第4話 ロケ

 佑菜はビジネスホテルの据え置きの机に台本を置いて読んでいた。

 かたわらの資料をめくってみた。松野先生は、小説を書く前に登場人物の性格・生い立ち・経歴を表にするのだという。最後のページには、あらすじがまとめられていた。

 

 松岡勇菜の扮する主人公は”吉見なぎさ”という。両親が不仲でなぎさが10歳のときに離婚、シングルマザーの母親は金策に疲れ果てて、覚醒剤の密売に手を出して実刑判決を受けた。

 なぎさには幼い頃から歌手になりたいという夢があった。彼女の夢を応援し、支え続けたのが幼なじみの小野寺亮。夜の公園やJRの地下道でダンスの練習を一緒に続けてきた。

 母方の祖母に預けられたなぎさは、東京で始まった新しい少女ユニットの東海地方版のオーディションを受けた。1,000倍の倍率の難関を乗り越えてデビューを果たしたなぎさは、大きな瞳と通った鼻筋の顔立ち、170cm近いスタイルでファンを魅了しただけでなく、ダンスが上手いことでたちまちユニットの顔となった。

 少女ユニットのコンセプトが時代にマッチしたのだろう。ネットでなぎさの容姿や踊りが評判になると、プロデューサーの判断で地方限定ユニットから東京ユニットの中央に立ち、バラエティ番組の顔となった。

 小野寺亮は、男優の杉谷幸哉だ。キャラは、彼女を支える続ける影のような存在。小3よりダンス教室に通っていて、習っていることをなぎさに教えた。ギターの割りとうまい少年で、まだマイナーだった頃のなぎさと歌のレッスンを仲良くしているうちに作詞・作曲の才能に気づき、ユニットを卒業したなぎさにソロアルバムに楽曲を提供する。映画の興行収入は伸びなかった。勇菜の生い立ちと小野寺との関係が週刊誌に報道されたからだ。最終的になぎさは女優になる夢を諦めて杉谷のギターとなぎさの歌で”恋するオトメの応援歌”コンセプトで売り出し、スキャンダルを乗り越えてコンサートを成功させる。

 

 松野先生の書いた小説のあらすじはざっとこんな感じだ。スターが一般人と恋愛をする物語はそれほど多くない。映画なら「ノッティングヒルの恋人」が有名らしい。私も進められて観たが、商店街の本屋に立ち寄ったスターとの出会いと立場の違いと相手を思う気持ちとの葛藤が素晴らしい作品だと思う。

 もうすぐ二十歳になるとき、マネージャーが”この主人公のなぎさって人、勇菜みたいなんだよね。”と本を貸してくれた。イッキ読みしたときから、私のことを書いてくれたと思っている。

 先生の小説の柱は、出会い以降の2人の努力だと思う。運といえるかもしれない。でも、”運”をつかむまでは普通の中学生のような生活は送れなかった。土・日は、ステージやイベントで歌や踊りの披露。平日は地方テレビ局のレギュラーでスタジオ入りか、歌と踊りのレッスン。長期の休みには、東京や大阪にも出かけた。そして、本当にときどき学校に顔を出した。30日を超えて休みが連続すると不登校児になってしまうから、学校に迷惑をかけない程度に出かけただけだ。

 勉強は、ほとんど教科書と参考書を読んで済ませた。わからないところはマネージャーに教えてもらった。友だちといえば、同じユニットの仲間だけど何でも打ち明けるほど親しくはない。年齢とともに個別の仕事が多くなるし、生き残りをかけて自分を売り込まなてくてはならなくなってきた。まだ、子どもなのに営業サラリーマンみたいな感覚で生きてきた。(すごく腹を立てているのにニコリと笑ったり、ペコペコ頭を下げることとか…)猛烈な睡眠不足で貧血を起こしそうなぐらい働いているのに給料はバイト代程度だった。

 先生は、そのあたりの心の葛藤をさらりと書いている。まるで、ずっと見守ってくれていた感覚がした。

 もし、小説の主人公が私だったら、杉谷君は先生だ。ギターと曲作りの代わりに小説という才能なぎさを助けてくれる。私の夢が”女優”になることを先生は覚えていてくれた。先生は原作を提供することで私を助けてくれていると考えたら、きっと先生は”気のせいだよ、偶然だ”と否定するだろう。この考えは、自分がそう思っていれば満足することなので、別に確かめなくてもいいことなんだけど、あの頃からの私の夢を先生が支えてくれていると思うだけで運命が感じられる。

