸本さんが目配せして発表しないようにしてたから、私も意地になって手を上げてたんです。」もう画像が浮かび上がるほど鮮明な記憶ではないが、頷いていた表情は今も変わらない。

「君がみんなにいじめられているんじゃないかと心配でね。それに少しでもテストの点が良くなるようにと思って、授業が終わってからよく補習や面接をしたんだ。」僕は”いじめ”に敏感すぎたかもしれない。だから全力で佑菜を守ろうとしただけなのだろう。説明しにくいが愛情とは違うんだが…。

「そうそう。ときどき先生と2人だけになって恥ずかしかったけど、うれしかった。それで余計に無視されたけど…。」佑菜は嬉しそうに微笑んだ。やっぱり彼女は少し僕を勘違いしている。伝えにくいのだが…。

「苦労をかけたね。でもね、教師が力で押さえてクラスづくりをすると裏でいじめがおこるし、逆に教師が嫌われたほうが子どもたちはまとまると言われてるしね。担任が嫌われたほうがメリットが多いかもね。」僕はコンロの火を消して食器棚からプレートを2枚取り出した。

「こうして考えてみると役作りのやり方としては、君の性格の中にある部分を取り出して見つめることが大切だと思うんだ。おとなしくて従順な君と、一途になると積極的で信念を持ち続ける君を使い分ければ対比がはっきりしてくると思うよ。」2つの皿に盛り分けてバジルの葉を散らす。

「佑菜。テーブルに来て!まだ食事をしていないんだろう?こちらに来ていることは事務所は知っているのかな?」佑菜は立ち上がって、首を横に振った。

「先生。美味しそう。昔もよく作ってくれたよね。これなんていう料理なの?」

「ペンネ・アラビアータ。ちょっと辛いよ。パンもあるから食べてね。」


佑菜は後片付けをするからと言って皿を洗い始めた。

「今日これからどうするの?どこかホテルに泊まるのか?」

「ううん。決めてない。先生ん家、泊まっていい?それとも誰かいい人いるんですか?」

「それはダメだ。2人だけで同じ部屋にいるだけでスキャンダルだ。この部屋にいることだって譲歩してるんだぞ。ネットですぐホテルを探して予約するから待ってて。」パソコンを起動させる。

「先生。この時間に外に出るほうが危険じゃないですか?それに先生に手伝ってもらってセリフの暗記をしたいんです。」

「セリフの暗記は手伝う。それからビデオカメラも回してみよう。カメラを相手に会話することもあるから練習してみよう。泊まりは絶対ダメ!君はこれからトップ女優になる人だから。」

「いいじゃないですか。いい人がいるなら遠慮しますけど。」

「いい人はいないね。ドラマじゃないけど、カノジョいない歴10年以上!」 

佑菜は皿を立てかけるとエプロンを外して部屋を見渡した。エプロンをどこに掛けるか迷っているようだった。

「このエプロンって、家庭科の授業で作ったものですか?」両手でエプロンを開いて

「そうだよ。君も5年生のときに作っただろ。」

「前の小学校のことでしょ?先生に会う前はほとんど学校に行かなかったから、作ってない。」佑菜は寝室のドアに手をかけた。

「ちょっと待って。その部屋に入っちゃダメ!」僕はあわててドアを抑えようとした。

「ははーん。先生は、寝室に何か隠しているな?あやしいな!」

スイッチを入れて灯りをつけると手を叩いて笑った。

「先生!私のポスター飾ってる。それも握手会限定のポスター。これ3年前のだ。もう一枚は中学生の時に撮影した薬物乱用防止のポスターじゃない。」

「こら!入るなと言っただろう。」手を掴んで部屋から出そうとすると、佑菜は手を払って笑いながら目尻を押さえた。

「笑えて涙がでる。先生、握手会に来てくれたんですか?知らなかった。言ってくれればタダで握手したのに…」

「教え子を活躍を応援しただけ。違う子と握手して、君のポスター持ってた人と交換した。」防戦一方で分が悪い。これで、本棚から写真集を見つけられたらまた弄られてしまう。この部屋から出てもらおう。

「さあ、練習するぞ。部屋から出よう!」

「先生。いじるのやめるから正直に言って!私のファンだって。」やっぱり勘違いだと思うのだが…。

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