第2話 セリフ合わせ

 1学期の大きな学校行事はほぼ終わり、6月は学習の進み具合を考える時期だ。教育課程という各学年の授業の進度表があって、消化しなくてはならない(強制力はないけど…)。子どもが理解しているかを把握することはとても大切だが、教科書を予定通り進めないと保護者の突き上げが怖い。まだ、1学期なので大丈夫だと思うが…。(過去に3学期の終わりまでに授業が予定通りに進められず、春休みに自殺した先生もいたらしい。すぐ隣の県の話だが…。)

 この時期、テストの採点と成績処理ソフトへの入力で、残業しても追いつかない状態だ。正直、執筆が遅れている2冊目の小説の構成のことや映画の脚本の打ち合わせで東京に呼ばれるのは勘弁してほしいと思っている。脚本が完成したのでメインキャスト全員を集めて読み合わせをするという。演出家がセリフや演技の指導をするという。

 「原作者なんかいてもいなくてもいいんじゃないの?」と月野さんに文句を言ったら、「今後の執筆活動で映画などとのタイアップで原稿を書いてもらうこともありますから。後学のためです。先生、勉強するの好きでしょ?」と返事が来た。確かにメインキャスト全員が集まり、セリフ合わせをするのは見ものなど思う。普段、スクリーンやディスプレイでしか見ることが人物を見られるのは壮観な眺めだろう。その中に僕が1年前に見つけた彼女がいるはずだ。


「なぜサングラスと帽子なんですか?今日の打ち合わせは非公開なので撮影されることはありません。室内では取ってください。本当は松野先生のようなイケメンは顔出しで売りに出したいところなんです。そろそろメディアに露出しませんか。一応、打ち合わせ風景のスチールだけ撮りますので…。」車の後部座席で月野さんは隣に座る僕の顔をじっと見つめながら言った。「寝不足で目に隈が出来たので…。それに寝てても周りの人に気づかれないと思って…。」確かに寝不足であるし、会議とか講演会というものが苦手だが、サングラスをかける本当の理由ではない。

 月野さんとタクシーで着いた先は映画制作会社の本社ビルだった。大きな会議室に案内されて入ると、中央のプロジェクターを囲むように長机がずらりと並んでいるのに圧倒される。名札が机の上に置いてあった。驚いたことに原作者の僕はスクリーンの向かい側、つまり宴会なら上座の位置にあった。たぶん、原作者は自分が思うより偉い人なのだと思った。この席では、向かい側からしっかりと顔を見られてしまう。

「月野さんはどこに座るの?」彼女の名札を探してみた。

「私はあなたの後ろ。私がいないと困るでしょ?」訳ありの表情でニヤリと笑う。僕は後ろを振り向いて月野さん「別に…。会議は苦手なんだ。100%絶対寝てしまうんだ。席を交代してくれない。」と手を合わせてお願いをした。

「大丈夫。前半は自己紹介の連続でつまらないと思うけど、後半の脚本の読み合わせは面白いですよ。」月野さんは真後ろの席から首を伸ばしてささやいた。

 僕は、始めからずっとうつむいていた。机の上に開いた資料と脚本を眺めていた。顔を上げたら目を合わせそうで怖かったからだ。誰と目を合わせるのが怖いかって?松岡勇菜とだ。いつか彼女と会うだろうと思っていたが、心の準備が出来ていないほど早かった。


「私はだれよりもずっと幸せになっているから。それを目印にして私を探してほしいの。」

「もう会うことは出来ないのかな?約束しようよ。場所はいつものところで。18歳の君の誕生日の日に…。だめかな?」

勇菜と男優とのセリフのやりとりが部屋に響く。

「約束できない。将来のことは…。でも、会いたくなったら必ず見つけて、私の目印。」佑菜は悲しそうに言うと、脚本から目を離してじっとこちらを見つめた。目から涙が溢れ、頬を伝ってこぼれるのが見えた。さすが女優志望だ。本番でもないのに感情移入ができている。


 僕はセリフの書き換えを考えていた。正直に言うと、この部分は動画サイトで見つけたドラマからパクったものだからだ。脚本家はパクリだと気づいていると思ったのだが、見逃していることがはっきりした。