 

 映画の撮影で知り合った人たちは家族のようなものだ。共演してくれたみんなは役作りの秘訣や演技のコツを惜しげもなく教えてくれたし、初めての私が緊張しないように話しかけてくれた。監督は容赦ない罵倒で私は半ベソをかいたが、次の日の撮影のセリフの言い回しを教えてくれた。それでもふとした瞬間にあの日のことを思い出してしまう。

 先生のことは、長い間封印していたというか、いつの間にかなつかしい思い出になっていた。それが、配給会社の会議室の向かいの席に先生を見つけ、原作者が先生だと分かったとき、胸の中に何かが詰まって息苦しいような感じがした。

あれ以来、先生を思わない日は一日もなかった。

 明日から地元でロケが始まる。ロケの現場から先生のアパートまで30分はかからない。


 最後のロケは、テレビ塔のある大通りで行われた。主なカットは、SYB48の姉妹ユニットNGY48の私がいた頃の曲を美術館前の空中庭園で踊っているシーンと繁華街の中にある公園のベンチで杉谷のギターで私が歌っているシーンだ。私が中学生の頃、夢中で踊って歌った半地下の庭園では、特設ステージでNGY48の別の曲を踊った。わずか数年前のことなのに懐かしさで背景が滲んだ。

 

「松岡さん、これでこの映画の撮影も終わりだね。東京に戻ったら関係者全員で打ち上げがあるんだけど、今晩とりあえず2人だけで前祝いをしないか?」杉谷が薄笑いを浮かべながら話しかけてきた。役者として一緒に演技をしているときの彼はとても素敵だが、演技が終わればくだらない普通の男だ。

「ごめんなさい。おばあちゃんが入院しているので、これから見舞いに行きます。15歳の時から会っていないので久しぶりなんです。」

「そうか、残念だな。東京に戻ったら連絡するから番号教えてよ。」

「事務所から禁止されているんです。打ち上げ会には参加しますから、よろしくお願いします。」私は、ペコリと頭を下げるとそのまま立ち去った。

 彼が別の女の子に声をかけているを確かめて、折りたたみ椅子に置いてあるバッグからスマホを取り出して、インカムのスイッチを切る。

「先生、今から先生のところに行っていいですか。」

「…来るなと言っても来るんだろ。何時頃になるんだ。」

「多分、7時頃になると思う。食事を頼んでいいですか?」

「いいよ。ワインも用意しておく。今日で撮影は終わりだよな?」

「はい。5時には終わると思います。それじゃ後で…。」

 映画の撮影は、何度も同じ場面をカメラの位置を変えて行う。カメラが移動する間、その場で待ち続ける。その間、共演者と世間話をするしかない。いい加減うんざりしてしまう。スマホの通話を遮断して、バッグにしまい、ミネラルウォーターを口に含んだ。(後少しだ…)


 マネージャーに病院まで送ってもらい、祖母の見舞いをしたら、松野先生に会いに行く。 

「ユーちゃんの気持ちは分かるけど、大胆なことは辞めた方がいいよ。」

「大胆なこと?」マネージャーは何か知っているんだろうか?

「杉野先生の編集担当、知り合いなの。月野って子で、口は硬い子だから大丈夫。ユーちゃんが松野先生の昔の教え子だということ教えてくれた。先生も困って月野に相談したみたい。」

「どんな相談をしたんですか?」

「松野先生は、ユーちゃんが大好きで活躍してくれてることがとても嬉しいって。先生はあなたが誇りだって言ってたそうよ。だけど、スターだから昔のように会いに来るのは困るし、雑誌に書かれたらおしまいだって。先生が小説を書いていることは学校には秘密らしいし…」

「やっぱり迷惑なのかな?」

「ううん全然。月見によれば怒ってるふりして、デレデレ鼻の下長くしてまんざらでもなさそうな感じだって。」

「本当?」ワタシ的には、ちょっと喜びが顔に出ちゃうじゃないか。 

「マネージャーの私としては、二人とも我慢してほしいの。松野先生はあなたのために二作目を書き始めているそうよ。その作品の完成を待ってみようよ。先生のことだからユーちゃんを主役にする物語を書いているはず。再び主役になれば世間も二人を祝福してくれるはずよ。それにユーちゃんももうすぐ歩合制になるから自由にお金が使えるようになるから。だから、我慢しようよ!」

  