 僕が教師に成り立てのころ、国語の授業で「青い鳥」とか「星の王子さま」や宮沢賢治のいくつかの童話を取り上げたことがある。特に「青い鳥」には不思議な設定が多くて話し合い活動には最適だった。人は生まれる前に誕生してからの(おみやげ)を準備していて、何かひとつ(運命)を持って生まれてくるという未来の国の話のときは、”準備は生まれ持った才能と言い換えてもいいよ。英語ではギフトっていうんだ。君たちにはどんな才能がある?”という質問に置き換えて、自分のことを見つめさせ、自分探しをする。「時のおじいさん」が生まれる前の恋人たちに「何かもっとよい目印を考えなさい」 という部分では、”周りのみんなを感動させる魅力を考えよう?”という質問で、将来の自分の姿を想像させ、必要な努力を考えさせたりした。

 小学4年生のとき、1年間だけ僕の小学校にいた若い女の先生が「松野くんは、とても作文が上手だね。」「とてもいい考えが発表できたね。」といつもほめてくれた。同級生にいつも悪口やちょっかいをかけられ、ずっと他の先生に良い思い出もなく、自分の家では毎日のように両親がケンカを繰り返していた。僕はいつの間にか「学校の先生になる。」が将来の夢になった。たぶん、夢がかなった最初の教え子たちだったので熱っぽく話し合った。それだけのことだ。僕が絵本で知った言葉をドラマの脚本に使っていることが分かったのはしばらく後のことだった。


 休憩時間になったのでトイレを済ませた後、窓の外の風景を眺めていた。午後からの水蒸気で遠くの山は霞んでよく見えない。背後に人の気配を感じた。

「先生。平岡です。覚えてますか?」目の前にその昔、毎日のように会っていた女性が見違えるほど変貌して立っていた。彼女の本名は平岡という。テレビでよく見る芸名は松岡勇菜だ。僕の名前が松野勇輝だから2文字重なっているのは、偶然ではないと思っている。

 僕は周りの人間を観察し「覚えてるよ。売れっ子タレントが一般市民としゃべってもいいのかい?」と小声で返事をする。唇に指を当てて静かに話すように促す。

 彼女は「先生は別です。恩師じゃないですか。それに、原作者の先生ですから。挨拶に伺っても不自然ではありません。それより、昔から小説を書いていたんですか?」周りを意識してか、つくられた笑顔で尋ねてきた。

「ちなみに専門は国語なんだ。知らなかっただろう。大学生の頃に短編はいつくか書いていたけどね。長編は初めてで、恋愛ものは難しかったけどね。」もう意味をなさなくなったサングラスを外して質問に答えた。佑菜は、真顔になって再び質問してきた。

「先生!原作を読んでみたら昔、先生に教えてもらったことや話し合ったことが書いてある気がしたんです。この主人公って私ですか?」僕は彼女の質問の意味がよくわからなかったので、適当に答えてしまった。

「そうか?偶然だと思うよ。昔のことは忘れてしまったし…。」彼女は話を途中でさえぎり、3つ目の質問を僕に投げかけた。

「先生、お聞きしたいことがあるんです?この物語は私のために書いてくれたんですか?」もはや涙目である。(みんながこっちを見ている)

「違うって!たまたま書き溜めた原稿があって新人賞に応募したんだ。」

「事務所の社長が言ってました。原作の先生が強くプッシュしてくれたって…。私、思ったんです。先生の言っていた青い鳥に出てくる”生まれてくる前の恋人たち”の目印のこと。私は先生の小説が書店に並んだときから先生の目印がはっきりと見えてきたんです。そして、私の目印を見つけてくれたんですね。」

「これ以上はスキャンダルになるから話し合うのはやめよう。これからは原作者と女優の関係だけ、以上も以下もない。君の昔のことを知られるのはよくないと思う。そろそろ休憩時間が終わるよ。席にもどりましょう。」僕は窓の手すりから手を離して会議室に向かった。彼女はうつむいたままだった。


「松野先生。松岡さんと何を話していたんですか?」後ろの席から月野さんが肩越しにしゃべりかけてきた。

「いや。あるところのセリフを変えるべきか相談していたんだよ。」

「ホントですか?何かやけに親密というか、深いつながりを感じちゃったんですけど。彼女泣いていた気がするし…」脇に汗が滲む。

「ないない。雲の上の人と30過ぎの一般市民です。セリフ考えるからこれまで!静かにしててくれる?」

僕は左手首を振って台本の文章に集中するふりをした。


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