 JRの駅は、わたしの住んでいた頃と様変わりしてしまった。”この新しい駅舎のために市の予算を数千万円使った。その金があったら、54ある公立小中学校の校舎が新品になる”と松野先生らしいことを言っていた。

 線路は町を分断する。南北を行き来するには踏切か、陸橋を越えるしかない。だから、線路を数km高架にして、駅舎は2階、1階はショッピングセンターになった。駅を囲むように高層マンションが立ち並ぶ。そして、人と車の流れは自由になった。アパートは区画整理が途切れた古い地区にある。

 階段を上がって2階の奥から2つ目のドアの前に立つ。少し息を詰めてインターホンを押す。ドアが開くとともにご飯の焦げた臭がした。


パエリアのムール貝をフォークで貝殻から取り出して口に含んだ。

「おいしい。」口の中で貝の身がはじける。

「先生の料理の腕前、また上がりましたね。」ワインを口に含んでみる。私は酒が苦手だ。でも、先に酔って困らせてみたらどうなるだろうか?

「普段はスーパーの惣菜だけ。味噌汁はきちんと作る。」

「毎日、楽屋や控室でもらう弁当ばかり。ロケも弁当。だから、これだけで幸せな気分になれるな。」

「佑菜も自分で作ってみたらどうだ。」

「時間がありませ〜ん。自分の時間は今はないです。」ボトルのワインをグラスに注ぐ。

「時間がない?だったら、ここに来てはダメだろ。」

ワインを一気に飲み干してから、先生を見据えて(もう目は据わっている)質問してみた。

「先生に聞いてみたかったことがあるんです。私のことどう思っていますか。私は先生のことが大好きです。」

先生はパエリアを口に入れて、静かに噛みしめていたが、やがて話し始めた。

「教師になったとき、よく言われたのは”私的な感情を子どもに持たないようにすること”かな。愛情をもって教育することは大切だけど、愛情が過ぎると”体罰”などの問題が起きるから…。”かぼちゃか、大根だと思え”とも言われた。子どもを商品だと思えば一線を超えた関係になることもない。たとえ純粋な恋愛関係になっても世間は認めない。立場が弱い者を教師が力で支配していると思われると教えられた。まあ、役得で若い子をたぶらかせると思っているのかな。」

「先生は、手も握らないし、ハグもしてくれない。純愛じゃん!」

「僕は君の担任で…」また、先生は同じことを言おうとしている。

「ハイ、そこまで。それ以上、それ以下でもないでしょ。」

「その通り。好きになると会いたくなるだろ。会えなかったら胸が苦しいし、切なくなる。やがて会えないのを相手のせいにするようになる。だから、僕は君のことを思い出に閉じ込めておく。」

「思い出?先生はそれで満足なんですか?」

「満足?仕方ないじゃないか。君は特別な人で。僕は君の過去に関わった親についで重要な存在だ。僕の書いた小説のように友だちならまだ許されるかもしれないけど。思い出は自由だ。フッとしたとき君を思い出して、懐かしさに浸る。誰にも邪魔されないし、責められない。」

「私はこの映画が完成したら、それだけで満足です。私の夢で、先生との約束を果たせたと思うから…。私の目印を見つけて、素敵な作品を書いてくれた。私は、これだけでいいんです。先生とのスキャンダルで芸能界から追放されても、それはそれで後悔しません。」

それっきり先生は何も言わなくなった。何かをこらえているような表情をして私をずっと見つめていた。私を説得する言葉が見つからなかったのかもしれない。


 日中は暑さが残っていたけれど、駅までの歩道は秋の気配を空気に感じた。JRの高架に沿ってのびる歩道は、植え込みに灯りがあるだけで、靴音だけがコツコツと響いた。

「新しい小説を書いているんだ。」先生は痩せっぽちだけど肩幅が広くてがっちりしている。

「どんな作品なんですか?」

「事故や災害で愛する人や家族をなくした人、自分の出生が差別対象であることを知り家族を捨ててしまった人、家族に見捨てられた人が出会って新しい家族を作っていく話。僕は血の繋がった者だけが家族をつくれるという常識を疑っているんだ。」

「私たち二人もそうだもんね…」私は先生の背中を抱きしめたいと思った。先生と家族を作りたいと思った。ぐっと我慢してシャツの袖をぐっと握りしめた。

「小説ができるまで頑張れるか?」

「頑張る。先生の作品にまた出てみたい。」

先生は、手を握ってくれた。私の手より少し冷たいと思った。













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